冬の晴れ間と最終講義
「先生の授業を受けることができて、本当この学校に入って良かったです」(大意)、と
ある看護学校の学生さんが書いてくれました。
ありがたや。過分なお褒めのお言葉、ありがたや。過分です。でも、嬉しい。
今日は最後の社会学の授業。
実は、看護学校に社会学の講義があるなんて、自分が担当するまで知りませんでした。
たまに学生さんにも「なんで社会学あるんですかねー?」と言われながら(なんでだろねー、て返事してました笑)、なんとか無事に15コマを無事に終えることができました。
2つの看護学校での講義はこれで、本年度はおしまい。論述試験にした方はすでに採点を終えていて、もう片方は年明けのレポート課題待ち。
みんな、何を書いてくるかなぁ。
毎回楽しみ。
最終講義の内容は自分のド専門の「ハーフ」と海外ルーツについて、大変入り組んだ話をしてしまったのだけれど、コメントに「今日の内容、授業のはじめの頃だったら絶対わかんなかったと思います笑」とあったので、半年間の間に、色々なんとか手渡せていたみたい。
ホッとする。
看護学生のみんなの授業も実習も本当に大変みたいで、教室に入ると、なぜか「よっしゃーー」と言われたり。
そんな日に限ってこちらの持ちネタがディープな話で「デレツンなんすか…」とコメントペーパーに書かれたりも(笑)
それでも、最後の最後に、冒頭にあげた文章を書いてくれたりするのだから、本当に授業って不思議。
「ネット」の世界ではなぜか「社会学者」が不人気だったりするけれど、やはり
必要な人に、必要な時にうまいこと手渡すことができれば、とても「役に立つ」ものではないのかな、と思う。
そして「おもしろい」ものでもあると思う。
シンプルだし、ナイーヴかもしれないけど、かつて自分自身がそうだったように、授業をするたびにそう思える。
(もちろん社会学に限らないとも思う。大学学部生時代の印象に残っている授業、実際バラエティに富んでいますし)
あぁ、でも。「おもしろい」はともかく、「役に立つ」とか僕が言ったら、学生のみんなから「お前が言うんかい」と言われそう笑
でも、どんな形であれ、みんなにとって「使える」ものを手渡せたなら、本望です。
ラッキーなことに、本に書かせて頂いたり、編んだり、WEB媒体やマスメディアを介することで、講義が終わってからも、つながれるチャンスをもらえている。
その時にまた「おもろいやん」と思ってもらえるように、磨きをかけていかねば、と決意を新たにしました、なんてよくあるフレーズを最後に書いて終わります。
みんな、ありがとう。
みなさんへの感謝と今から #唐揚げ と #ラーメン 食べたい気持ちでいっぱいです。
残る授業は、メディア論。
がんばりまっする。
今日はもはや、ただの日記ですな。なんだかすみません。
では
ケイン樹里安
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