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試し読み【アフターコロナの恋愛事情】『過渡期の僕らと受け入れない彼女』 朱白あおい

■#1

 二〇三五年九月某日、夜。
 僕たちは山の中にいた。
 木々の間から公道の方を見ると、封鎖された県境の検問所が見える。
 僕たちが住むA県で感染症患者が発見されたため、五日前に県境が封鎖された。それ自体は普通のことだ。昔から、感染症患者が発生した地域は、封鎖して人の行き来をゼロにするのが当然だから。
 しかし、僕には行かなければならない理由がある。
 県境を越えなければならない理由がある。
「準備はいいか?」
 この『県境越え』に協力してくれた真琴姉さんが、最終意志を確認するように尋ねた。
「ああ、いつでもいいよ」
「あたしもOK」
 僕と弥子はそう答える。
 山中にいる僕たち三人にとって、明かりと呼べるものは夜空に浮かぶ月だけだ。
 ゆえに、その月が雲に隠れてしまえば……
 あたりは漆黒の闇に落ちる。
「行くぞ!」
「「了解!!」」
 僕たちは夜闇の中を駆ける――

 その五日前。
『映画、楽しかったね、洋太君』
『試写会のチケットが取れてよかったよ。今年一番の話題作だしね』
『ううん、映画もだけど……洋太君と一緒に観てるから、だよ?』
『えっ、あっ、それは……』
『…………』
『あ、あああ、あのさ、麻音さん。今度の週末って空いてるかな?』
『…………うん。私も洋太君なら、リアルで会ってみたいかなって思ってたんだ』
『……』
『……』
『あ、ありがとう! それじゃ、待ち合わせの時間と場所は、また後で連絡するからっ!』
『うん』
 僕はシアターからログアウトし、VRゴーグルを外した。
「や……やったーーーーーー!!」
 思わず叫んでいた。
 麻音さんとデートをするのはこれで五回目。やっとリアルで会うことをOKしてもらえた!
 小之本麻音さんは三ヶ月前にSNSで知り合った女の子だ。年齢は僕と同じ十六歳で、僕が住むA県の隣のB県に住んでいるという。
 今度の週末、ついに僕は彼女に会えることになった。
 ネット上ではなくリアルで会うなんて、もう真剣交際レベルのカップル、完全に恋人同士がやることだ。
 僕と彼女は、その領域に足を踏み入れようとしている!!
 ……もっとも、昔は単なる友達くらいの男女でも、リアルで会って買い物に行ったり、映画を観たり、カラオケに行ったりということは多かったらしい。古い小説や漫画なんかを読むと、そう描かれていることがよくある。
「人がそんなに軽々しくリアルで会ってたなんて、信じられないけどな……」
 昔は、今と感覚や常識が違っていたんだろう。
 大人たちが言うには、僕が生まれて間もない頃――二〇二〇年頃を境に常識が変わったんだとか。その頃から、世界中で感染症の危険性が注目されるようになって、生活様式が変わっていって……人と人がリアルで会うことは減っていったそうだ。そして今のように、あらゆることがネットで行われるようになった。
 老人や大人たちは現代の生活に不満を持っている人もいるみたいだけど、僕としてはデートはまずオンラインでやるのが当然だと思うし、映画鑑賞も買い物もカラオケもVR空間で行うものだ。さっき僕と麻音さんがVR空間で映画デートをしていたように。
「…………麻音さんとリアルで会う……どういうプランを……いや、しかし……重要なのは普段通りの自分で……いやいや、でも……」
 リアルデートって、どうすればいいんだ!?
 僕はパソコンの通話アプリを起動させ、二人の友人にビデオ通話で呼び出しをかけた。
 ビデオ通話の呼び出しコールが数回続いた後、ロングヘアーで大人びた顔つきの女性が画面に映る。
『どうした、洋太。何か用事でもあったか? 可愛い弟分の願いなら、お姉ちゃんはなんでも聞いてやるぞ』
 彼女は松尾真琴、僕より三つ歳上の大学生だ。
 そして少し遅れて、もう一人の女の子も呼び出しに応じて画面に表示された。
『何なのよ、急に呼び出して』
 彼女――松尾弥子は少し棘のある口調で言う。弥子は姉の真琴とは対照的に童顔で髪もショートカット。僕と同い年で、最近はなぜか僕に対して不機嫌そうな表情を見せることが多い。怒っていなければ、見た目は割と可愛い方だと思うんだけど。
 松尾姉妹は僕の二軒隣に住んでいて、いわゆる幼馴染みという関係だ。
 そんな二人に対し、僕は――
 パソコンのカメラの前で恥も外聞もなく土下座した。
「僕にデートの仕方を教えてくれええええええええ!!」
『はぁ?』
 弥子は怪訝そうな声を漏らし、真琴姉さんは何かを察したような口調で言う。
『なるほど……例の「麻音さん」か?』
 僕は土下座状態から顔を上げ、コクコクと頷く。
『麻音? ……ああ、洋太がネットで連絡を取り合ってるっていう女の子ね』
 弥子は興味なさそうにつぶやき、真琴姉さんはどこか楽しげな笑みを浮かべる。
『最近、ちょっと良い関係になっているらしいな。ついにリアルでデートでもすることになったか?』
「うん、そうなんだよ」
『……は!? え、リアルで会うの!?』
 弥子は驚きと軽蔑が入り混じった表情を浮かべる。
『不潔。何よそれ、男女がリアルで会うって……』
『フフ、まぁそう怒るな、妹よ。確かに最近ではリアルで会うイコール真剣交際、完全な恋人同士というイメージだからな。洋太、お前もついに一段上の男になるというわけか。ビデオ通話でなかったら、お姉ちゃんが頭を撫でてよしよししてやっているところだ』
「真琴姉さんがくれた試写会のチケットのお陰さ!」
 今日、麻音さんと行った映画のチケットは、真琴姉さんがくれたものだ。
 弥子は不機嫌そうに言う、
『ああ、そう。じゃあ勝手に会ってくればいいじゃない。あたしたちには関係ないし』
「弥子。この僕が、自分の力でリアルデートなんてできるとでも?」
『……無理そうね。洋太って、全然女の子慣れしてないもんね』
「ああ、そうさ、悪いかよ! とにかく今週末に麻音さんとのリアルデートなんだ! 女の目線からアドバイスをくれええええ!」
 再び土下座!
『今週末?』
「そうだよ、真琴姉さん!」
『麻音さんは隣のB県だよな?』
「ああ」
『ついさっきネットで情報を見たんだが……県境が封鎖されたらしいぞ』


■#2

「県境が……封鎖?」
 僕は真琴姉さんの言葉に愕然とする。
『ああ』
 真琴姉さんはビデオ通話のチャット機能で、ニュースサイトのURLを送ってくる。
『こちらのA県で、感染症罹患者が確認されたらしい。インフルエンザの亜種だとさ』
 ニュースサイトには、「ワクチン承認過程を簡易化する法案が議会通過」「生活スタイル変化による出生率低下」「夫婦別居・親子別居 新しい家族の在り方とは」などといった記事タイトルが並んでいる。
 その中に、A県で新型インフルエンザの感染者の発生が確認されたという速報が書かれていた。それに伴い、周辺の県からの要請を受けて、A県は県境を封鎖した。A県民は緊急かつ重要な用件がない限り、県外へ出ることが禁止されてしまった。
 近年ではどこかの県で感染症が発生すると、すぐさま県境が閉ざされるのが通例だ。インフルエンザは頻繁に新型が生まれるし、大昔にパンデミックで五千万人が死んだこともあるらしい。最も警戒される感染症の一つだ。
「そんな……」
『あーあ、残念だったねー。せっかく洋太に恋人ができるチャンスだったのに、台無しだねえ』
 さっきまで興味なさそうだった弥子は、どこか楽しそうに言う。
 くっ、僕の不幸がそんなに嬉しいか。
『いや待て、方法はあるさ』
 真琴姉さんがパソコンの画面越しに真剣な表情で言う。
『封鎖された県境を越えればいいんだ』
「……え?」
『洋太。金曜日に私の家に来てくれ』

 金曜日――デートは土曜日にしようと麻音さんと連絡を取った――に、僕は松尾姉妹の家を訪れた。
 二人の家に来るのは数年ぶりになるかもしれない。
 真琴姉さんの部屋には弥子も来ていた。
「県境越えをする場合、問題になるのは二点。一つはGPSリング。もう一つはB県への侵入経路だ」
 真琴姉さんが言うGPSリングとは、感染症が発生した地域の住人がつけなければならない腕輪だ。住人の動きを監視し、感染者が出ても感染ルートを特定できるようにするための道具だが、それによって住人は県をまたいで移動したらすぐにバレてしまう。
 また、感染症発生地域から他の地域へ移動するルートは、すべて検問が行われているか、完全封鎖されて通れなくなっているはずだ。
「GPSリングはこれで誤魔化す」
 真琴姉さんはICカードリーダーのようなものを取り出した。
「お姉ちゃん、何それ?」
 弥子が怪訝そうな顔をする。
「ガジェットオタクのツテを使って手に入れた代物だ。感染症発生地域の住人は、GPSリングを十五分以上外していれば異常発生と見なされて通報される。だが、こいつを使えば『リングを外していない』と誤認識させることができる」
 真琴姉さんはICカードリーダー似の機械をパソコンに繋ぎ、アプリを起動させる。その後、自分のGPSリングを腕から外し、機械の上に置いた。
 すると、GPSリングの表面に「Wearing(装着中)」という文字が表示される。
「どうだ? これなら、GPSリングを外して長時間の移動も可能だ。B県へ行くことだってできる」
「さすが真琴姉さん……!」
 この人は機械マニアで、謎のツテでよくわからない家電や機械を調達してくることがあるが、それが今回は役立ったようだ。
「後はB県への侵入経路だが……」
 真琴姉さんはタブレットに地図を表示させ、隣県への経路を説明し始める。
「検問が行われているのは、山越えしていくルートと自動車専用道路を使うルートの二つだけだ。それ以外の道はすべてバリケードで完全封鎖されている。近づけば問答無用で拘束だ。だが、検問が行われているルートなら、抜けられる可能性がある。自動車道は免許を持っていない私たちでは通れないから、狙うなら山越えルートだな」

 そして今、僕と真琴姉さんと弥子は夜の山中にいる。
「弥子と真琴姉さんもついて来るのか?」
「もちろんだ。大好きな弟分の洋太に、初めて彼女ができる瞬間を見たいのさ。なにせ私はNTR[ルビ:ねとられ]フェチだからなあ」
 真琴姉さんは何やら得意げにそう言った。
「ねとられ……?」
 なんのことだろう?
「昔のインターネットスラングだよ。最近、二〇〇〇年代初頭のネット文化を調べることが趣味になっていてな。あまり深く考えるな」
「よくわからないけど、真琴姉さんがそう言うなら。弥子は?」
「……あたしも、今日はB県に行かないといけない理由があったから」
 弥子がごにょごにょと言う。
「理由?」
「……今日は『刻陰のアルカディアン』のBDの発売日なのよ! 店舗特典は向こうのアニメショップで買わないともらえないの! 特典配付期間は一週間だけだから、今じゃないと手に入れられないし!」
「BDなんて買わないで、配信サイトで観ればいいんじゃないか?」
「わかってないわね。『実物を所有する』ってことが重要なのよ!」
「弥子は尚物主義者[ルビ:しょうぶつしゅぎしゃ]だからな」
 と真琴姉さんが呆れ半分の口調で言う。
「尚物主義って言い方、嫌い」
 不満そうに口を尖らせる弥子。
 実物を蒐集することにこだわるオタクは『尚物主義者』と呼ばれ、オタク仲間からも嫌われているらしい。
「そう怒るな、マイシスター。可愛い顔が台無しだ。まぁ、二〇〇〇年代初頭なら、オタクはアニメのBDなどの実物メディアを買うことが普通だったらしいぞ」
「そうなのか?」
「ああ。感染症のせいでアニメショップが減って、配送業も物流倉庫のパンデミックで崩壊して、データ販売・ウェブ配信方式が主流になる前だな」
 やっぱり昔の感覚というものは、いまいちピンと来ない。
 ……いや、でもよく考えてみたら、僕がまだ幼い頃、本や漫画なんかは実物を買ったり、BDで映画を観たこともあった気がする。その頃までは、かろうじて『実物を持つ』習慣が残っていたんだ。今なら本は電子書籍を買うし、映画もアニメも配信で観ることが普通だけど。
「さて、雑談は終わりだ。そろそろ始めようか、県境越えを。――準備はいいか?」
「ああ、いつでもいいよ」
「あたしもOK」
「行くぞ!」
「「了解!!」」
 A県からB県へ行く山越えルートは、公道は検問されているため通れないが、山中の獣道を通れば県境を通過することができる。獣道は整備されていないけど、足元に気をつければ行けない道じゃない。
 僕たちは足元に気をつけながら道を進む。
 途中で真琴姉さんがスマートフォンを弄ると――僕たちがいる場所と公道を挟んで反対側の山中で、甲高い炸裂音がした。
 検問官たちは何事かと騒ぎながら、音がした方へ向かう。
 その様子を見ながら、真琴姉さんは満足げに頷いた。
「スマホからの信号で大量のかんしゃく玉と爆竹が爆発するように仕掛けておいたのさ。陽動だ。これで検問官たちのこちら側への注意は薄くなる」
 真琴姉さんの言葉と同時に、僕たちは県境に近づく。
 僕たちは県境を越えて――
 B県に侵入した。
 県境越えは、意外なほど簡単に成功した。
「……よし!! どうだ、洋太。計画通りだ!」
「やったね、真琴姉さん! 楽勝だよ!」
「ちょ、そんな大きな声を出したら――」
 弥子の声を遮り、公道の検問所の方から声が響く。
「おい、そこに誰かいるのか!? 何をしている!?」
 まずい、見つかった!
 検問所から山中へ人が入ってくるのが見える。
「ああああ! 見つかっちゃったじゃない! どうしよう、洋太ぁ!?」
「どどどどうしよう、真琴姉さん!」
 検問所から僕たちがいる場所まで、数十メートルしか離れていない。道が整備されていないとはいえ、すぐにここまでたどり着くだろう。
 捕まったら、A県に強制送還だ。
 麻音さんにも会えなくなる。しかも今後、緊急事態下で県境越えをした人間とレッテルを貼られ、世間に後ろ指をさされながら生きていくことになるかもしれない!!
 検問官たちはもう数メートルのところまで迫っている。
 終わりだ――
 そう思った時、突然真琴姉さんが立ち止まった。
「……ここは私が食い止める。お前たちは先に行け」
「お、お姉ちゃん!」
「真琴姉さん……!」
 真琴姉さんは僕たちに背中を向けながら、親指を立てる。
「行け」
 その背中が――やけにカッコよかった。
 真琴姉さんは検問官たちの方へ走っていき――
「確保ーーーーーー!」
「ぎゃあああーーーーーー!」
 あっという間に取り押さえられた。
 真琴姉さんの叫びが夜の山の中に響く。姉さんが囮になってくれたお陰で、検問官たちは今、僕と弥子の方には注意を向けていない。
「真琴姉さん!」
 助けに行こうとする僕の手を、弥子が引っ張る。
「あたしたちまで捕まったら、騒ぎが大きくなるだけだよ! 今は逃げないと!」
 僕は弥子に引っ張られて、山中を進んでいった。


この作品の続きは『非接触の恋愛事情』にてお楽しみください。

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