見出し画像

Mtのトランスでありながら「私は男性」と敢えて名乗ること

とあるエッセイストさんの投稿と、それに対する同じ当事者の方々の反応から感じたこと。私もそうだけれど、何故出生時の・自認しない性別を敢えて名乗るのかについて。投稿主さんがどうかはともかくとして、「持たざる者」として色々と考えた結果でもあるのです。

「私は男性」

Twitterで観測できる範囲では、多くの当事者さんはこう自身で名乗ることには否定的です。投稿主さんが自身のセクシュアリティについて「男性で生まれて、同性の恋人がいる」「女性様の装いをするようになった」以外には明言されていないので、トランスなのかゲイなのかはわかりませんが。その上で、MtFと仮定したのならあり得ない、と。但し私には、『薄毛で青髭』と自称する投稿主さんがそう名乗りたくなる気持ちがわからなくもありません。
自身を男性と名乗ったからと言って、イコール性自認が男性であるとは限らないのではないか。これが私の見解です。「女性」と称するのはおこがましい、恐れ多い。何故なら、そう言えるに足る女性的要素を私は備えていないから。だから、(仕方無く)今の外見や身体・戸籍の通りに「私は男性」だと、少なくとも私はそう述べています。あの投稿主さんにも、そうしたある種の自嘲的な思いがあったのではないかと推測します。こと男性に生まれたトランス当事者においては第二次性徴による外見の「素質」の差が顕著に出ます。女性にしか見えない人もいれば、整形でいくら骨を切っても(元)男性であるとわかってしまう人もいる。後者の立場としては「私(の性自認)は女性」だなんて、そんな周りに迷惑なことは言えない。なので私は当分の間は男性と名乗り続けます。

性他認

これは言ってみれば、性自認ではなく性他認に合わせた名乗り。他者からどちらの性別として見られるか。近年の潮流としては性自認を尊重する流れに向かってはいるものの、自分がそうだと名乗るだけで何もかも認めてしまうことには安全上の懸念も強くあります。それに、男女二元論や旧来のジェンダー規範が(少なくとも私が生きている内は)無くなるとも考えにくい。男女どちらかの判断で世の中が回っているのなら、せめてそれに沿って迷惑が無いように振る舞うのが今の所は良いのでは?と。世渡りの術とでも言いましょうか。
以前私はこのような記事を書きました。

上述とほぼ同様の理由で、性別移行初期≒女性的外見がまだ十分に備わっていないことを理由に便宜上ノンバイナリ/Xを名乗ることについての所感を述べた記事です。執筆当時から「そろそろXという概念への居場所は無くなってきている気がして」はいた私。自認より他認・外見・身体ベースでセクシュアリティを捉えるようになってきたこともあり、今後自分をノンバイナリ/Xと名乗ることは恐らくもう無いだろうと考えています。そうなるとトランスジェンダー、MtF、GIDといったカテゴリが私の属する所ではある。とは言っても、性自認が男ではないが性他認はだいたい男。見た目はオトコ、頭脳はオンナ。真実はいつも一つ?
少なくともメスを入れるまでは、いやメスを入れても変わらないかも知れない。メスを入れたからと言ってメスになれるとは限らない。だから投薬以外の肉体改造も頑張って取り組んではいるわけですが、その成果が出るのはもう少し先の話……。

今の名乗りを辞める日

例のエッセイストさんが今後どういった性を生きていくのかはわかりません。移行の為の治療を進めるのか、或いはそれをせずに生きていくのか。
治療をして生きていくことを決めた身としては、今はまだ男性と称するしか無くとも、いつかそうではなくなる日が来ることを目指して各種治療やトレーニングに励みます。社会的な移行はここ1年ほど停滞気味ですが、慎重さは良い方に捉えないとやっていられません。急いては事をし損ずる。

もしよろしければ、ご無理の無い範囲でお願い致しますm(__)m