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恋愛における執着

ドキドキして食欲が失せる。
ワクワクして、フワフワして足が地についてない感覚。

宇多田ヒカルの「君に夢中」をきいてて、
薄々気がついていたが「私、恋に落ちたんだ」と唇が綻ぶ。
「恋に落ちた私」、、、久しぶりで楽しい。
初めの数週間はそんな感じだっただろうか。

次第に、私の恋心は苦しさに変わっていく。
恋ってそういうこともセットになってるんだった。

恋の吸いも甘いも知った40代の私でも、
20代のようなジェットコースターの様な恋はやめて
大人の落ち着いた恋愛を夢見てる私でも、
やっぱり、私は私だった。

執着心が強いのです。
あー昔、旦那との関係性の時もそうだったな。
今はどうして旦那に執着してないんだろ。

少し考えてみると、「安心しているから」だと分かる。
私たちは一緒には住んでないものの、最近はお互いが繋がっていると感じる。不快に思うことはあるけど、もう同志という感覚が強く、
簡単には壊れないと分かっている。

一方で最近恋に落ちた人はまだ正体模索中な上に、繋がっているという感覚はない。いつでも壊れてしまいそうな関係。「安心」とは程遠い。
そんな彼に「夢中」になってしまっている私は、セルフコントロールを失いかけてしまった。「ようこそ恋の世界へ。それが恋ってやつ」と肯定する自分もいるから厄介で、まるで、自分が主人公になっている恋愛漫画を読んでいる別の自分がいて、ジェットコースターの様な感情の展開を楽しんでいる様に感じることがある。

でもこれはさすがに疲れる。漫画の中の自分が悲鳴をあげるので、もうやめることにした。
相手のラインを消して、電話番号を消して、1週間ぐらいの離脱症状を経て恋を終わりにする選択をすることもできるけど、ここは久しぶりの恋だから自分が成長するチャンスにすることに決めた。

テーマは「執着を断ち切る」「感情に責任をもつ」の2つにしよう。

執着を断ち切る

「執着」と「愛」は連動しない。
「執着」は「相手を自分の思い通りにしたい」という欲望が根底にある。
「愛」は「ありのままを受け入れる」ということ。
相反するものなのに、これまでの彼氏や旦那といった愛する人との関係においての苦しみは全て「執着」が原因になっているから面白い。

「思い通りにしたい」という欲望は「思い通りになるはずだ」という
プライドにも似た思いがある。でも思い通りにならないから苦しい。まさに執着の対象は相手ではなく、自分の偏ったプライド。

思い通りになることなんて、今まで生きてきてほとんどなかったのに、少し素敵な男性に好意を寄せられたからって、地球が自分を中心に回り出したなんていう甚だしい勘違いが私にはあった。

恋愛関係においては、「一心同体、常にお互いを想ってること」がマストだって思ってたけど、これだって普通に、暇な学生じゃないんだから、現実的にあり得ない。いい歳になった私にも乱したくない私の人生があるのと同じレベルで、普通に相手にも相手の人生があるのだ。なんでこんなことに気が付かなかったんだろう。利己的な自分って本当に恐ろしい。

感情に責任を持つ

これは散々旦那に言われてきたことなんだけど、改めてその大切さを実感する。
「寂しい」「悲しい」「切ない」「苦しい」「怒り」
これは私が対応しないといけない感情。
執着を外すと少し楽にはなったけど、まるで、人気youtube動画を見ていると途中で入るCMの様に、突然ひゅっと顔を出す。

その時には、「受け流す」。メロドラマの中の悲劇のヒロイン登場に合わせて、わざわざバックミュージック流さなくていい。その感情に執着しなくていいってこと。

「可愛いじゃん自分」って思って鼻で笑ってみよう。

また色々この経験から学んだことをシェアできればと思う。
あー人生ってすばらしい。無駄なことは何にもない。
Everything happens for a reason. 






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