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2024年7月1日「末の松山」

小学生の頃から百人一首が大好きだった。小学校の百人一首クラブにも入って熱中してた。放課後人がほとんど居なくなった校舎を歩いて畳の部屋へ向かう。障子の引き戸のある部屋へ入るとそこには30畳ほどの和室がある。学校でいちばん怖いと恐れられている40代くらいのいかつい顔の先生が嘘みたいに楽しそうに語っているなんて他の子に言っても絶対信じて貰えない、百人一首について、書いてあるものと読み方との乖離、枕詞とそれにかかる言葉、うた全体の由来や先生が特に好きな解釈などなど。


契りきな かたみに袖をしぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは

清原元輔(42番) 『後拾遺集』恋四・770より

自分なりに現代語訳してみると

「誓ったのに。おたがいにたくさん泣いて、思いは変わらないって。」

みたいな感じ。百人一首というか短歌あるあるなのか分からないけれど初句切れ
(最初の五文字で文が終わってる、この場合は契きな⇒誓ったのに。)
はインパクトが強いというか気持ちをまず叫んでるみたいでちょっとお茶目な印象があってすき

「末の松山」は「絶対にありえないこと」を表すときに使われる表現で、これは約1200年前くらいに東北で大地震が発生した際にこの地点にだけは津波がとどなかなった、ということから由来しているんだって。
ちなみに東日本大震災の時も末の松山に波は達しなかったらしい。
津波のハザードマップってもちろん2011年当時もあったんだけど震災の時波が余裕で超えてきちゃったからハザードマップとして機能しきれなかったらしい。
この地域はずーっと昔から地震とか津波が多いから昔からハザードマップ的なものがあったらしいんだけど「末の松山」が知られるきっかけとなった約1200年前の大津波の到達地点と東日本大震災の津波の地図を重ねてみたらとっても似てたみたい。
昔の人は分かってたんだねここまで波が来るって。技術が発展して埋め立てとか堤防とか作って災害を「対策」した気になってもやっぱり自然には勝てないんだね。

このうたは「末の松山みたいに私たちの思いは変わらないよね?」って誓ったはずなのに裏切られちゃったんだね。人の気持ちなんて簡単にうつり変わるものだしやっぱり「絶対」なんて約束できないのかな。おたがいにこれからもずーっと一緒だよって涙を流して誓った夜があったはずなのに。もうこれ以上泣かないですむよねって誓った夜があったはずなのに、「私の心には到達するはずの無かった波がいとも簡単に到達してまた涙を流しています」
っていう風に聞こえる。

「人の心が移り変わること」を花の色が変わる〜とか季節が終わる〜とかじゃなくて「本来おこるはずのないことが起きてしまった。」っていう風に例えたのは多分本当に確かなのは
「ありえない事なんてありえない」
っていうことなのかな
人の心に確かなものなんてないことだけが確かなことなのかもしれない

百人一首では頻繁に自分の気持ちを「波に打たれる岩」だとか「川の流れ」とかに例えたりするけどこのうたはある種そういうものへの批判にも取れると思う。人の気持ちなんてそんな自然の景色みたいに綺麗なもんでも摂理のあるもんでも無い。

「波に打たれる岩みたいに苦しい」と思ってたけど次の日にはしんどくなったので温泉で泥団子つくってます とか

「途中で2つに別れてしまった急流だったとしてももう一度あなたに会いたい」と昨日までは思ってましたがなんかこっちは海にたどり着いて心地いいのでやっぱいいです みたいな(笑)

人の心の中は海や川みたいに綺麗なもんじゃない。刹那的で縦横無尽で理不尽でその時その時のエネルギーの爆発なんだと思う。1度枯れた花はもう元に戻らないし降った雨はもう雲には帰らない、でも大自然のルールが適応しないものがこの世に一つだけある。それが人の心だと思う。それだけが「確かなこと」なんだと思う。

時々本当は自分がどうしたいのか、何を考えてるのか分からなくなっちゃう、けどその度に誰かに助けられてここまで来れてる。思考を決定するのは自分なのかもしれないけど行動を決定するのはもしかしたら自分じゃない誰かの言葉だったりするのかも。見返りを求めてないつもりが心の奥底ではちょっと期待しちゃってたり、思ってることと相手に伝えたい言葉が反対だったり、そういう小さな矛盾の積み重ねが自分の中に2つの勢力を作っちゃってしまう、多少迷惑かけても素直になればいいじゃんサイド①と大人なんだから自分が我慢すればいいんだよサイド②に別れちゃう。自分にやな事が起きても①の自分が「このままだと嫌な結果になるよ?」と言い②の自分が「なんで最後まで大人を演じないんだ?」と言いふたりで首を絞めてくる。自分が嫌いで嫌いで仕方ないのかな、と思ってみたりもしたけど違う、自分がかわいくて仕方ないんだ。①は自分本来の利益を、②は他人によく思われるように、そうやってどっちも取れるようにしてるから勝手に苦しくなってるんだ。自己中とかそんな生易しい言葉で片付けられるものじゃない。でももしかしたらこれでいいのかもしれない、「怒ったり泣いたりすることはどんな動物でも出来るけど笑うことが出来るのは人間だけなんだ」って手塚治虫先生が描いてたから自分の大切な人に優しくするのは自分がそうしたいから。大切な人が喜んで笑ってくれることが俺の幸せだから。それだけが「確かなこと」なんだ。だからこれでいいんだ。

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