『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』所感: アドラー心理学という技術


3日前にくらいに、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を読了した。
劇薬ではあったが、かなりためになった。
新しい概念を猛烈に浴びまくったのに加え、強烈に感化された部分と違和感を感じた部分が両方あったため、しばらく頭の中で色々な概念が喧嘩しあっていた。
少し寝かせたことでだんだん整理されてきたので、忘れないうちに書き留めておく。

自分のための超雑まとめ

  • 幸せになるためには、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」に向き合う必要がある

    • (仕事は割愛)

    • 交友では、相手の関心ごとに関心を向けること、評価しないこと、相手を尊敬すること (その人がその人であることに価値を置くこと)、相手を信頼すること (= 条件をつけず相手を信じること) が重要。 

    • 愛とは決断であり約束である。ふたりの努力で築き上げるものである。主語を「わたしたち」にする

  • 目的論課題の分離を武器として使おう

    • 目的論: 過去のこと考えてうじうじしててもしょうがないから、今あるものを使って何をできるか考えようぜ

    • 課題の分離: 各自が自分の行いに責任を持て、自分が責任を持っていることに他者を介入させるな、相手にも介入するな

  • 一人一人と横の関係を結んで、各々が自立していくための「勇気づけ」の援助をすることが、貢献感につながる

  • 「いま、ここ」を生きろ

超雑所感

  • アドラー心理学、「技術」だなぁと感じた。使っていく中で磨くしかなさそう。

  • 社会は基本的にアドラー心理学とは逆の方向を向いているので、そういった逆風の中でいきなり全部やろうとすると逆に病む。できるやつからやる。

  • 実践においては「課題の分離」が一番重要そう。だけど、共同体感覚も忘れてはいけない。

結局「共同体感覚」って何?

「嫌われる勇気」の中では、以下のように定義されている。

他者を仲間だとみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること

179p 『嫌われる勇気』

厄介なのが、この後で「過去から未来、そして宇宙全体までも含んだ「すべて」が共同体である」と述べられていることだ。
僕は、「全体に貢献するぞ!」と意気込みすぎない方がいいんじゃないかと思い、ここがずっと腑に落ちなかった。全体ってなんだよ。抜かすなよ。
逆に以下はしっくりきた。

共同体感覚を理解するには、まずは「わたしとあなた」を起点にすると良いでしょう。

181p 『嫌われる勇気』

結局、各個人との関係に落とし込んで考えるのが一番実践しやすいのではないかと思う。
「あなた」を尊敬し、「あなた」の関心ごとに目を向け、「あなた」の自立を援助する。そこから始めるしかないんじゃないか、みたいな。

共同体感覚と課題の分離はセットで考える

『嫌われる勇気』では、以下のように述べられている。

対人関係は、課題を分離したところで終わるものではありません。むしろ課題を分離することは、対人関係の出発点です。

P178『嫌われる勇気』

青年: 対人関係のゴールはどこにあるのです?
哲人: 結論だけ答えよというのなら、「共同体感覚」です。

P179『嫌われる勇気』

この関係を見失わないことが大事な気がする。
「課題の分離」はあくまで手段であり、根底に「共同体感覚」がないといけない。
「僕たちは仲間であり、横の関係を築きたい」という前提がないまま「課題の分離」を行おうとすると、ただの冷たい人間になりかねない。

逆に、「課題の分離」をしないまま共同体感覚を目指しても、自己犠牲になりかねない。
まずは、課題の分離によって相互への介入をなくし、ある程度余裕ができた状態でスタートする必要があるんじゃないかなと思う。

こちらの記事でも、似た内容について述べられているので、参考にしていただきたい。


以上。幸せになることから逃げない。




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