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第四話 モラトリアム時代

 短大の2年間はあっという間だ。2年目には周囲が就職活動をしているのを尻目に、このまま就職したら本当にやりたいことを見つけられないまま日常に流されてしまうと、生真面目に考えて就職をしなかった。
卒業式と謝恩会の当日、同級生がドレスで着飾ってはしゃいでいるのは別の世界の出来事と振り切って足早に会場を後にした。

だからといって、方向も定まらず、海路を読む術もないくせに、大海原に漕ぎ出してしまった私は、自分というものを決める前に時間が欲しかったのだ。もっと小説を読んだり、勉強をする時間が欲しかった。自分が何者かになろうとして、何者になろうとも決めていないモラトリアムの時代をしばらくの間さまようことになる。

茫漠とした時間の海で、読書会に参加し小説を読み込んだり、はたまた、烏口とインクと紙を購入して線を引き漫画を描いて応募してみたり、詩を一遍だけ書き送って、お終いにしたりした。ここでわかったことは、私にはストーリーが書けないということだ。

なにがしかの収入を得るために、本屋でアルバイトをし、契約社員の事務員として働いているうちに、絵を描いてみたいと思うようになった。
きっかけが何であったのか思い出せない。漂流船がたどり着いた島が、もともと住んでいた島であったと気が付いただけのことだ。

働きながら学ぶ方法としてカルチャースクールがいいなと思い、どの講師のスクールが良いか父に相談したところ、八木保次先生、伸子先生ご夫妻の教室がいいと言われて通い始めた。

この選択は私のその後の人生と絵に対する考え方のコアな部分を造るのに
正しく重要な出会いであったと思う。八木先生ご夫妻は絵描きとして脂がのった60代で、池袋モンパルナス(画家や彫刻家が軒を連ねる地区があって、パリを倣ってそう呼ばれている)から出身地の札幌に戻りカルチャースクールを開講していた。

芸術家が一軒の家で創作を兼ねて生活していくのは容易でない。夫の保次先生は二階の部屋で一畳ほどもあるツルツルしたアート紙にポスターカラーなどのガッシュで来る日も来る日も抽象画の制作をしていた。

「何か無機的なものを描いている様に思われているのだが、自分では宇宙を含めた自然の風情しか描いていないと思っている」※と仰っている。床に紙を広げて舞踏するように筆を振るう制作の過程が、見るものをひきつける。エネルギーが満ちた絵は圧倒的だった。札幌に戻ってきたのも制作の拠点の「山の家」が、自然に抱かれ、針葉樹広葉樹やエゾリスや山の鳥が身近に感じられたからだと思う。

奥さんの伸子先生は、優しくあたたかな色調の油絵を一階で描いていて、お互いの制作時間を侵さないのが暗黙の了解であったろう。絵で生活ができたのは、伸子先生が購入者に好まれる絵を描かれたからだ。知名度があるのは伸子先生の方だった。夫の保次先生はアウトロー的な生き方をしてきたため、社会の常識とは折り合わない部分があり、伸子先生が補い、周囲に気を遣って苦労もされていた。ただ、それ故になんとしても描くという意志の源が尽きなかったのだ。伸子先生にとって、夫の保二先生の批評眼や言葉は指標であったと思う。

二人は対象的だった。一軒の家で異なる芸術家が共同生活をし、抽象と具象の世界をそれぞれが追求した。描いているものは違っても、二人の絵を観る眼は共通していた。いいと言えば二人の意見は一致し、ダメなものはダメだった。
カルチャースクールに長年通い、先生ご夫妻を尊敬し魅了された生徒が何人もおり、描き方、ものの見方を引き継いで現在も描いている。

私はといえば、抽象にも具象にも偏らず、中間の道を行くようになった。
一時は保次先生の影響力が大きすぎて、抽象性に引っ張れて筆のタッチや対象のとらえ方が似てくるように感じて危ぶむくらいであった。伸子先生が静物や風景の油絵に多用されているホワイトにも誘惑があったが、注意深く避けてきた。

二人の先生の好きな部分を取り込んで私が描く絵の、土台が出来てきたように思う。保次先生からは、絵を描く時の心構え、絵に対する真摯な気持ちを学んだ。完成させようとする邪な心が漏れると見抜かれて「壊せ、壊せ」の檄が飛んできた。
伸子先生からは、壊した絵を再生するため現実に戻る方法をおしえられた。伸子先生の絵は厚く重かった。油絵のカンバス上で破壊と再生を繰り返し、自然、絵の具の層ができて尋常ではない重さなのだ。
制作途上の葛藤が想像される深みと時間を含んだ油絵は美しい。

守破離という言葉通り、最初はお二人を慕い、発言や指導がすべて真実であったけれども、その言葉や思考を全面的に肯定するのではなく、だんだんと自分独自のやり方を探るようになった。誰からの指導も批評も受けずに自分の眼を信じて独り立ちすることは不安であったが、15年通った教室をやめた。

八木保次先生(1922-2012)
八木伸子先生(1925-2012)

( 写真は八木保次先生の抽象)
※八木保次・伸子展図録(札幌市芸術文化財団)参照





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