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執着を手放して本当の彼を知る。

相手に執着するのは愛とは違う。

執着はあなたの「不安」から来るもので、「愛」と勘違いされているもの。

不安「愛されてないのかもしれない。遊ばれているだけかもしれない。と思って夜も眠れない」
愛と勘違い「こんなに愛しているから、彼にはベストな選択をして欲しいからしつこくA案を勧める」

最近、“Let Them Theory” というのを学んだ。
日本語だと「好きにさせてあげて理論」とでもいうのか。
要はその人への執着をやめるということだ。

私がこの理論自体、大して物珍しいものではない。

  • 仲間から貴方を外してディナーにいくなら、好きにさせてあげて。

  • 好きな人があなたとの関係にコミットできないなら、好きにさせてあげて。

  • 会社が解雇するなら、好きにさせてあげて。

とにかく、相手への執着にかける時間とエネルギーがいかに無駄であるか。
いかに他人のことで感情的になることが貴方の人生を削っていることになるのか。コントロールできないことに目を向けるのではなくて、コントロールできることに目を向けて、そこに自分のことにエネルギーを使いましょうってこと。

私はこれだけであれば感動しなかっただろう。
でも決定的な新しい学びがあった。そうすることで得られる私にとって最大の利益。
それは、執着を外すことで「本当の相手を知ることができる」ということ。
期待無しに、求めることなしに。
もし、彼が連絡を頻繁にくれるとする。でもそれが自発的に彼がしていることなのか、それとも、相手からの欲求やプレッシャーを感じてしていることなのか。これは大きな違いだ。
それが自発的でないと長続きしないからだ。
なので、執着しないことは、真実の彼を知る最短ルートとなる。
そして、本当の相手を知った上で、次に自分の行動を選択することができるということ。その選択権は100%私にあるということなのだ。

前回のブログで書いたのだが、私には今恋をしている人がいる。
何でそれを恋と呼ぶのかはわからないけど。

私はその人のことをあまり知らない。それどころか、繋がってる感覚も残念ながらない。向こうからの好意を感じる(時がある)。それぐらい。それでもっと彼のことを知ってみたいという思いがあるのだ。
「彼のことをどういう人なのか知りたい」これが私にとって今のステージであるわけだから、「ありのままの彼を観察できること」は私にとって最大の利益だということだ。

もちろん、自分のニーズを伝えることの大切さも無視はできない。人間伝えないと分からないことだらけだし、他人同士うまくやっていくためには、ニーズを伝えることは不可欠になるだろう。でもそれは彼の行動を制限して、ありのまま(自発的)な彼でいることを妨げてはいけないという条件がある。

この辺の伝え方については私の考察をまた別のnoteで書いてみたいが、とにかく、Let them theory を知って自分がとても楽になった。それは、コントロールしない(執着しない)ことは、我慢ではなく、諦めでもなく、「本当の彼を知る」という最短の手段だと分かったら、むしろ自分から手放したくなってしまったのだ。そして手放すとこの解放感。
「本当の自分」になれる気がするのだ。




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