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私の憧れ

少し前に高校時代の恩師の話を書いたので、今度はもう一人の恩師、お芝居の先生の話を書いてみたいと思う。

私は、20代前半頃、叶えたい夢があって東京にお芝居の勉強に行っていた。
週一回のコースを受講していたので、現在住んでいる街から新幹線での通学が辛うじて可能な距離ではあったのだが、親から東京での一人暮らしを反対されていたので、渋々新幹線でいくつか県を跨いで通っていた。
通うだけでも結構大変なのに、仕事しながら練習したり、クラスのみんなと合わせたいから受講時間より早く行って練習したりと、我ながらよくやっていたとは思う。

結局夢は叶わなかった。
それでも、努力したことに意味があると綺麗事で収められるほど当時の私は大人ではなく、地元でもう一度劇団に入って勉強したりもしたが、やはり夢を叶えることはできなかった。
あれから10年ぐらい経って、あの時は青春していたんだなと、ちょっと甘酸っぱい思い出としてようやく心の中に収まりつつある。

さて、前置きが長くなってしまったが、その養成所で出会ったのが例の恩師だ。
とても厳しいことで有名な先生で、出来の悪い私は大層迷惑をかけていたと思う。
怒られたこともあったけれども、不思議と嫌な感じはしなかった。
先生の怒ることには理不尽さはなく、きちんとした理由や意味が分かって納得できるものだったからだ。

出来の悪い教え子ではあったが、先生とは仲良くしていただき、連絡先を交換するまでの仲であった。
そんな楽しいクラスも、もう3月で終わってしまう。
3月には、このクラス最後の作品をグループごとに発表しようと意気込んで練習していたが、まさにその時、あの大震災に襲われた。
私の住んでいる場所は、津波の被害こそなかったものの、地震での被害は甚大であった。
新幹線も復旧しなかったので、結局その年度は最後まで通うことができなかった。

震災後、数日間は電波状況も悪く、何より電気も通ってないので携帯の充電もままならなかった。
ようやくメールもできるという頃になって、次々受信するメールの中に先生からのメールを見つけた。
内容はとても些細なもの。それでも嬉しくて返事を返したのを覚えている。

それから一か月近く先生は毎日メールをくれた。約一か月間欠かさず毎日だ。
電気がようやく通って一緒に喜んだり、毎日給水に並んでいたこと、ようやくお風呂に入れたことなど、毎日ちょっとずつだけれど色んなやり取りをした。
先生だって忙しいのに、時間を作って毎日メールをくれた。
先生のやさしさは、ほっとりあたたかくて生きていく励みになって本当に助けられた。
私もいつかこういう風に、些細なことだけれども誰かの力になれる人になりたいな、こんな素敵な人になりたいなと思ったものだ。

次の年は先生の担当のクラスじゃなかったけれども、一度お会いして一緒に食事をしたことがある。
相変わらずの笑顔にほっとして、とてもあたたかな時間を過ごすことができた。
それ以来会えてはいないのだが、たまに大きな地震があると連絡をくれたりする。
あとは年賀状で近況報告。

先生ともそろそろ会いたいなと思う。
会える時に会わないといずれ会えなくなる時が来ると思う出来事が最近あったから、ぜひ近いうちに行動しないとと改めて思った。
まずは、メールしてみよう。今回は災害時じゃないからできるだけハッピーな内容で。

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