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教室の記憶

好きな小説のひとつに島本理生『シルエット』がある。
初めて読んだのは中学生の頃で、その本のことを考えるときはいつも湿度の高い空気と節の多い木材に囲まれた一階の真ん中の、三年二組の教室を思い出す。
固い表紙の重さとざらざらとした紙の感触も手に思い出す。
今私の手元にある『シルエット』は文庫本だけれど初めて読んだのはハードカバーだった。

こんなにはっきりと初めて読んだ場所も時も覚えているのに、初めて読んだときはあまり"刺さ"らなかった。
中学三年生の、まだ恋らしい恋も知らない私にはその本はわからなかった。
心に降り積もるような男の子を選ばず、触れれば応えて触れ返してくれるだけの人を選ぶ主人公が、中学三年生の私にはまだ分からなかった。

十年近く経って読み返したとき、その本が、主人公が、唐突に分かるものになった。
理解できるものになった。
人間には心だけでなく、体がある。
その主題が、すとん、と私の中に降ってきて分かるものになった。

子どものころは身体の感覚に無頓着だったのだろうか。もう上手く思い出せない。
今になって考えてみると子どものころ、他人とは言葉だった。思想だった。情報だった。

けれど人間には体があった。温度と柔らかさ、かたさ。
人間の一番外側は目と耳ではなく皮膚だった。
言語化はできていなくともぼんやりとそう思う経験を積み上げていく中で読み返した『シルエット』に、それが書いてあった。

本を、文章を読んで、「ああ、それ知っている」と思うこと。
漠然と、感覚で知っていたことに言葉が与えられる経験は凄烈に記憶に残る。
それを味わった本は、物語は、忽ちその人にとって特別になってしまう。
だから私にとって島本理生『シルエット』はそうやって特別で、好きな小説になった。
初めて読んだ日からそろそろ二十年近くが経つ。
今でも本棚に並ぶ文庫本の薄い背表紙を眺めては初めて読んだときの教室の湿度を、装丁の感触を思い出し、そしてその感触をさらに深く呼び覚ますように目を閉じる。

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