【試し読み】 NARUTO -ナルト- サスケ烈伝 うちはの末裔と天球の星屑
本日8月2日に『NARUTO -ナルト- サスケ烈伝 うちはの末裔と天球の星屑』発売になりました。
本日は発売を記念して、本編中の序盤の試し読みを公開させていただきます。
シリーズの立ち上げについてはこちら
あらすじ
NARUTO世代の読者に贈る新たなノベライズ
「NARUTO烈伝シリーズ」第2弾!
うちはサスケが向かった先は人里遠く離れた天文学研究所。六道仙人の痕跡を探るため、サクラとも合流して潜入捜査を進めるが、そこではとある計画が進行して...。
「生と死とは」「夫婦と相棒とは」その答えを求めて、二人の戦いが始まる...!
カバーイラストは原作・岸本斉史描き下ろし!
それでは、物語をお楽しみください。
序章
眠れない。
男は、痩せた身体を冷えたシーツに押しつけた。室内にいるはずが吐く息は白く、綿もろくに入っていない掛布団をいくら身体に巻きつけたところで、胴ががたがた震えるのは止められない。
汗と垢の染みついた煎餅布団を寝床にして、そろそろ半月になるだろうか。寝るたび身体中にアザが増えていくので、ちっとも休んだ気にならない。せめて隙間風の来ない場所で眠れたら、少しはマシだろうに。
うらめしい気持ちで重たいまぶたを持ち上げ、男は暗い部屋に目を凝らした。
六畳ほどの狭い部屋に、雑魚寝する大人が四人。年次がモノを言うこの場所で、新入りの自分に一番寒い場所があてがわれるのは当然で、異議など唱えられるはずがない。
寝返りを打ったら床が硬くて、うめき声が漏れた。
「チクショウ……なんでオレが、こんな目に……」
ほんの半月前まで、男は烈陀(レダク)国の首都にある刑務所にいた。自由はなくとも、最低限の暮らしは保証されていて、ここよりよほど安全で快適だった。刑期を終えたらまた適当な罪を犯して出戻ろうかと思っていたくらいだ。
ところが、ある日突然移送が決まった。寒冷地での土木作業に従事させられる、とだけ聞かされた。肉体労働なので、若くて健康な囚人にしかやらせられないと。
はたして連れてこられたのは、荒涼とした山脈の峰に建つ、石造りの天体観測施設だった。
タタル天文学研究所。
六道仙人(りくどうせんにん)と同時代を生きたと伝承の残る天文学者、ジャンマール=タタルに由来する由緒正しい研究施設――らしいが、そんなことはどうでもいい。問題なのは、研究所のある場所が、春先でも平気で氷点下になるほど極寒であること。そして、支給される食事も服も部屋も、どう考えても家畜の方がマシという環境下で、朝から晩までロクに休みもなくひたすらに冷たい土を掘らされていることだった。
「なんで……オレが、こんなことに……」
かたかた震える奥歯を嚙みしめ、布団の端をぎゅっと握った。連日の作業ですっかり皮の剝けた手のひらに、土で汚れた爪が食い込む。
男の罪状は、強盗殺人だった。三年前の冬の日、食うものに困ってたまたま目についた家に押し入り、金目のものをありったけ盗んだ。家にいた若い夫婦と二人の子供を縄で縛ったまま放置して逃げたら、二日間誰にも気づかれず全員凍死したそうだ。
それで四人も殺したことになるんだから、たまったもんじゃない。こっちに殺意がなかったんだから、あれは事故だ。大体、食うものがなくて他人の家から盗んだんだから、正当防衛みたいなもんじゃねえか。
なんでオレがこんな目に遭わなきゃなんねえんだよ。
不満が、水のように胸にしみていく。もう限界だ。
男は、天井の柾目を見つめながら決意した。
――夜が明けたら、脱獄しよう。
囚人たちの生活は、銅鑼の音で管理されている。
起床時間を告げる鈍い音がゴンゴン鳴り響くと、疲れきった囚人たちはゾンビのように起き上がり始める。寝過ごせば、彼らを見張る巡邏(じゅんら)たちに容赦なく警棒を食らわされるから、みな時間には正確だ。大きな目ヤニを唾でぬぐったり、湿疹だらけの腕をぼりぼりかいたりしながら、あくびまじりに部屋を出ていく。
食事は日に二度。野菜と麦をぐちゃぐちゃと炒めたような、豚も食うか怪しい献立ばかりだ。
食堂から伸びる列に並び、男は深呼吸をひとつして、ギラつく気持ちを抑えた。
眠気の残る身体の重たさとは裏腹に、神経は冴え返って興奮している。
横入りしてきた男に足を踏まれても、後ろの男が耳のすぐ近くで痰を吐いても、今朝は気にならなかった。
今日、ここを出ていく。脱獄する。
朝食の配膳を受け取って、男は囚人たちでごったがえした部屋の中を見渡した。どうせ脱走するのなら、誘ってみたいやつがいる。
食堂とは名ばかりの粗末な部屋には、がたつく卓子と丸太をぶつ切りにしただけの椅子が並ぶ。
お目当てのやつは、窓際の、いつもの席に座っていた。
収容者番号四八七番。サスケ。
珍しいのは名前よりもその容姿だ。混じりけのない、黒ひといろの髪と瞳。顔立ちは彫深で線が細く、鼻筋の美しさの目立つ横顔といい、完璧に整った目鼻立ちがよくわかる正面顔といい、どの角度を切り取っても実に絵になった。間近で見ていると、本当に自分と同じ生き物なのかと疑わしくなるほどだ。
それほどの容姿を持って生まれながら無口で愛想がなく、いつも猫のようにそっけなくしているのもまた、周囲の気を引いた。
それでいて、誰も手を出せないほど強いのだから厄介だ。
サスケがここへ来た初日、物珍しい新入りに早速ちょっかいをかけに行った古参連中は、一秒後には全員関節を外されて地べたに這いつくばっていた。激痛に泣く男たちを見下ろし、サスケの口から発された警告は実にシンプルだ。いわく――「オレの邪魔をするな」、と。
ほとんどの囚人にとって、サスケは近寄りがたい存在だ。男にとってももちろんそうだったはずが、今日で脱走すると腹をくくったら自然と声をかけることができたのだから不思議だ。
男は、サスケの正面に腰を下ろして口を開いた。
「あ、あのぉ」
想像の中の自分の声はもっと力強く、闘志に燃えていたのに、いざ実際に声を出したらおどおどと弱気に響いた。
「え、えと、あなたも……し、忍ですよね」
サスケは、窓の外に投げていた視線を、男へと向けた。
「何の用だ」
黒い瞳に見すくめられ、身体の奥がきゅうっと震える。
「ぼ、僕、いや、おっ、オレもなんです。風の国出身で……アカデミーを卒業できなくて親に見放されて……こんな国まで流れついたけど、今でもチャクラを練るくらいはできる。ホラ……」
箸の先をチャクラコントロールで指の先に吸いつけ、ゆらゆらと揺らしてみせる。
どうだと果敢にサスケを見やれば、黒い瞳はすでに男から興味を失って窓の外を眺めていた。
無視か。
舌打ちをこらえて、男はサスケをじろりとにらんだ。……こんな僻地の国に収監されているくらいなのだから、自分だってたいした忍じゃないくせに。
サスケは、しきりに窓の外を眺めながら、きれいな箸使いで、ひしゃげた鉄皿に一緒くたに盛られた筍やらわらびやらを、器用に三角食べしている。不愛想な男だが、ちょっとした動作のひとつひとつに、おそらく本人にとっては無意識の育ちの良さが滲んでいた。人間の屑がそろったような囚人たちの中にあって、サスケの存在は、誰の目にも明らかに異質だ。
「ぼ、僕と組みまへんかっ」
サスケの食事が終わるのを待って、男は切り出した。緊張していたので、嚙んでしまった。
「どういう意味だ?」
「脱走ですよ。こっ、ここから逃げるんです……あなたも、チャ、チャクラコントロールくらい、できるでしょう? あの、ぼ、僕たちなら……塀を登って、逃げられるし」
天文学研究所は、石を積み重ねた塀に、四方をぐるりと囲まれている。
高さは約十メートル。下から見上げればデカく見えるが、チャクラを使えば登れない高さではない。
「僕は、も、もう限界なんです。あ、あなたも、でしょ?」
サスケは無表情に、男の顔を見た。
「お前にオレの何がわかる?」
「わかりますよ……普通の人間じゃないってことくらい」
やっと、つっかえずに最後まで話せた。
サスケのような男が、一体どうして、何をやらかしてこんな場所にいるのか、男には見当もつかない。それでも、彼が、こんな所でつまらない労働に駆り出される毎日に満足しているとは思えなかった。
「一緒に、逃げましょうよ。こ、このあと、みんな、午前の作業に、向かうでしょ……そのドサクサで、塀を越えるんです」
「やめておけ。塀の外に出たところで荒れ地が続くばかりだ。一番近い集落まで歩いて二日もかかる。行き倒れるのがオチだろう」
「さ、山菜だって、木の実だって、いくらでも採れますよ。ここにいるより、は、遥かに立派なものが食べられるし……それに、ほら、霧も出てる。瑪瑙(めのう)の目をあざむくには、今日しか」
「警告はしたぞ」
サスケは短く言って窓の外を一瞥すると、空いた皿を持って立ち上がった。狭い通路で立ち話をしていた囚人たちが、サスケの姿を見るなり慌てて端によけ、道を譲る。
「ここから……出たくないんですか!」
駆け寄った男に摑まれた腕を、サスケはごく自然にほどいた。
「悪いがオレは、望んでここに来たんだ」
「……え?」
ここに? 望んできた?
呆気にとられる男を残し、サスケは食堂を出ていく。
サスケの姿が見えなくなるのを待って、男は乱暴に卓子の脚を蹴った。
バカにしやがって。まあいいさ。お前はこのクソみてえな場所にずっと沈んでろ。オレは、自由になる。
皿の中でゴタゴタになった朝食をかっくらい、男は足音荒く廊下に出た。囚人たちがあちこちに座り込んで雑談するのをしり目に突き進み、外に出て敷地の塀を見上げた。
作業開始までまだ時間がある。巡邏たちが外に出てくる可能性は限りなく低いはずだ。
塀の警備につく者はいない。刑務所とは違い、ここの巡邏たちは基本的に作業警備しかしないし、取っかかりも何もない石の塀を十メートルも登れる人間などいやしないとタカをくくっているのだ。
残念だったな。オレには登れんだよ。
男は、なめらかな石の塀に、そっと手のひらを合わせた。昔受けた授業を思い出しながら、チャクラを練って手の表面に集中させる。
ぴたりと、石の表面が肌に吸いつくような感覚。
男は、塀を垂直に這うようにして、カエルさながらに登り始めた。
遠くに、囚人たちの喧騒が聞こえる。登り始めてまだ数分。この時間に、外に出てくる者は少ないはずだ。所長や巡邏も、本棟で食事をとっているはず。
大丈夫。いける。見つかる前に登りきれる。瑪瑙さえ、現れなければ。
身体は、想像よりずっと軽かった。もう半分ほど登ったが、疲労はない。あと一時間だって登り続けられそうだ。
じゃり、と砂を踏む音がして、男は地上を振り返った。
黄色い瞳と目が合って、首筋がぞわりとけばだつ。
「……ッ!」
見つかった。瑪瑙だ。
まずいまずいまずい、早く逃げろ!!
慌てた男は、チャクラコントロールの配分に失敗した。塀に触れた手がずるりと滑り、身体が宙に浮く。
落ちる、と思った瞬間、脇腹に、焼けつくような痛みが迸った。
同時に、すぅっと血圧が落ちていく。こぼれていく意識の中で、自分の脇腹に深々と嚙みついた瑪瑙と確かに目が合った。
第一章
男の身体に牙を突き立てたまま、瑪瑙は音もなく着地した。口をぱかっと開けて、咥えていた男の身体を地面に落とす。
「……ぅ……」
這って逃げようとする男を踏みしめて乱暴に転がし、鉤爪のついた前足を肩甲骨のあたりに引っかけて、ずるずると引きずっていく。中庭まで来たところでようやく止まり、真っ赤な口を開け、男の右肩に食いついた。
「あああぁッ!」
男は悲鳴をあげ、身体をのけぞらせた。
肉が裂け、ぼとぼとと滴る血が腹の出血と混じって、みるみるうちに赤い水たまりを作っていく。早く頭なり胸なり食って楽にしてやればいいものを、瑪瑙は男の身体をひっくりかえすと、今度は尻の肉を浅く食いちぎった。肉の繊維が糸を引き、男は頭を押さえつけられたまま砂を食って泣きわめいた。
瑪瑙が脱走者をゆっくりと味わうのも、ほかの囚人たちから見える中庭までわざわざ引きずってきたのも、全て見せしめのためだ。逃げようとすれば、お前らもこうなると。
「うわ、えっぐー……」
「まだ生きてるよ。かわいそーに」
ツルハシを肩にかついだ囚人たちが、遠巻きに見物して眉をひそめる。遊ぶように肉を裂いていた瑪瑙がやっと臓物にたどり着き、ピチャピチャという水音が聞こえてくる頃には、ようやく男の悲鳴もかすれて聞こえなくなった。
「さあ、野次馬はそれくらいにして。早く持ち場につきなさい」
背後で低い声がして、労働者たちは一斉に縮み上がった。
銀縁の眼鏡をかけた細身の男が、ゆっくりと建物から出てくる。
タタル天文学研究所所長、ザンスール。ここの最高責任者にして、瑪瑙の主だ。
「さっさと動かないと、瑪瑙のデザートにしますよ」
軽い口調で言うザンスールの声色にはぞっとするような威圧感があり、冗談だとわかっていても、労働者たちは本気で青ざめてしまう。それぞれの持ち場へと散っていく人波に紛れ、サスケは、こっそりと瑪瑙を観察した。
瑪瑙は、大きな長い尾をぶんぶん振ってバランスを取りながら、上半身を器用に傾けて、血肉の剝けた腹に頭をうずめている。硬い皮膚に覆われた顔は真っ赤に染まり、黄色い双眸だけがらんらんと輝いている。
ザンスール所長に忠実に従う、肉食の牢番――それが、瑪瑙だ。二足歩行で歩き、角質に覆われた分厚い皮膚と錐型の牙、そして鋭い爪を持つ、巨大なトカゲ。立って歩いているときの体高は八十センチほどだが、頭のてっぺんから長い尾の先までを測れば二メートルは下らないだろう。すさまじいのはその脚力で、胴体の直下から生えた二本の脚は恐るべきバネを備え、十数メートルの距離を一足飛びに移動してみせる。
ここは刑務所とは違う。巡邏たちは看守のように囚人たちの生活を四六時中見張っているわけではないし、囚人たちが暮らす房や各棟の玄関にも鍵はついていない。それでも、ここに暮らす囚人たちは、従順に規則に従う。その理由が、瑪瑙だ。
敷地内を厳然と見張り、規則を犯す囚人を容赦なく食い殺す瑪瑙の存在があればこそ、ここから脱走しようなどと考える者は、めったに現れないのだった。
天文学研究所に集められた囚人たちの作業といえば、主に地面を掘り起こすことだ。農作業用の鍬で、霜の混じった土をザクザクと削り取っていく。大きな岩や硬い塊に出くわしたら、慎重に掘り出して撤去する。その繰り返し。
巨大望遠鏡の土台を築くために必要な作業らしいが、古株が言うには、もう一年近く延々とこの作業ばかりやらされているそうだ。
「あー、さーみぃ……」
すぐそばで作業をしていたジジが、鍬を自分の腹に立てかけて、ゴシゴシと両手を擦り合わせた。
午前中は特に底冷えがひどくて、青っ洟(あおっぱな)も落ちる前に凍りそうなほどだ。
「サスケ、お前寒くねえの?」
「寒い」
正直に答え、サスケは鍬の柄を手のひらに擦りつけて、摩擦熱でわずかばかりの暖を取った。過酷な環境下での任務には慣れっこだが、寒いもんは寒い。
「あー、やってらんねぇ。なんでこんな寒ぃところに研究所なんて作ったかね。薙苓(ナガレ)じゃとっくに雪が溶けてるってのに。こんな生活が続いたら凍死しちまうっつの。あー、でも、今朝のやつみてえにバリボリ食われるくらいなら、眠ったまま気持ちよく凍って死んだ方がいいかもなぁ」
単調な作業に飽きたのか、ジジのおしゃべりが止まらない。
ジジはサスケと同房の囚人だ。食うものに困って盗みをはたらいた罪で、最低服役六か月。サスケとは同い年で体格も近いため、同じ作業区画を割り当てられたりと、何かとペアを組まされることが多い。
鼻を赤くして、しきりに指先を擦り合わせていたジジは、突然「うおっ」と声をあげた。
「やべ、マメつぶれた。あ、でも、ラッキー。これで医務室行ける」
「医務室に何かあるのか?」
「知らねえの? 新しく来た女医さん、美人で優しいって評判だぜ~」
ニヤついたジジが「しかも独身。恋人もナシ」と付け加えたので、サスケは首をひねった。
「なぜ独身だとわかる」
「だって、指輪してねえもん」
指輪?
なおも不可解そうなサスケの顔を見て、ジジは「あ、そうか」と気がついて続けた。
「お前、よその国から来たんだっけ。烈陀国の風習でさ、結婚するときに指輪を交換し合うんだよ。左手の薬指に指輪をつけてるのは、既婚者の印。で、その女医さんは指輪をつけてないから……あ、やべ。巡邏だ」
近づいてくる見回りの巡邏に気づいて、ジジは私語を打ち切った。歯の欠けた鍬を持ち直し、がりがりと地面を削って、真面目に作業しているフリをする。
これ見よがしに警棒を抜いて歩いてきた巡邏は、じろりとジジをにらんだが、サスケとは目を合わせようとしなかった。怖いのだ。
巡邏が行ってしまうなり、ジジは鍬を放り出して、溜めていた白い息を吐き出した。
「あー、だりーしさみーし、やってらんねえ」
同感だ。
サスケはため息まじりに、背後を振り返った。
剝き出しの山肌が連なる山脈の頂に、タタル天文学研究所が静かに佇んでいる。標高五千メートルの頂に建つ、厳戒の石牢。かつて、あの六道仙人が滞在したと言われる場所だ。
六道仙人が、このタタル天文学研究所に滞在した当時の記録を集めること。それが、サスケがここへ来た目的だった。
火の国にいるナルトは、とある病に苦しんでいる。そして、この地に残る六道仙人の記録をかき集めることが、サスケが今ナルトのためにとれる、ほとんど唯一の行動なのだ。
今回ばかりは、ほかにできることのない自分がもどかしい。こうしている間にも、ナルトの病状は刻一刻と進行しているというのに――
「どうしたよ、怖い顔して」
ジジに声をかけられて、サスケは思考を中断した。
伸び放題の前髪の陰から、同房者の切れ長の目が、不可解そうにこちらを見ている。
「いや、なんでもない」
「ホントか? なんかすげえ深刻そうな顔してたぞ」
「気にするな」
ごまかすと、サスケは片腕で器用に鍬を握り直した。
夕食を終えて自分の房に戻ってきたサスケは、鉄格子の扉に手をかけるなり、ひしゃげた悲鳴に迎えられた。
「゛あ―――――っ!」
部屋の真ん中で、ひょろっとした小柄な男が床の上に突っ伏している。全部で三人いるサスケの同房者のうちの一人、ペンジラだ。対面にはジジがあぐらをかき、二人の間には、茶碗とサイコロが転がっている。
「ジジ、てめェこの野郎! ゾロ目出しやがって!」
「わりーな、煙草もらうぜ」
ジジがにやりとして、床の上の煙草を自分の方へ引き寄せる。どうやら、チンチロリンで遊んでいたところらしい。
娯楽のない収監生活の中で賭け事にハマる囚人は多いが、ペンジラは娑婆にいた頃からのギャンブル狂だ。といっても下手の横好きで、負け越しの連続で借金が溜まり、返済のために持参金目当ての結婚詐欺を繰り返して捕まった。最低服役一年。
「あ、サスケ。一緒にチンチロやろうぜ~」
サスケに気づいたペンジラが、性懲りもなく、茶碗の中のサイコロを鳴らした。
「オレはいい」
「なんだよ、つれねえな」
つまらなそうに口を尖らせると、ペンジラは部屋の隅へと首をひねった。
「ガンノ! お前はやるだろ? お絵かきなんてやめて、そろそろこっち来いよ」
三人目の同房者、ガンノに声をかける。
部屋の隅に、卵を抱いた鳥のようにうずくまっていたガンノは、ペンジラに背を向けたまま、
「今はだめだ」
と、そっけなく答えた。
六十代半ばのガンノは、この房でぶっちぎりの年長者だ。すっかりたるんだうなじの皮には、赤い絵の具がこすれてこびりついている。
「まだやってんのか。飽きねえなあ」
「話しかけるな。完成間近の大事なところなんだ」
外の作業に出ていたガンノが突然、「いいものを見つけた」と言って、赤茶色の石ころをポケットにたんまり詰め込んで帰ってきたのは、一か月前のことだった。翌日からガンノは、手の皮がズル剝けになるのも構わず、毎朝毎晩、ひたすら石同士をぶつけて砕き続けた。丸五日かけて全ての石を砕き終えると、今度は自分の足の裏の皮を無理くり剝がした。そして、食事当番の連中に頼み込んでかまどの一区画を空けてもらい、朝食前後の二時間を使って、二週間近くかけて合計三十時間その皮を煮込んだ。
血まみれの足の裏にサラシを巻くガンノの姿を見て周囲は正気を疑ったが、当の本人はいたって楽しそうだった。
皮が溶けてトロみのついた煮汁と、苦労して砕いた赤茶色の粉末。
たった二つの材料がようやくガンノの手元にそろったのは、ちょうど、サスケがここに初めて来た日のことだ。新参者への挨拶もそこそこに、ガンノはマツブサの葉の上で、両者を混ぜ合わせ始めた。よくわからない作業に没頭している同房の男の手元をのぞきこんで、サスケは思わず息をのんだものだった。
くすんだ赤茶色の粉末は、煮汁と混じってみるみる粘度を増し、つややかな赤褐色へと変化していったのだ。数分も練り続けると、まるで紅梅を舐めたように鮮やかなカーマインの岩絵の具が完成した。
それからというものの、ガンノは毎晩、松の葉を絵筆に、自分の足の爪をキャンバスにして、描画を楽しんでいる。
「どうせ、来週の持ち物点検の前に落としちまうんだろ」
似合わないネイルアートにいそしむ男の背中に向かって、ジジが呆れて声をかける。
「だから急いでるんだよ。もう小指まで来た」
答えるガンノの声は、どこか楽しげだ。
国家反逆罪で、最低服役十七年。宰相と対立する貴族の肖像画を描いたことが、ガンノの罪状だった。父親も画家で、物心ついたときには、好きも嫌いもなく絵筆を握らされていたという。
三週間かけて作った絵の具で、一週間かけて絵を描く。来週には消さなければいけないとわかっている絵を、そうまでして完成させたいと思うガンノの気持ちが、サスケにはわからないでもなかった。ここでは娯楽も目標も貴重なのだ。
囚人たちは、基本的に四人で六畳の独房を分け合い使っている。狭いスペースにそれだけの大人がそろえば衝突が起きるのも当たり前で、血みどろになるまで殴り合いをしたり、衰弱死するまで一人をイジメぬいたなんて事件は日常茶飯事だ。そんな環境下にあって、サスケのいる房は比較的平和だった。仲良しこよしとはいかないが、今のところ、表立った問題は起こっていない。
ガンノは芸術活動に没頭し、ジジとペンジラは賽の目の組み合わせに一喜一憂。サスケは消灯の時間まで、ぼんやりと月を眺める。この房は毎晩、そんな感じだ。
「なー、サスケもやろーぜー」
「最初に親やらせてやっから」
一ターン終わるごとに、ジジとペンジラは寂しそうにサスケを誘った。
「やらん」
短く答えたサスケは、小さな物音を聞いて、中庭に面した窓の方へと視線を向けた。
白く射し込む月光を、影が一瞬だけ遮る。おそらく、瑪瑙が中庭にいるのだろう。
瑪瑙に関して、サスケには気になることがあった。
調べるなら、自由時間の今が好機だ。
「気が変わった」
サスケは立ち上がり、ペンジラの正面に座り直した。
「相手になってやる」
「えっ、まじ? やったー!」
「煙草は持ってないから、代わりに賭け金はこれでいいか」
そう言ってサスケは、懐に手を差し入れ何かを取り出すふりをして、指の先でチャクラを練った。土遁の応用技で、土中に含まれる特定の元素比率を極限まで上げ、原子の配置をなめらかに整えて結晶化する。
手のひらの上で、ころんと赤い石が転がった。
さくらんぼほどの大きさの、どでかいルビーだ。
「え? 宝石? 本物?」
「いや、まさか。ガラスかなんかだろ」
ペンジラとジジが、しげしげと宝石を見つめる。
サスケは肯定も否定もしなかったが、手のひらの上の宝石は物理的にまさしく本物だ。残念ながら人工だが。
「きれいなガラス玉なんかもらってもなぁ。火ぃつけて吸えねーと楽しめねえじゃん」
「てかお前だってもう賭ける煙草ねえだろ、さっきのゲームでオレに全部取られたんだから。食事当番でも賭けとけ」
サスケは、茶碗を手に取った。
「煙草はいらないし、当番も変わらなくていい。代わりに一つ、頼みを聞いてくれ」
「頼み?」
「あとで言う」
茶碗を畳の上に置いて、サイコロを三つ、握り込む。
そして顔を上げて、ペンジラに聞いた。
「一番強い出目はなんだ」
「やっぱルール知らねえんじゃん。ピンゾロだよ。数字の一が三つそろったやつ」
「じゃあそれを出そう」
ジジとペンジラが、顔を見合わせる。
ガンノも作業の手を止めて、サスケへと視線を投げた。
サスケは、握った手のひらの中でチャクラを練った。サイコロを投げる間際、気づかれない程度の微風を一緒に飛ばす。
キィン、と乾いた音をたて、木製のサイコロが茶碗の中を転げた。
「まじで……」
三つ並んだ赤い丸を見て、ペンジラがあんぐりと口を開けた。
サスケの狙い通り、出目はもちろん、ピンゾロだ。
ジジとガンノも呆然としている中、サスケは悠々と立ち上がった。
「オレの勝ちだな」
「宣言してからピンゾロ出すなんて、そんなラッキーあるかよ。イカサマだろ」
たまらず抗議したペンジラの肩を、ジジがポンと叩いた。
「諦めろって」
囚人同士のギャンブルにおいて、イカサマは日常茶飯事だ。そして、現行犯でタネを見抜けなければイカサマはイカサマにならない、というのがここでの暗黙のルールだった。
「オレの頼みを聞いてくれる約束だな、ペンジラ」
「……あんまりハードなのは無理だぞ」
「安心しろ、簡単なことだ」
そう言うと、サスケは立ち上がって戸口に向かった。「散歩してくるから、巡邏の見回りが来たら適当にごまかしておいてくれ」
冗談だと思ってペンジラはへらっと笑ったが、サスケが真顔なのに気づくと、慌ててサスケの足に飛びついた。就寝前の自由時間は、房内にいる限りは何をしようと自由だが、房の外へ一歩でも踏み出した瞬間に規則違反になる。
「無理に決まってんだろ!明らかに一人足りてねえのに、どうやってごまかすんだよ!」
「布団でもふくらませておけ」
「騙されるか、そんなんで! 巡邏の連中は五歳児じゃねえんだぞ!」
ぎゃあぎゃあわめくペンジラを追いはらって、房の外に出る。
鉄格子ごしに、ジジが「サスケ!」と声をかけた。
「わかってんだろうな。規則違反が見つかったら、問答無用で懲罰房行き。相手が瑪瑙なら言い訳する間もなく食い殺されるぞ」
「すぐ戻る」
サスケが平然と返すと、ペンジラは「そういう問題じゃねえんだよ……」とうめいた。
読んでいただきありがとうございました。
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