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うちの息子が自分の足で立たなくなり1年が経ちました

齢31を迎えて最初の記事。別に私は子がいる訳でもないのでそこだけご了承下さい。「息子」というのはよくある「男性の象徴」のたとえ。要は、トランス開始に伴ってしなくなった行為があり、それもだいたい1年になったなぁと感慨に耽る話です。

男性の象徴

と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。「息子」も勿論ですが、他にも髭とか低い声とか筋肉とか…。私がまず思い浮かべるのはやはり「息子」であり、その存在を嫌でも突き付けられる男性用トイレです。立位での排泄。男性を強く象徴するその行為を、私はどこか自分がしたくてしているように思えず、最終的にはそれを卒業…もとい中退してしまいました。

私と男性用トイレ

男として生まれ育ってきた私にとって、それは生活上常に切り離せないものでした。当たり前のように朝顔の前に立ち、当たり前のようにチャックを下す。「男性はそうするもの」なので30年近くずっとそうしてきましたが、一方で自身に他の男子達とはどこか違う感覚があることも薄々感じていました。

今になって思い返してみると、最初は幼稚園時代。放課後に不慮の事故で級友の女子が「している」さまを目撃してしまってから、自分も同じようにできないことへのモヤモヤがあったように思います。当時通院していた地元駅前の耳鼻科には汲み取り式の和式便器が残っていましたが、級友のようにしてみたいと思い朝顔ではなく敢えてそちらを使おうとした記憶だけは残っています。

また、就学してからも級友と連れ立ってトイレに行くことには一貫して抵抗感を抱いていました。する時は一人でしたいし、見られたくもなければ見たくもない。だから途中で級友が入ってくると/入ったら居合わせるとしんどかったのを覚えています。どんなに親しかろうとその場を去りたい一心。進学してもその傾向は変わりませんでした。敢えて人が少ないフロアのトイレを使ったりとか。それでも個室ではなく朝顔と立位を貫き通していたのは、ひとえに「自身が社会的に男性であったから」でしょう。男子が個室に入ることへのバッシングが強かった時代。何となく抱いていた「息子」があることへの違和感を語る言葉を持てなかった時代。一つしか選択肢が無かった時代でした。

私と多目的トイレ

男女どちらかのトイレしか無かった中高時代。自認が定まるより前から身体への違和感はあったので、大学に進学してからは多目的トイレがそこかしこにある環境に感動したものです。研究室や部室のそばには男性用しか無かったのでそちらを使っていました(使わざるを得ませんでした)が、単独行動時は多目的トイレの使用が多くなっていきました。基本的に一人だけで使えるのでとても気が楽でしたね…。とは言え、使える場所は限られているのでどうしてもメインは男性用トイレの方になってしまいますが。使用開始当初は「健常者」なのに申し訳ない…と躊躇いがありましたが、良いのか悪いのか使い慣れていく内に抵抗無く入れるようになりました。まぁ知った顔がいる中で多目的に入るのは今も気まずかったりしますが…。[閉]ボタンを押してから実際にドアが閉まるまでのタイムラグが少ないと嬉しくなります。

職場にて

そんな具合に都合よく使い分けをしていた私も働くことに。幸運にも卒後すぐに入った職場には多目的トイレがあり、前職までも男女共用トイレが少ないながらも設けられておりました。また、今の自宅に越してからはずっと座位でしかしていません。ところが現在の職場には男女別のトイレしか無く、唯一の多目的も来客用の区画にのみ存在し、基本的に職員は利用不可。なので、入職してから昨夏までは仕方なく男性用を使っておりました。小用も立位にて。

しかし、性別移行を決意し未だ休日限定ではありながらもRLEを重ねていくと、立位での排泄を自分自身が受け付けなくなっていきました。私服では勿論ちぐはぐだし、いくら今はまだ男性として就業しているとは言え、自分が男性用トイレの朝顔の前で「息子」を出して立っているというのがどうしても気持ち的に耐えられなくなってしまったのです。外出先では1年半以上前に既に男性用トイレに入るのを辞め多目的のみになっておりましたが、1年前のちょうど今頃に職場でも完全に立位での排泄を辞めた次第です。職場で使える男性用トイレの個室は2フロアで僅か3つ。人が少ない時間帯を狙って、誰かと鉢合わせしないように出るタイミングを見計らって、そもそも水分を控えて行く回数を減らして…と意識してはや1年。我慢できる時間も長くなり、社会的に死ぬことも無くなんとか人としての尊厳を保っております。大袈裟な話でなくてね。排泄って人の尊厳に関わりますから。

今後はどうするか

現在、男性用トイレは職場(と一部の男女別しかない飲食店やカラオケ店)でのみ使い、他は全て多目的トイレ、排泄は全て座位で行っています。今後も当分はこのままでいくことが確実です。最終的に戸籍の変更まで行ければ変わるかも知れませんし、変わらないかも知れません。こればかりはルッキズムの問題も絡んでくるので…。ま、座位だからと言って根本的な身体の違和感が消える訳ではないし、寧ろ「違い」を意識させられてそれが強まっていますけどね!それでも立位を辞めただけで多少は心穏やかになっているような、そんな気がします。

もしよろしければ、ご無理の無い範囲でお願い致しますm(__)m