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【試し読み】鬼滅の刃 片羽の蝶

小説『鬼滅の刃 片羽の蝶』 が10月4日に発売となります。

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発売に先駆けて本作に収録された短編の試し読みを公開させていただきます。

あらすじ

 鬼に両親を殺された幼いカナエとしのぶを助けた悲鳴嶼。鬼殺隊に入り、両親の仇を討ちたいと熱望する二人に、親戚のもとで娘らしい暮らしを送ることこそが幸せだと諭すが、姉妹は頑として聞き入れない。根負けした悲鳴嶼は二人にある試練を与える...。
 他にも、蜜璃が恋心を封印してしまったり、お館様の命により柱全員で冨岡を笑わせようとしたり、不死川兄弟の絆の物語、さらには善逸と伊之助が宇髄との柱稽古で温泉探しに挑むなど盛りだくさんの内容でお届け! そして大人気「キメツ学園」小説版も帰ってきた!!


それでは、物語をお楽しみください。

第一話 片羽の蝶

 悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)は、元来、やさしい男である。
 古びた寺で身寄りのない子供たちを育て、貧しいながらも幸せに暮らしていた。自分はろくに食べずとも子供らに食べさせ、毎日毎日、身を粉にして働いた。
 人を殴ったことはおろか、声を上げて子供を叱ることもなかった。
 繊細でバカ正直で、やさしすぎるほどやさしい、平凡な男。

 そう……。

 あの……悪夢のような晩までは──。

「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」
 手斧と鉄球が鎖で繋がれた日輪刀(にちりんとう)で鬼の頭ごと──その頸(くび)を撃破する。
 悲鳴嶼が駆けつけた時、室内はすでに血の海だった。
 先に殺された男女の血と、鬼の流す血が混じり合い、噎(む)せ返るような臭いを発している。
 崩れ行く鬼の先に、二人の少女がいた。
 年端も行かぬ少女が、更に幼い少女を必死に庇っている。
 姉と妹だろう。気配がよく似ている。両者は震えて、泣いていた。

 その心を満たしているのは、おそらく〝恐怖〟だろう。

 助かった後にしばらくして、ようやく、父母を失くした悲しみが押し寄せてくるはずだ。
 そして、愛する者を理不尽に奪われた憎悪がわき上がってくる。
 だが、今、少女らの胸を埋め尽くしている感情は、純粋な恐怖だ。鬼という得体の知れない生き物に対する圧倒的な恐怖。

(あるいは、彼女たちの目には私も化け物に映っているやもしれぬ……)

 沙代(さよ)のように。
 かつて山ほどのものを失い、傷つき、命をかけて守った少女は、駆けつけた大人たちの前で恐怖に震え、泣きじゃくった。

 ──あの人は化け物。みんなあの人が。みんな殺した。

 駆けつけた者たちや詮議(せんぎ)に当たった役人はおろか、当事者の悲鳴嶼ですら、沙代の言う〝あの人〟が鬼を指していたことを知らない。
 恐怖で錯乱した少女が無意識に記憶を捻じ曲げ、自分を化け物と呼んだのだと思いこんでいる彼は、あの時の言葉を、恐怖にまみれた声を、片時も忘れられずにいる。

 子供は哀れなほどに弱く……そして、残酷だ。
 そんな考えが悲鳴嶼を未だに支配している。

「悲鳴嶼行冥様のお宅ですね」
「…………」

 隠(カクシ)の手により親戚の下へ送られたという少女らとは、二度と会うこともないと思っていた。
 だから、その名前すら尋ねなかった。
 本心を言うならば、これ以上、子供と関わりたくなかった。
 しかも、あれから半月は経っている。何故、今になって自分を訪ねてきたのかと、悲鳴嶼が訝(いぶか)しがっていると、
「突然、押しかけた無礼をお許しください」
 年嵩(としかさ)の方の少女がペコリと頭を下げた。
「私は胡蝶(こちょう)カナエ。こちらは、妹のしのぶです」
 姉がそう紹介すると、幼い方の少女がぎこちなく頭を下げる気配がした。
「何故、ここが……?」
「隠の方にお聞きしました。悲鳴嶼様には、鬼から助けていただいたお礼もろくにしておらず、申し訳ございませんでした。私たちを──妹を助けていただきありがとうございました」
 少女の口調はやわらかく声音はどこまでも可憐だったが、一方で凜と澄んでもいた。それに、悲鳴嶼は雪の中に咲く一輪の花を想像した。
「姉さんを助けてくれて、ありがとうございました」
 妹の方も姉に続いて礼の言葉を口にする。
 こちらはまだ幼く、やや利かん気そうだった。
「父と母の葬儀も無事、終わりました。遺体はそれほど破壊されることなく、納棺できました…………すべては、悲鳴嶼様のお陰です。本当にありがとうございました」
 姉と妹──そのどちらの言葉にも深く心が籠っていた。亡き父母への哀惜(あいせき)が、悲鳴嶼への感謝が、そして、お互いへの情愛がひしひしと伝わってくる。
(そんなことを伝える為に、やって来たのか……)
 まだ心の傷も癒えていないだろうに──。
 少女たちの健気さに悲鳴嶼の心が揺れる。
 だが、一方では彼女たちと関わり合いになることを恐れていた。
 今はこんな殊勝なことを言っているが、時が経てば、何故もっと早く助けてくれなかったのかと、悲鳴嶼を責めるかもしれない。
 父と母の死すらも悲鳴嶼のせいだと。

 子供はそういう生き物だ。
 
 ゆえに、わざと素っ気なく告げる。
「鬼の頸を斬るのが私の仕事だ。気にする必要はない」
「はい。隠の方に、鬼殺隊(きさつたい)についても教えていただきました」
 姉・カナエの声が俄(にわ)かに緊張を帯びる。
 妹の方を見、妹の方でも姉を見て、小さく肯き合うのを感じた。
「今日はお願いがあってきました」
「鬼狩りの方法を教えて欲しいの。私と、姉さんに」
 姉の言葉を遮るようにしのぶが言う。
「鬼の頸を斬る方法を教えて」
 その硬い声に、悲鳴嶼の心の目は、姉妹の決定的な違いを感じ取った。
 姉のカナエの中に、深い悲しみと悲痛な決意があるのに対し、しのぶの中には燃えるような怒りが、憎悪があった。
 剥き出しの刃のようなその怒りは、いっそ、うつくしくすらあった──。
(哀れな……)
 何事もなければ父母や姉の愛に包まれ、幸せに暮らしていたはずの幼子が、ここまでの怒りを憎しみを抱かねばならなかったすべてが、厭(いと)わしく、憐れで堪らなかった。
 だが、悲鳴嶼は少女たちの懇願に背を向けた。

 一時の感情で、この子らの未来を奪ってはならない。

 何より、悲鳴嶼の傷だらけの心が、少女たちに情をかけることを拒絶していた。

 薪割りをしようと、悲鳴嶼が家の外に出ると、そこにしのぶがいた。
 思わず眉をひそめる。

「……まだ、いたのか」
「いるわよ。だって、まだ鬼狩りを教えるって言ってもらってないし」

 しのぶが怒ったように答える。
 続いて、パンという木が割れる高い音がした。
「薪を割ってるの。姉さんはお家の掃除と洗濯をしてるわ。出来ればその着物も洗いたいから、あとで着替えてね」
「そんなことを頼んだ覚えはない」
 悲鳴嶼がいささか憮然として告げる。
「暗くなる前に家へ帰れ」
「帰る家なんてない」
 しのぶが硬い声で言った。「全部、無くなった。残ったものも捨ててきた。もう、何にもないわ。私には姉さんだけ……」
 少女はそう言うと、また薪を割った。今度は、それほどいい音がしなかった。
 悲鳴嶼が普段使っている斧は、幼い少女には大きすぎるはずだ。
「……貸してみろ」
 しのぶの手から斧を取り上げる。
 束の間、触れ合ったその手は悲しいほどに小さかった。
 声の響き方や、聞こえる位置、足音などから、このしのぶという少女が同年代の少女よりもだいぶ小柄だとは思っていたが、想像通りだ。
「斧は木に対して、こう垂直に振り下ろす」
 悲鳴嶼が切り株の上に立てた丸太へと、斧を振り下ろす。
殊更(ことさら)、高い音がもれた。
「おじさん、目が見えないのにどうしてわかるの?」
「……私はまだおじさんと呼ばれるような年齢ではない」
 悲鳴嶼の言葉に、しのぶは少し考えた後で「──じゃあ、悲鳴嶼さん」と呼び方を改めた。しかつめらしい声が愛らしかった。
「その額の傷は鬼につけられたの? まだ、痛い?」
「…………家に帰れ」
 悲鳴嶼がしのぶの問いを無視して告げる。
 胸の奥にわけもない苛立ちと、悲しみがこみ上げてきた。
「君たち姉妹に鬼殺は無理だ」
「何よ。女の人の隊士だっているんでしょう? 嘘ついたってムダよ。隠の人に聞いたもん」
「確かに、女の隊士がいないわけではない。だが、男の隊士に比べ、圧倒的に数が少ない。ほとんどが、最終選別を突破できない」
「最終選別って、何? 試験みたいなの? だったら、平気よ。私も姉さんも頭は悪くないから」
「今はまだ難しいだろうが、いつかは忘れられる。普通の娘として幸せに生きろ。好いた男と結婚し、子を産み、しわくちゃになるまで生──」
「忘れられるわけないじゃない」
 悲鳴嶼に最後まで言わせず、弾けるようにしのぶが叫んだ。
 しのぶの声に驚いたのか、近くの木々から小鳥が一斉に飛び立っていった。枝葉が大きく揺れる。
「目の前で父さんと母さんを殺されたのよ!? それで、何もなかったように生きれると思う!? できるわけない……できるわけないじゃない 普通に生きることが幸せなの!? 自分を騙(だま)して、忘れたふりして暮らすのが幸せなの!? そんな幸せなら私はいらない そんなの死んでるのと同じじゃない」
「鬼狩りはそれほど簡単な道ではない。血にまみれた道だ。君らの亡き父母が、娘たちのそんな未来を望むと思うのか」
「父さんと母さんが何を望むかなんて、もう誰にもわからない……」
 泣き出しそうな声が叫んだ。
 悲鳴嶼が言葉に詰まる。
 しのぶが畳みかけるように告げた。
「じゃあ、悲鳴嶼さんは出来るの? 大切な人たちを殺されて、それでも何もなかったみたいに生きれるの? なら、なんで鬼殺隊に入ったのよ? なんで、鬼狩りになったのよ」
 噛みつくようにそう言うと、しのぶが家とは逆の方に駆け出した。
 呼び止める暇すらなかった。
 悲鳴嶼がなす術もなく立ち尽くしていると、
「心配ありません。すぐに戻ってきます」
 背後から、カナエの声がした。
 自分たちの声が聞こえたのだろう。案じて家から出てきたらしき姉は、悲鳴嶼が振り返ると静かに頭を下げた。
「妹の無礼をお許しください。あの子も頭ではわかっているんです。悲鳴嶼様が私たち姉妹のことを心から案じてくれていることを……。でも、感情が追いつかない……あの子は小さい頃から甘えん坊で、父と母のことが大好きでしたから」
「隊士にある程度の体格は必要だ。剣技を幾ら磨いたところで、持って生まれた筋肉量は、変えることができない。純粋な力は筋肉の量に比例する」
「……わかっています」
「上背(うわぜい)のある君は、まだいい。だが、あの子が仮に隊士になったとして、おそらく鬼の頸は斬れないだろう」
「…………」
「鬼の頸が斬れぬ隊士に、何が待っていると思う」
 悲鳴嶼の言葉にカナエが辛そうにうつむく。
 しばらく耳に痛いような沈黙が続いた後で、カナエが口を開いた。
「父がよく言っていました。重い荷に苦しんでいる人がいれば半分背負い、悩んでいる人がいれば一緒に考え、悲しんでいる人がいればその心に寄り添ってあげなさいと」
 カナエとしのぶを見ていれば大体は理解出来る。
 きっと、二人の両親は素晴らしい人間だったのだろう。やさしく勤勉で誠実で、娘たちを心から愛していた。
 だが、そんな両親を二人は奪われた。
 圧倒的な力で、抗う間もなく、残酷に奪い取られた。
「私は救いたい。人も。──そして、鬼も」
 カナエの声音は真摯だった。そして、どうしようもない悲しみを湛えていた。
 それは、到底、少女に出せるような声ではなかった。
 だが、憐れさよりも訝しさが勝った。悲鳴嶼にはカナエの言おうとしていることがわからなかった。
「鬼を……救う?」
「隠の方に聞きました。鬼は元々私たちと同じ人なのだと」
 カナエはそこで言葉を区切ると、うつむいていた顔を上げた。
「悲しい生き物です。人でありながら、人を喰らい、うつくしいはずの朝日を恐れる。鬼を一体倒せば、その鬼がこの先、殺すであろう人を助けられる。そして、その鬼自身もそんな哀れな因果から解放してあげられる」
「自分の親を殺した鬼をも救いたい……そう言っているのか」
「……はい」
「それが本心からの言葉ならば、正気の沙汰ではない」
 つい辛辣な口調になる。
(鬼を救いたい? 悲しい生き物?)
 そんなことは、ほんの戯れにも思ったことがない。
 自分からすべてを奪った鬼を、悲鳴嶼は未だに憎んでいる。一体でも多くの鬼を殺してやりたいというのが本音だ。
 あの日、鬼の頭を殴り続けた拳の感触は、未だこの手に残っている。きっと一生、消えることはない。
 悲鳴嶼は己の心臓が止まるその時まで、この手で鬼を殺し続けるだろう。
(この娘は……やさしすぎる)
 通常の人生であればそのやさしさは称賛されるべきものだ。だが、隊士として生きるなら、行き過ぎたやさしさは、いつか彼女自身を滅ぼすだろう。
「君は鬼狩りになるべきではない」
「まだ、壊されていない誰かの幸福を守りたい。アナタが私たちにしてくれたように……アナタがしのぶを守ってくれたように、私も誰かの大切な人を守りたい。そうすることで、悲しみの連鎖を止めたいんです」
「その結果、自分や妹が死ぬことになってもか?」
「……っ──」
 一瞬、カナエが言葉に詰まる。
 己の命は投げ出せても妹の命は難しいのだろう。
 我ながら卑怯な問いだ。
 しかし、
「覚悟の上です」
 カナエは震える声で言った。
「しのぶと約束しました。『私たちと同じ思いを、他の人にはさせない』と」
 少女の悲壮な決意に胸の奥が不快にざらつく。少女の意外な頑なさに腹が立った。それ以上に、素直に受け入れてやれぬ自分に、どうしようもなく腹が立った。
 悲鳴嶼は見えぬ両目を瞑(つぶ)ると、少女に背を向けた。
 斧を振るう。
 丸太が割れ、高く硬い音が辺りに響きわたる。


読んでいただきありがとうございました。

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