試し読み【アフターコロナの恋愛事情】『仮面学級』 北國ばらっど

「起立――」

 狭く暗い教室の中で、委員長である根津(ねづ)さんが声をあげた。

ネズミの仮面をつけているから、表情は分からない。

 ただ、口調や普段の雰囲気から、きっと根津さんは簡単な挨拶すら、楽しそうにしているのだろう。

「――礼、着席」

 礼ひとつとっても、キビキビして見える根津さん。

なぜかワンテンポ早い鳥居(とりい)さん。

 ガタガタ騒がしい猪野(いの)さん。

 イマイチやる気のなさそうな馬場(ばば)さん。

 それに、犬山(いぬやま)さん。

 動物の仮面をつけた十三人の生徒が、各々好きなようにお辞儀をする――僕の描く、イメージの中の教室。

 誰が誰かも分からない。

 名前も素性もでたらめで、男子か女子かも曖昧だ。

 けれど間違いなく、ここに集まった十三人の生徒は、深空(みそら)高校1年A組の生徒たち。

 集まったと言っても、ここは実際の教室でもなければ、部室でもない。

 チャットアプリの中に作られた、電子の教室。

「それじゃあ、みなさん」

 仮面学級。

 僕らが僕らでいられる、架空の箱庭だ。

「今日も一日、楽しくやりましょうね!」

          ◆

 知らないところで桜が咲いて、散った。

 四月の半ばごろのことだった。

 世間が見えない脅威と闘ってる間、高校に上がったばかりの僕には、入学式も初登校もなかったが――べつに平気だった。

 大人はのんきに「学校に行けない子がかわいそう」とか言っていたが、とんでもない。

 正直、僕は学校が苦手だ。

 流行(はや)りの番組、芸能人、売れてる音楽、クラスメイトの近況。

 会話と言うより定型文の羅列。

 口調を作り、話題を合わせ、ノリを合わせていく。

僕に言わせればクラスの会話って、せーの、で続ける大縄跳びみたいだった。

 本当の僕はバラエティ番組より古い小説が好きで、定番のスイーツより駄菓子が好きで、アイドルの曲より雨の音が好きなのだ。

 だからもう、全然平気。クラスに顔出さなくていいの最高。

 だったのだけど……勉強が遅れるのは困るし、家でする自習が思ったより捗(はかど)らないのも不味(まず)かった。

 学校って遊びたいところじゃないけど、勉強するためのところではあったのだ。

 そんなある日。イマイチやる気が出ない中、ふと「僕以外の連中はどうしてるんだろう」と、SNSで学校名を検索してみると……妙なつぶやきを見つけた。

 それが根津さんのアカウントだった。

 いわく、〝仮面学級〟。

 学校が始まるまでチャットアプリを使い、深空高校1年A組に入学予定の生徒だけで、匿名の〝学校ごっこ〟をしよう、という募集だった。

 怪しいとは思った。

だが、要は「家にいると勉強する習慣がないので、学校っぽい雰囲気を作って、お互いに勉強の報告をしあおう」という内容だったので、それは悪くないと思えた。

条件はみっつ。

顔写真を使わず、用意されたアイコンを〝仮面〟として使うこと。

本名を使わず、架空の名前で登録すること。

そして、仮面学級の中での話は、勉強以外は全て「嘘でも本当でもかまわない」ということ。

意外と面白そうじゃないか、と思ったのが正直な感想だ。

自分を曝け出さないのは、別に現実のクラスでも同じこと。

加えて、ここでなら好きなように振る舞って輪に入れなくても、その後の学校生活が不便になったりはしない。

匿名なのだし、怪しい集まりだと思ったら、すぐにチャットから抜ければいい。

そういうわけで、暇つぶし半分のつもりで、僕は「猫(ねこ)谷(や)」という架空の生徒として、仮面学級の一員となったのだが――。

          ◆

……楽しい!

すごく楽しい!

正直、仮面学級は、僕にとってとても居心地のいいものだった。

「そう言えば馬場さん。今日遅刻してきたけど、寝坊?」

 本日の勉強会を終え、根津さんは馬場さんに話題を振った。

発言を書き込んでいる最中は、〝書き込み中〟の表示が出るので、馬場さんが返事をしようとしていることは分かった。

 リアルタイムに声のやりとりができなくても、多人数での会話がスムーズに回せる理由でもあった。

「う~ん、ごめんね~。深夜にやってるアニメ見てた~」

「またか。深夜のアニメってエロい奴じゃない?」

「エロいよ~。めっちゃエロい。5分に1回パンツ見える~」

「エロいの!? 堂々としすぎじゃない?」

「エロいけど面白いんだって~。私このシリーズ小学生のころからパンツ追ってる~」

「ベテランのエロガキじゃん! 叱れ! 親もっと叱れ!」

「私の親、夜働いてるから帰ってこなくて~」

「あ、ウチもウチも!」

 鳥居さんが、文字でも分かるくらい食い気味に混ざる。

「親が夜帰ってこないと心細いんやって。したらテレビつけとくしかないやん。ウチ音楽ランキングの番組とか見てたわ」

「ね~、わかる。ウチは飲み屋なんだけど~、鳥居さんとこも~?」

「いや、ウチのパパ政治犯罪追ってるらしい」

「予想外すぎるよ~……」

「まぁウソやけどね、ウソウソ」

「またウソって言えばすむと思って~。ところで~鳥居さんって関西の人なの? 関西弁だよね」

「や、エセ関西弁やし。初恋の人が関西人だったから成り切っとるだけ」

「重~っ! どんな人だったの?」

「5個上の、家庭教師のお姉さんやった。ウチのことそんな風に見られんて言われてもうたけど」

「重~っ! さらっと重~っ!」

「まぁまぁまぁ、マジ話とは限らんけどな」

「まー、仮面学級だもんね~。私の話もウソかもしんないし~」

「せやせや。それがここのエエとこやろ」

 仮面学級では、誰が誰だか分からない。

 みんな仮面をつけているため、勉強を除くここでの会話は全て「嘘でもよい」ということになっているが――そのルールが逆に、会話を明け透けにしている。

 最初はそうでもなかったが、タガが外れるのは早かった。

 誰が誰でも分からない、本当か嘘かも分からない。

 最初は馬場さんだったか。半ば冗談のようにオタクだとカミングアウトした。

 巳(み)戸(と)さんはピアノコンクールに出ているらしいが、本当はピアノなんか好きじゃないらしい。猪野さんは中学まで保健室登校だったらしい。兎(と)海(うみ)さんは異性の服を着る趣味がある。辰(たつ)美(み)さんは厳しい両親に内緒で、マンガを描いている。

 全て、真実とは限らない。

 単なるジョークやでまかせかもしれない。

けれど決められた流行の話題に、空気とノリを読んで返事をする。そういう不文律が、ここにはない。何を言って失敗しても、最悪、このチャットから退室してしまえば良いのだ。

匿名だからこその、緩い空気。

それが仮面越しの僕たちを、現実よりよっぽど素顔にしている。

「――猫谷くん」

「あ、はい」

 ぼーっと会話を眺めていると、犬山さんに話しかけられた。

 黒い犬の仮面(アイコン)。

犬山さんは、あんまりクラスの話題に口を挟まない。けれど、賑(にぎ)やかな会話を眺めているのは好きらしい。

僕と同じタイプだけど、もっと上品な雰囲気が犬山さんにはある。

「風邪は治った? 昨日はまだ、本調子じゃなかったみたいだから」

「あー……うん、大丈夫! 少し早めに休んだら、元気になったよ。普通の風邪だったみたい」

 僕は少しだけ、焦りながら返事をした。

 この時期の風邪は、ただでさえ大ごとに見える。体調を崩した時はボーッとして、つい素直に教えてしまったけど、後から失敗だったと思った。

 ここが仮面学級でなければ、白い目で見られていたかもしれない。

 けれど犬山さんは僕の焦りなど他所(よそ)に、ただ純粋に心配してくれているようで、画面越しでも……いや、仮面越しでも、それが分かる。

「そう、良かった。でも、無理だけはしないように。実際の学校だって、体調が悪かったら休むのだから」

「……ん。ありがと、犬山さん」

 文字だけでも分かる、落ち着いた物腰。

 出しゃばりすぎない。控えめでもない。

言うべきことは言い、聞くべきことを聞く。

 電子の仮面越しのこの場所で、犬山さんは皆より少しだけ、大人に見える。

 ……イメージ的には、たぶんさらっとした黒髪。

眼鏡も似合いそうだ。

 教室の隅で文庫本――きっとミステリなんか読んでいて、なびくカーテンの隙間から差し込む日の光が、風にさらさら揺れる黒髪を透かす。

 教室の喧騒(けんそう)の中で、犬山さんの周りだけは、時間がゆっくり流れている。

 けれど孤立しているわけじゃなくて、クラスメイトの声を、犬山さんはきちんと聞いていて、時々文庫本の端から、見守るように視線を向けて。

 そして目が合うと、くすり、と。少しミステリアスに笑うのだ。

 ……いや、全部僕の勝手なイメージなのだが。

 とにかく犬山さんの雰囲気ってそういう感じだ。

 だから個人的に気にかけられたり、話しかけられたりすると、ちょっと緊張する。それはたぶん、仮面学級のクラスメイト皆が、そうだと思う。

 ……ううん、正直、僕個人がそれを嬉(うれ)しいと思っている。

 だから、折角犬山さんから振ってくれた会話を、切り上げたくなくって。

「あの」

「なあに?」

「犬山さんって、仮面学級以外だと、どう時間潰してる? 部活もないし、テレビは飽きちゃって」

 なんて、話を続けようとしてしまう。

 中学校に通っているころの僕が見たら、笑ってしまうような行為だろう。

「んー」

 犬山さんは、さも「いま考えてますよ」ということを示すように、書き込みを一拍おいてから、返事を続ける。

「…………曲、作ったりとか」

「作曲?」

「なんや、アーティスティックな趣味やん犬山」

 鳥居さんが会話に挟まってくる。

僕が慌てて「いいじゃん作曲!」と返すと、「や、別に悪いとは言うてない」と鳥居さん。確かにそうだ。焦りすぎだ。大丈夫か僕は。

 けれど犬山さんはさほど気にした風でもなく、話を続けてくれる。

「本とかネットで調べてやってみたんだけど……これが意外と面白くって」

「動画サイトとかにアップしてるん?」

「ううん、自分で聴くだけ。シュミだし」

「勿体(もったい)なくない? せっかく作ったんやし、いろんな人に聴いてもらいたいんと違うか」

「そうでもないよ。ツルんでる友達がそういうの理解なくて……仲良い人にバレて笑われると、傷つきそうで」

「なんや、酷(ひど)い友達やな」

「ううん、良い友達だよ。ただ、ただ単純に、何が良いのか分からないみたい」

「ほーん、そんなもんか」

 鳥居さんは首をひねっているようだったけど、僕には割と、ピンとくる話だった。

分からないことは、悪くない。

みんな、自分と違う〝変わった物〟を笑うことに悪気なんかないのだ。だって、そういう風に生きて来たから。

 会話が一段落したのを見て、僕は鳥居さんと入れ替わる形で尋ねた。

「何か、作曲始めたきっかけとかあるの?」

「んー、もともと指で机叩(たた)いたりとか、鼻歌とか歌うクセがあって、作曲してみたら楽しいんじゃないかなーとは思ってたんだけど――」

 指で机を鳴らす犬山さんを想像する。

 きっと窓の外の景色を見ながら、たたん、たたん、とリズムを刻んで。

「――ネットに自作曲をアップしてる人を見つけて、やっぱその人がきっかけかな」

「教えてもらっても良い? その人」

「うん! すっごく良い曲作る人だから、良かったら聴いてみてよ! できればココアとか飲みながら」

「なんでココア?」

「なんていうか……しっとりした曲作る人だから。温かい物飲みながらだと、しっくりくる。そういう曲ってない?」

「あ、ちょっと分かる」

 僕がそう言うと、犬山さんはとても嬉しそうに、びっくりマークと、ニコニコしたスタンプを添えて返事をくれた。

 スタンプでの感情表現だけど、僕は犬山さん自身がとても上機嫌そうに笑っている姿が、ありありと想像できた。

 ……ていうか、そっか。

 犬山さん、ココアとか好きなんだ。へえー……。

 ぼんやりと、僕の頭の中で犬山さんの形が定まる。

 たぶんこの季節ならパーカーとか、だぼっとした部屋着に、楽なパンツスタイル。

 音楽をゆっくり聴くなら、きっと自分の部屋。

ベッドをソファの代わりに、温かいココアを両手で持って、冷ましながら、音楽に耳を傾けて、ゆっくりと甘さを楽しむ犬山さん。

 …………可愛(かわい)いかよ!

「じゃ、このあとココア淹(い)れて試してみるよ」

「良かった。たぶん猫谷くんは好きだと思うんだよね」

 その言葉だけで、病み上がりの体が仄(ほの)かに熱くなる。

 それから少し話して、その日の仮面学級はお開きとなった。

窓の外を見ると、曇っているせいか少し寒い気がした。

 僕はクローゼットから、冬の終わりごろに使っていた、少し袖の余る大き目のパーカーを出して羽織った。パステルブルーの生地が、一冬で少し色あせている。

それからキッチンへ行き、母さんに頼んでインスタントのココアを淹れてもらった。

寒い季節でもコーラやスプライトばかり飲んでいるから、「ココアなんて珍しい」と言われた。

 温かいマグカップをもって部屋に戻ると、さっそく教えてもらった名前で検索をかけた。

出てきたプレイリストの上から、とりあえず動画を再生する。それから両手でカップの温かさを感じながら、紅茶ラテをすする。

しっとりとしたメロディ。

降り始めの雨が、ぽつぽつと水たまりに波紋を作るようなリズムが、スマートフォンから響く。なるほど、温かさを感じながら聴きたい曲。一人でいる時間を、いっそう強調するような、どこか儚(はかな)く寂し気なメロディ。けれど僕は、ちっとも寂しくない。

犬山さんは、もっと良いスピーカーから聴いていたりするのだろうか。作曲するくらいだから、きっとパソコンで再生している。お小遣い、貯めてみようか。

 とっくに桜が散った季節。

 僕らの新学期はまだ遠く、日の光は雲の向こう。

 けれど甘いココアを啜(すす)るたび、僕は春が来たかのように頬(ほお)が温かくなった。

 明日の仮面学級が、僕はただただ待ち遠しかった。


この作品の続きは『非接触の恋愛事情』にてお楽しみください。

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