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【試し読み】岸辺露伴は倒れない 短編小説集

『岸辺露伴は倒れない 短編小説集』発売を記念して、本編冒頭の試し読みを公開させていただきます。

あらすじ

大人気短編小説集の第3弾!
杜王町在住の人気漫画家・岸辺露伴。リアリティには徹底的にこだわり、妥協なき漫画制作に取り組む男が遭遇する数々の奇譚とは......!?
最上の音楽を見出そうとした男の末路(「黄金のメロディ」)。実写化を許諾したが故に起こる悲劇(「原作者 岸辺露伴」)。毎年六月に住人が蒸発する家(「5LDK○○つき」)。
3つの物語を収録した小説集。

それでは物語をお楽しみください。

黄金のメロディ

 人間の進歩には〈追求〉が必要だ。
 スポーツ、学問、芸術。
 あらゆる分野において、妥協を許さず究極を〈追求〉してきた先人がいるから、長いときを積み重ね、文明はここまで発展した。
 ときに狂気とも呼べる〈追求〉の歴史は、常に新たなる発明、発見という、新世界の扉を開いてきたのだ。
 そして、これもまた、〈追求〉という行いの果てに開かれた、新たな扉の話になる。

 まずは七年ほど前のことだ。
 当時二十歳だったきしはんと、さかきょうめいが出会ったのは、まだ夏の暑さがしぶとく残る、秋に入る頃だった。
 西の武家の流れを汲む伊坂家は代々、T県の〈さかもち〉という田舎いなかまちの守り人として、不動産の管理を続けてきた家系で……恭明はそのまつえい
 三人兄弟の末弟である恭明は、大きな責任からは逃れながらも、家名の力を享受できる環境で、怠惰を見逃されてきたところがあった。
 趣味は音楽鑑賞。
 特に好むジャンルは〈オルタナティヴ・ロック〉。
 一度は東京の音大へ通った恭明であったが、人間関係に悩み二年で中退。そもそも楽器演奏の才には乏しかったことから、音楽は完全な〈聴き専〉だ。
 結局、地元である坂持へ戻ることとなり、曲折あって、伊坂家の管理物件の一つであったオーディオ機器店、〈サカモチレコード〉で働くこととなった。
「音楽繫がりってことなんだろうけど、たぶん父や兄からしてみれば……ぼくは〈一族のお荷物〉だから、とりあえず持ってる物件管理させて、手に職つけたことにしよう……というワケだ。まあ、それならせいぜい、甘い汁吸わせてもらうけどな……」というのが、恭明の認識だった。
 もともと、需要に乏しい田舎町のオーディオ機器店。
 代謝の緩慢な古木のように、老いた店主の下で細々と存在していたその店は、続いているとも潰れているとも言い難い状態で、昭和初期の在庫も眠っているような、一種のタイムカプセルめいた店舗だったが、幸運にも在庫の保存状態は良好だった。
「こういうの、田舎で買い求める人はいないけど、東京だったら欲しがるマニアがけっこういたろうなあ……〈パーツ取り〉とかで……」
 と、そこで恭明はひらめいた。
 ネット通販を利用して販路を開拓したところ、これが面白いほど上手うまくいった。田舎に存在しなかったオーディオ需要は、時代のテクノロジーを得て花開いた。
 倉庫に眠った在庫から、今となっては希少になった品を売り、その儲けで、自分好みの最新鋭の商品を仕入れ、金を循環させ、店の品揃えを充実させていった。
 やがて「店の管理は全部任せて、老後はゆっくりしてよ」と、恭明は老いた店主に暇を出し、店の私物化にも成功した。
 結果、ネット通販をメインとし、サカモチレコードは古い希少品と新たな高性能品を幅広く揃える、マニアに名高い店となった。
 アイデアは良かった。行動力もあった。だが、それはただ〈運〉に助けられた成功で、努力が欠如していた。有ったものを売ったら、たまたま販路ができただけだ。
 それでも一度評価を得て軌道に乗った商売を、恭明はナァナァの態度で続け、まぁまぁ自由に金が使えるので、経費をちょろまかして自分の趣味に使ったりして、不自由なく暮らしていた。安定はあるが、変化も進歩もない日々。そういう生活がしばらく続いた。
 そんなある日、岸辺露伴がサカモチレコードを訪れた。
 秋の日は短いとはいえ、まだ夕日も沈みきっていない頃。
 そのとき、恭明は既に店じまいを始めていて「今日は早めに閉めて、ビール飲みながら元AV女優の出るバラエティを見よう」なんて考えながら、ちょうどシャッターを下ろそうとしたところで、露伴が声をかけた。
「おかしいな……Googleの案内だと、まだ営業時間内じゃあないのか?」
 夕日の逆光で、露伴の表情は恭明から見えなかったが、逆はよく見えただろう。恭明は面倒そうな顔を、隠しもせずに返事をした。
「……いえ、営業時間中ですけどね。客も来ないんで閉めようかと」
「なるほど……じゃあ客が来てよかったな。レコードプレーヤーが欲しいんだ。宅配でM県まで送れるかい?」
「……はぁ」
 恭明は「地元民じゃあないな。旅行者か? じゃあネット通販で注文しろよ」と言うのはぎりぎりこらえて、露伴に向き合い、とりあえず威嚇的な台詞せりふを並べた。
「それで……えェ~~っと……おたくゥーー……どの〈メーカー〉をお探し? カートリッジは〈MM〉? 〈MC〉? イコライザーは? 一口にプレーヤーつってもね。オールインワンので手頃なヤツならヨドバシカメラとか行った方がいいけど、〈マッキントッシュ〉とか欲しいのォーー?」
 早すぎる店じまいの理由の一つは、恭明の人間嫌いにあった。ネット通販ならともかく、対面の接客に向く人間性ではなかった。
 そんなもともとの性格に加えて、恭明は学生時代から「ぼくはものを知っている人間だが、アンタはどうだ?」という、〈ピュア・オーディオ・マニア〉のディープなノリのやりとりがみついていて、偏屈な人柄を加速させていた。
 そしてネット通販が主軸だというのに、恭明の店をわざわざ訪ねてくる客といえば、たいていは知識に覚えのあるマニアばかり。
「プレーヤーの針圧は何グラムだろ?」とか「現代のCDの音質は本当にレコードを超えたと思う?」とか……そういう人を値踏みするような物言いをさっさとねじ伏せて「物を知らない半端者は他所に行きな!」と切って捨てるのが、恭明の生き甲斐だった。
 もちろん、それは売り上げに繫がらないのだが……人柄の悪評がネットに増えたところで、通販の売れ行きにさほど影響はなかった。主たる需要はネットユーザーで、顔を見て買い物をしないのだ。
 だからその日も恭明は、そういう対応をするつもりだった。半端に知識トークに乗ってこようものなら「ぼくはプロでござい」という知識と立場の攻撃で追い返してやろうと思っていた。
 ところが、露伴の反応は恭明が想像したものではなかった。
そういう仕事なのか・・・・・・・・・?」
「…………はぁ?」
「マニアックな専門用語並べるのが君の仕事なのか・・・・・・・? と……そう聞いているんだ」
 露伴は、知識語りの土俵に乗ってはこなかった。
 堂々たる態度で〈客〉としてそこに立っていた。
「店先から覗いただけでも、品揃えは本当に良い。プレーヤー、フォノイコ、ケーブル、アンプ、スピーカー……整頓されている。接客態度は頂けないが、田舎町まで来て寄り道した甲斐はあったって気はしてる……。で、僕は〈客〉で、君は〈店員〉だな……」
「はぁ? そうですけど……?」
「分かっているなら、どうして客が来ても、真剣に商品を売ろうとしないんだ? それとも用語並べて威圧すると給料入るシステムなのか?」
「……いえ、そーゆーことでは……ないんです、けどォーー……」
 恭明は、少したじろいだ。接客態度に文句をつけられることは珍しくなかったが、露伴の言葉には妙に、骨身に響くような感覚があった。怒鳴りつけるでもなく、文句をつけながらも自分に向き合うような、真っすぐなものが感じられた。
「フザけてんじゃあないぞ。金もらってんなら自分の仕事くらい自分で説明できるようにしとくんだな……ちなみに僕の仕事は〈漫画〉を描くことだが……」
「えっ、……漫画家、なんですか?」
「〈ピンクダークの少年〉という作品を読んだことがないなら、知らない名前だと思うけどな……おっと、読んでないからって編集部に電話するなよ」
「〈ピンクダークの少年〉ッ!? 全巻持ってますよッ! あなた岸辺露伴先生ッ!?」
「そーだよ、お買い上げありがとう。で、実は……先日〈レッド・ツェッペリン登場〉の初回盤を譲ってもらった……今、描いているキャラクターが好んで聴くのも〈レッド・ツェッペリン〉……。〈BGM〉にしようと思ってさ」
「初回盤? ひょっとして帯付きのッ?」
「高価なものをくれる知人がいないように見えるか?」
「……そんなこと言ってないけど……わざわざそれを聴くために、ウチで機材を? 漫画のキャラの趣味に合わせて?」
「レッド・ツェッペリンの大ファンであるキャラクターを、五千五百円のプレーヤーで聴く、その音の感動を元に描いて、生々しさ・・・・があると思うのか?」
「……はぁ……。いや……どォーーなんスかね……」
「例えば〈お茶の葉〉だ。別にポットのお湯でれたって、味がすれば飲めるよな。でも一度湯を沸騰させて、カルキ臭さを抜いたお湯を何度か注ぎなおして温度を下げてから淹れると、うま成分の〈テアニン〉が出て、〈お茶の葉〉は本来の味を発揮する……そういうことだ。やり方は人それぞれだろうが、〈体験の感動〉を、最大限楽しめるように努力する……それが味わう側の〈敬意〉ってモンだろ?」
「〈敬意〉…………ですか?」
「少なくとも、僕のキャラクターにとってはな。この〈Good Times Bad Times〉に、できるだけ良い環境で針を落としてやりたい……どーゆう機材で聴いてやれば、レッド・ツェッペリンの音に対して〈敬意を払った〉と言えるのか……機材のプロなら答えられるんじゃあないのか? それとも、君は知識のある客に商品選びを任せないと物の売れない、クソの容れ物だったりするのか?」
「……」
 それは恭明にとって、ショックな出来事だった。
 それまでの恭明の価値観は、〈知識の多さ〉と〈使った金額〉と〈コレクションの充実〉であり、趣味であったはずのオーディオは、マニア同士の上下関係を決めるためのツールとなっていた。
 恭明を訪ねてくる客もそういったやからが多かったから、「威張るならこのメーカーのこのグレードのアンプを使ってからにしてくれよ」というようなやりとりがあった。
 それに対して、露伴の態度はひどく新鮮だった。
 客としてはむしろ生意気というか、横暴とも言うべき物言いもしたのだが、その態度は音に対してしんであり、恭明にとって目の覚めるような出来事だった。
 露伴の語る――〈体験そのものへの敬意〉。
 それは文化にとって、とても根源的なものに感じられた。
 果たして、自分は今まで〈音〉に対し、それほどピュアに向き合ってきただろうか。恭明は、今まで執着してきた多くのものが不純物であった気がした。
 そんな恭明に、露伴は続けた。
「僕は〈漫画を描く〉ために必要なことには妥協しない・・・・・……執筆を行うときの環境を整備するのも仕事のうちってことだ。仕事場にもって執筆する漫画家業ってものに〈BGM〉の力は非常に大きい。僕もそれなりのオーディオ環境を整えていたが……クソッ。ちょっとバカの相手してるうちに、不幸にも火事でダメになっちまってね……」
「……それは、お気の毒……」
「虫眼鏡の〈収れん火災〉ってヤツだ。太陽という大きな力へのが足りなかった、そういう教訓の事故だと思ってる……そういうわけで、新しいオーディオが必要になったんだ。〈レッド・ツェッペリン登場〉に籠められた情熱をペンに響かせ、音のエネルギーを籠める……そういう装置が欲しい。いいか、僕は気の長い方じゃあない。だが、いい仕事をする上で必要に迫られていて、この店ならそれが叶う見込みがあるから、こう丁寧に身の上話をしているんだ。脳みそにインプットしたか?」
「〈音のエネルギー〉…………」
「それでだ。君は僕に商品を売るのか・・・・売らないのか・・・・・・。どっちだ?」
 客にしては、相変わらずの尊大な物言いだった。
「マニアしか相手にしない店ってんなら、それでいいんだ。さっさとそう言ってほしい。門前払いもそれはそれで効率的だろう……漫画家の時間は貴重だからな」
 だが、そんな露伴の態度に、恭明は感動を覚えていた。
 岸辺露伴は、恭明から見ても一流の漫画家だった。その漫画には生命力があり、躍動感があり、描き文字で表現される擬音には、確かな〈音感〉があった。オーディオというツールが、そういう凄い漫画を生み出す原動力になっていることに、恭明はいちオーディオマニアとして、そしてオーディオ機器店員として、誇り高い気持ちになった。
「……売りたいです」
 そして恭明はその日、初めて〈プロの仕事〉をしようと思った。
「ブランドや知識に頼ることなく、ただ良く〈音〉を聴こうという意志。きっと、そういうのが〈純粋〉なんだと思う……ぼくは貴方あなたに売りたい。良い音楽を聴いてほしい」
 そこから、品選びには時間をかけた。
 露伴の予算と好みに対し、恭明は可能な限り自分の知識を動員した。丁寧に商品をつくろい、説明をし、機材一式の発送手続きを終え……売買を済ませた。
 それからまるで子供のように純粋に、好きなバンドやなんかの話をして、夕日が山の向こうへ隠れていく頃に、露伴は帰路についた。
「〈伊坂恭明〉だったな……礼を言っとくよ。見立ては確かだった。いい機材が揃った……これで今描いているエピソードのクライマックスに力が入る。君が読者であるなら、そういう形で恩返しをするよ……。もう二、三日こっちで取材をしていくが……気が向いたらもう一度来るさ。そのときは携帯プレーヤーも見ようかな」
「……お買い上げ、あざしたァーーーーッ!」
 それは恭明にとって初めて、客に物を売って、頭を下げるという体験であり――久方ぶりに、真摯にオーディオに向き合った体験でもあった。
 そして伊坂恭明にとって、岸辺露伴は初めてにして唯一の、純粋な客だった。
 濁り、腐っていた恭明の人生の転機は、確かにその日にあった。
 そして恭明の、七年にわたる〈追求〉の旅が……後に、一つの町を滅ぼすことになる。

 話は七年後の春から始まる。
 二十七歳の岸辺露伴は、未だ漫画という道の〈追求〉を続けていた。
 しかし、人間のリソースには限りがある。人という器の受け止められる容量は〈無限〉ではない。これは大事なことだ。一分野を突き詰めて極めようとする行為は、逆に生き方から〈器用さ〉を奪っていく。だからなのか……特に芸術家や作家には、偏屈な人間が大勢いる。誰とは言わないが、いる。
 そういうわけで、作家の担当編集に向く人柄は、二種に大別される。
 細かなことに気がつき、コミュニケーション能力に秀でた者。
 もしくはストレスに負けない、ある意味〈図太い〉と言われるような者。
 言い換えれば器用か、タフであるかだ。
 四月。もりおうちょうの〈カフェ・ドゥ・マゴ〉で打ち合わせがあった。定番の場所だ。その年の桜の開花は早かったから、春の空気も少し旬を過ぎ、早すぎる夏の気配が混じるような、少し暑い日だった。
 その日、初めてじかに顔を合わせた女性編集者は、おそらくは〈図太い〉タイプの人柄だろうと、露伴の目にはそう映った。
「――今、〈読み切り〉描けって言ったか? 既に描く予定のものとは別に?」
 誰が聞いたって、露伴の声は不機嫌そうだった。
 目の前の編集者は、カエルの面に水というべきか、さほどこたえた様子もなく、笑顔でうなずいてみせた。
「はい。本誌じゃあなくって、記念増刊号で……やっぱり露伴先生の漫画が載ってると、魅力あるかなぁ~~って。編集部としては、できれば夏の終わりくらいに一本、上げてくれるカンジだと嬉しいんですけどォ」
「……君……今日、何の用事で来たんだっけ?」
「以前からお願いしていた短編の打ち合わせです。夏に出す〈画集〉に掲載するための……」
「……。……だよねぇぇ~~……覚えてんの僕だけかと思ったよ」
 そちらの打ち合わせも、まだ始めてすらいなかったのだが――。
「でもぉ……それはそれなんですよ。別件でお願いしたいなァ~~って。先生、最近〈破産〉したって伺ったので……お力になれるんじゃないかって」
「待て。……いちおう聞いておきたい。まさか善意で言っているつもりなのか? 〈今、貧乏で苦労してるでしょうから、よかったらお仕事どうぞ〉って……そういうことか?」
「露伴先生でも、ペース的に難しそうですかぁ?」
「僕ができないわけないだろうッ!」
 そもそも、露伴にとって漫画を描くのが嫌なわけはない。タイトなスケジュールを差し込まれたところで、間に合わないわけもない。そんじょそこらの漫画家ではなく、岸辺露伴なのだ。
「だが、仕事を頼む態度が気に食わない、ってのは別問題だからな……」
 例えば一般的な編集者なら、人気連載持ちの作家に読み切りを依頼するというだけで、冷や汗かきながら、菓子折りの一つでも持って頭を下げにくるものだ。それに対し、彼女の態度はあまりに漫画家を舐めているように見えた。
 他にも言えば、打ち合わせの場で別の仕事の話を持ち出すとか、破産していることへの言及だとか、態度とか、口調とか、座り方とか、髪型とか顔とかアヒル口とか、枚挙にいとまはないが……とにかく、その編集者はしゃくさわる部分が多すぎた。
 だがそういうキャラクター性はある意味、彼女の編集者としての適性かもしれない。そうとでも思っておかないと、この先の会話が〈もたない〉と露伴は感じていた。
「君、なんだったかな……名前」
いずみです。泉きょう。名刺お渡ししませんでしたっけ?」
「そうだっけね。しつけな質問だが、よく漫画家怒らせるって言われないか?」
「あ~~。でも、私、ほら♡ ……前向きが取り柄なので、平気ですゥ♡」
「あ、そう。お仕事楽しそうでよかったねぇぇーーーーーーーーっ」
 露伴はもう、さっさと打ち合わせを終わらせたくなっていた。三十分で終わりそうな打ち合わせを、場をなごませようと話を脱線させて一時間、二時間と引き延ばす編集者は珍しくないが、この相手にそれをされたら流石に軽くキレるかもしれなかった。
 しかし京香は、さっそく話を脱線させた。
「ところで先生。打ち合わせの前に、チョッとお話いいですか?」
「あのねェェ~~~~~~~~ッ」
 露伴は一旦キレておいた。
「いいか? 打ち合わせの前にチョッと話していいことなんてないからな。いるよねェェ~~……漫画家との距離感を縮めるために、世間話とか近況とかを話すような奴。……言っとくが、仕事以外の話は全部〈不純物〉だ。僕だからまだいいが、仕事の遅い漫画家は、一粒の砂金よりも一秒の時間に価値を感じる……そーゆうもんだ。一秒早く打ち合わせが片づけば、一秒他のことをする余裕ができる。ガキでも計算できる」
「あーー、締め切りまでは余裕あった方がいいですよねぇ~~」
「分かったら手短に済ませてくれるかな……この後〈用事〉があるんだ」
「何の〈用事〉ですか?」
「後で考えとく」
「あ、そーですかぁ」
 雑な対応に慣れているのか、単に何も考えていないのか。京香はさほど気にした様子もなく返事した。露伴はその態度に、フン、と鼻を鳴らした。
「実は、編集部に先生宛てのお手紙が来てて……ファンレターとかじゃあないんですけど、一応お渡ししておこうと思って」
 そう言って、京香は小さなクリアファイルに挟んだハガキを取り出し、露伴の方へと差し出した。
「僕宛てに?」
 露伴はそのハガキを受け取り、まじまじと見つめた。〈サカモチレコード〉という店名が、筆文字めいたフォントで大きく書いてあった。
「……〈宣伝ハガキ〉じゃあないか。〈オーディオ機器店〉の」
「はい。露伴先生、仕事場引き払っちゃったじゃあないですかぁ。だからウチに届いたのかな、って」
「確かにそうだが……ふつう、わざわざこんなもの、編集部を経由してまで届けようとするか? そんなに宣伝したいのか?」
「ですよねぇーー。なので、一応お見せしに来たんです。露伴先生、そのお店、使ったことあるんですか? 西日本のT県まで、わざわざオーディオ買いに?」
「フン、根掘り葉掘り聞く取材癖でもついてるのか? ……もう七年は前だけどな……別件の取材で訪れたときに、レコードプレーヤー買ったんだ」
「先生って、漫画描くとき以外ずっと取材してそうですねぇ~~」
「悪いか? マニアにも好評の店ってんで訪ねたんだ。品揃えは良かったし、店主とはちょっと話し込んだりもしたな……まあ破産して売っちまったんだが、あれも取材のためだったからな……」
「へぇ。でも〈この地域〉でまだ続いてるなんて、よっぽど人気のお店なんでしょうか」
「〈この地域〉?」
 その何げない一言に、露伴は片眉を上げた。
「何かあるのかい? 〈この地域〉……〈T県の坂持〉に?」
 聞かれて、京香の方は両眉を上げた。「こういう表情、釣り堀で見たことあるな」と微かに露伴が思ったときには、話が始まっていた。
「実は、私も編集部までこんなの届くの変だと思って、調べたりして……経済紙のライターさんから聞いたんですけど……最近、この地域だけ急に〈過疎化〉してるらしいんですよ。ものすごく急だって……人口で言うなら殆ど0人になりそうだって……この差出先の住所って、その地域のど真ん中のはずですけど」
「ちょっと待て」
 露伴はスマホを取り出すと、ハガキの住所と周辺のニュースについて調べた。田舎町の過疎という話題、扱いは小さいが、確かにちらほらとそういう記事がある。
 マップを開いて、その地域の店舗やアパートを調べると、あらかた〈廃業〉の文字が出る。そういう潰れた店々の中に、ハガキを出したオーディオ機器店だけが、離れ小島のように、ぽつんと営業を続けている。
 これは確かに、何か違和感を覚える状況だった。
「……本当みたいだな。もう〈消滅集落〉一歩手前ってヤツじゃあないか」
「噂によると……近年、このあたりで、地主である〈伊坂家〉の要請で、大規模な〈立ち退き〉があったみたいです」
「〈伊坂家〉……〈立ち退き〉? こんなに広い範囲をか? こんなとこにレジャー施設か、大型ショッピングモールでも建てる予定があるのか?」
「いえ、全然そんな予定はなくって……この土地に、そーゆー立地的強みがあるカンジでもなくって……〈ただ単に立ち退き〉されているみたいで。このオーディオ機器店を除いて」
「…………」
 さて、いよいよ奇妙な話になってきた。と、露伴は感じていた。
 町の変化というのは、たいてい必然性があるものだ。
 それが特に意味なく理由なく、しかも人為的に住民が追い出されている。そういう事実は、原因は分からないにせよ、何かただならぬ事態がその地域で起こっていることを示していた。
「……何年か前に、ワイオミングでもあったな。小さな町から人が消えた事件。ネットなんかではけっこう騒がれて、確か、見つかった人は皆、発狂していたんだ。宇宙から電波受信したんじゃあないか、とか……NASAの陰謀論になったヤツ」
「ちょっとそれは聞いたことないですけど……」
「そーゆーのと繫がってたりすると、面白い話なんだけどなああ~~~~」
 露伴は改めてハガキをしげしげと眺めた。何か、ペイントソフトに最初からあるフォーマットを張りつけたような、古臭いレイアウトのハガキ。その下の方に、パソコンで打ち込まれた数行の文字があった。それもたぶん、宛名ソフトに最初から入っているような定型文だろうと思って、最初は読み飛ばしていたのだが……。
「……これは……」
「どうしたんですか、先生?」
 興味があるんだかないんだか曖昧な声で、アイスティーをストローで一口すすってから、京香が尋ねる。
 しかしそういう京香の態度も、そのときの露伴はさほど気にすることはなくなっていた。
「これ、よく見たら〈宣伝〉じゃあないぞ。〈招待状〉だ」
「どうやら、そうらしいんですよ」
「知ってんなら先に言ってほしいなぁぁ~~……日時まできっちり指定してある。一週間後の、午後四時。……何かあるのか?」
「一週間後の午後四時頃って……」
 今度は京香がスマホを取り出し、調べ物を始める。てのひらサイズの小さな板で、情報を参照できる時代の利便性を感じずにはいられない。
 けれどそんな時代でも、己の脚でおもむいて、見て、聴いて、体験しなければ分からないものは――確かに、ある。
「ほら、予報の日なんですよ、〈日食〉の。この日は二十五年ぶりの〈金環日食〉」
「〈日食〉ゥ~~? まさか〈天体観測の招待〉でもないだろう? オーディオ機器店から。というかさぁ……ねえ。君、何か……〈周到〉じゃあないか? 随分……このハガキが妙だったとはいえ……調べてきてるよねぇ、色々さぁ……」
「私、こう見えてけっこう露伴先生のこと尊敬しててぇ~~」
「へぇーー! 気づかなかったよ」
「編集部としては、売れっ子ですからもちろん大事にしてるんですけど……正直困った人だって思うのも確かで。気難しいし、オレ様だし、ヘアバンドだし……」
「実は喧嘩売ってんのか?」
「私、別に〈漫画編集者〉になりたかったわけじゃあないんですよ。もともとファッション誌希望だったし……。でも、お仕事ですから、自分がどういう仕事したらお給料もらえるのか、っていうのは分かってるつもりで……結局〈編集者〉って、〈面白いもの〉で誌面埋めないといけないお仕事なんですよ。露伴先生って、〈描きたいこと〉描いてくれたら、〈面白いもの〉にしてくれる漫画家だってことは、私でも分かってるんです。じゃあ私の仕事って、とにかく先生に〈描きたいこと〉を持ってくることじゃないかなあ、って……」
「……それで?」
「どうですか、先生。これ……〈描きたいこと〉に出会えそうな気がしませんか。編集部には〈掲載〉の準備があります」
「……口の利き方だけは、社員教育とか受け直してきてほしかったね」
 彼女の描いた絵図通りに進むのが癪に障るのは確かで、彼女が失礼なのも確かで、そういう態度に対して、きっぱりと〈NO〉と言ってやりたい気持ちも確かにある。
 けれど、なるほど。泉京香という女性はしっかりと漫画編集者らしい。
 描かせたいという、編集者のさが。描きたいという、漫画家の性。あらがいがたいその生き様を繫ぐ、〈ネタ〉の香りがその場にあるのは、間違いない。
 そして、悲しいかな……漫画家という生き物は、穀物よりも酸素よりも、ときには神や悪魔にすがりたくなるほど、いつだって面白い〈ネタ〉を求める生き物だ。描くことが生きることなら、アイデアは星の数ほどあっても足りない。
 ムカつこうが、気に食わなかろうが、そこにある〈面白い〉には、抗えない。
あおったからには、出るんだろ。取材費。編集部から。僕、〈破産〉してるからね」
「出させます」
 その返事の仕方だけはそこそこ気に入ったので――一週間後、露伴は取材旅行の予定を入れることになった。


*この続きは製品版でお楽しみください。

読んでいただきありがとうございました。

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『幸福の箱』『シンメトリー・ルーム』by北國ばらっど、『夕柳台』by宮本深礼、「楽園の落穂」by吉上 亮の4編を収録。