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「世界を破壊するな」-オッペンハイマーのあらすじと感想-

映画オッペンハイマーを観ました。

いやー、すごいね。

素直な感想にはならない、複雑な要素を持った映画だった。まるで現実のような(いやノンフィクションではあるんだけど)残酷な味わいでしたね。

出遅れてる感がすごいけど、でも観たので鑑賞後の感覚が冷めないうちに感想書いていきます。
最近かけていなかったので、結構書いちゃうかもしれない、あしからず。


あらすじ

*完全にネタバレです。あとめっちゃ省略しています。
実際の映画はもっと複雑ですが、わかりにくいのでここでは時系列順に書きます。
とにかく複雑なので、多少の間違いはあると思いますがご了承ください。

学生~教授時代

主人公のオッペンハイマーは、アメリカで生まれた理論物理学者です。

彼は学生時代にヨーロッパへ留学し、多くを学んでアメリカへ帰ってきます。
留学時代は多くの物理学者たちと交流し、その後アメリカで教授として働きます。
最初こそ、彼の授業の受講生は1人だったものの、徐々に生徒は増え、活気のある教室ができてゆきます。

共産党とのかかわり

そんな中、彼は共産党の運動に顔を出すようになるのです。当時のアメリカと言えば、徹底した反コミュニズムでした。資本主義大国のアメリカで、公的機関で働く人間がそのような運動に参加することは、まさにタブーといえるでしょう。

しかし彼は、運動に出席はするけれど党員にはならないという微妙な立場で、活動に関わり続けます。そして、そこで出会ったジーン・タトロックと一夜を過ごします。
急に過激な描写になって、ちょっとびっくりしたのは私だけではないはずです。
彼とジーンは結婚し、その後彼は学校内で共産主義的な組合を結成しようと訴えるほどになっていきます。また、後に後妻となるキティも元共産党員です。
この辺のつながりが、大成後の彼の人生を狂わせていきます。

核開発プロジェクト

そして話を進めますが、彼は優秀な理論物理学者として、軍から原爆の開発を依頼されます。共産党との関連も含めオッペンハイマーにはいろいろ懸念がささやかれていたようですが、軍のグローブス大佐(かっこいい)が、彼を任命し、大佐はその後も重要なビジネスパートナーになります。

オッペンハイマーはロスアラモスに実験・研究施設を開設し、そこの所長として長きにわたる原爆開発を主導していくことになります。

議論を重ね、実験を重ね、彼はついに通称「トリニティ実験」までこぎ着けます。
分かれた後も不倫関係にあった元妻ジーンの自殺や、研究仲間との仲間割れ、共産党と彼の関係について軍の取り調べがあったりと、様々な波乱を経て、ついに千秋楽へとたどり着くわけです。

しかしここで、原爆実験に対して、彼は一つの懸念を抱いていました。それは、計算上、核爆発が大気に引火する、すなわち「核が文字通り地球のすべてを焼き尽くす」可能性が存在していたことです。
もちろん、実際そうでないことは数々の原爆実験が行われた経験のある現代ではわかっています。(多分理論的にも解明されてるんじゃないか?しらんけど)
しかし、トリニティ実験は世界で最初の核実験です。彼らはまだ実際に何が起るのか、わかりません。

その可能性が指摘された際、彼は友人で会ったアルベルト・アインシュタインに話を聞きに行きます。アインシュタインは戦後こそラッセルアインシュタイン宣言などで核開発に否定的になりましたが、戦前はアメリカの核開発を進言していました。その理由はほとんどオッペンハイマーの核開発の動機と共通しており、それは「ナチスへの対抗」でした。

アインシュタインは計算用紙を一瞥し、ほかの優秀な人間が再計算をしているならそちらに任せる、と言います。
オッペンハイマーとアインシュタインの不思議な関係、友情が垣間見えるシーンでした。ちょっとこの辺を言葉で説明するのは難しいな。




「理論には限界がある」
この映画で何度も語られる言葉です。原爆の火が世界を包み込む可能性は、彼の理論では、「ほぼゼロ」と結論づけられます。最終的に「ほぼゼロ」のままで実験に臨むのです。

いよいよ実験期日となり、群に実験結果をせかされる中、悪天候で幾度かの延期を経てようやく実験が行われます。
大佐とオッペンハイマーは、その直前に軽く会話をします。先ほどの話です。オッペンハイマーは大佐に、この実験で地球が焼き尽くされる可能性があることを教えます。

「その確率は?」大佐が聞きます。

「ほぼゼロ」彼が答えます。

「『ゼロ』がいい」大佐は言うのです。

もうなんか、これですよね

「ゼロがいい」
ほんとですよ。


ここで私が思い出したのは、映画「シン・ゴジラ」の、ワンシーンです。

品川くん(ゴジラ第三形態)の駆除のため、自衛隊のヘリがゴジラを取り囲みます。攻撃寸前まで行くのですが、「近くにまだ人がいる」という報告を受け、自衛隊の最高指揮官である総理は「攻撃中止!」というのです。

わずかでも国民を傷つける可能性があるがゆえに、大河内総理はゴジラの駆除を止めました。世界を滅亡させる危険性がありながら、敵を駆逐するための兵器の実験を強行する彼らとは対照的なシーンです。


実験は成功します。見事なキノコ雲が空に広がり、歓喜の声が上がります。
原爆の実用化は即座に決定され、オッペンハイマーはおののきながらも爆発予定地を選ぶ会議に参加します。

そして1945年8月6日広島に、9日には長崎に、それぞれ「リトルボーイ」「ファットマン」という原子爆弾が投下され、何十万人が殺されます。

この知らせを受け、彼が研究所を構えるロスアラモスの町はやはり歓喜に包まれます。戦争の早期終結に寄与し、将来の犠牲を救った男として、オッペンハイマーは時の人となっていきます。

戦後

しかし彼は、原爆開発の途中あたりから、この原子爆弾という恐ろしい兵器にたいして、恐怖を感じるようになります。また、終戦後彼は日本での被害報告を受け、自らがやったことの重みを悟り始めるのです。

ここで彼は、当時のアメリカ大統領であったトルーマンと会談します。
トルーマンは水爆の開発を依頼しますが、彼は渋ります。会談はなあなあな感じで終わりますが、その途中のトルーマンの一言が印象的です。

「原爆を落とされた人たちが、だれを恨むか。それを作った人ではない、落とすことを決めた人だよ。」

ここ、結構気に入ってるんですよね。映画を見ながら「わかってんじゃん」と思っていました。
トルーマンは日本では悪魔のような存在と認識されてる部分もあります。彼は大量虐殺者だと指摘する声もあります。まぁ、その辺の妥当性については議論を差し控えますが、彼が自らが恨まれる存在であることを理解している演出は、いろいろ興味深いところがありましたね。

そして、高等学術研究所の長となったオッペンハイマーは、水爆開発に対してストップをかけ始めます。いわゆる「ヒヨってる」状態です。
彼はストローズという政治家によってこの地位に指名されていました。戦後初めて出会ったとき、ストローズとオッペンハイマーは友好的な関係に見えましたが、水爆開発に関係する意見の対立や、その他の様々な軋轢によって、二人の仲は徐々に険悪化していきます。

聴聞会・オッペンハイマーの没落

そしてオッペンハイマーは、何者かの陰謀によって職を追われます。戦前、共産党員と関係を持ち、ソ連に情報を流していた疑いをかけられたのです。

閉鎖された空間で「聴聞会」という名の尋問が始まります。彼の弁護士は圧倒的不利な中でも抵抗し続け、また証人として呼ばれたロスアラモス時代の同僚たちも、彼に肯定的な証言をしてくれます。

彼がソ連に反逆したという決定的な証拠はなかったものの、要注意人物と見なされ、彼は職を失いました。オッペンハイマー、凋落の時が訪れます。

実はこれは、ストローズの陰謀でした。
ロスアラモス時代に彼を毛嫌いしていたメンバーをそそのかし、でっちあげるのです。

オッペンハイマーの妻であるキティは聴聞会期間中すでにそのことを見抜き「戦うべきだ」と何度も訴えます。それでも無気力なオッペンハイマーに「罰せられたらあなたの所業が許されることになるとでも思うの!?」と詰めます。
結局、打ち返すことのないままオッペンハイマーは没落していくことになります。

公聴会

場面変わって1959年、ストローズの昇進に関する公聴会が開かれます。
簡単な質問で終わるだろうと踏んでいたストローズですが、事態は思わぬ方向に動きます。

公聴会では彼の資質に関する話よりも、オッペンハイマーを危険視していた理由について厳しくと問われる流れになります。
徐々にストローズはイラつき始めます。
そしてストローズがオッペンハイマーを不正な方法で個人的恨みから陥れた証言が現れ、ストローズの悲願はかないませんでした。
ちなみにこの時ストローズの昇進を止めた人物のうちの一人が、のちのアメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディでした。

オッペンハイマーの無実は証明され、最後にはジョンソン大統領から表彰されるシーンが流れます。

ラスト

そして、ラストシーンです。
ここでは、彼が戦後ロスアラモスを離れ、高等学術研究所の所長として、そこにもとから務めていたアインシュタインに会った場面です。
二人は短い会話を交わします。
そして、アインシュタインが立ち去ろうとしたとき、オッペンハイマーは呼び止め、
「以前、僕たちの実験が世界を終わらす可能性について相談しただろ?」
と尋ねます。

「ああ、そうだったな、それがどうしたんだ?」






「僕たちは、それをしてしまったみたいだよ」



この言葉で幕切れとなります。
つまり彼は、一度核を開発してしまったせいで、世界中で核開発が始まり、核開発競争がし烈になっていく様を、「核の炎の無限増殖」と解釈したのでしょう。
まさに、彼の予言のようにその後世界で核保有国は増加し、核弾頭数もおびただしい勢いで増えていきます。冷戦が終わって約40年経つ今日でも、なおその恐怖は残存しています。
人類に核の炎を授けた「プロメテウス」。
彼は一人の人間でありながら、罪深い神として、その人生が語られているのです。

以上あらすじ終わり。

感想


各パートごとにちょいちょい感想を書きながらあらすじを述べたので、ここでは気になったところと、全体を通しての感想を言いたいと思います。

核実験成功の場面

ロスアラモスでは、3年という月日、20億円という研究資金を投入して、核開発が進められてきました。
核実験が成功したシーンでは、悲願を達成した彼らが歓喜するシーンが流れます。

もう、このあたり本当にイライラしてしょうがなかったです。イライラして、というより、半分本気で怒りを覚えていました。
そして、日本に核が落とされたと知った8月6日のラジオ放送後にも、同じように町全体がハッピーなムードに包まれます。
どうでしょう、このあたり。監督はアイロニカルな意図をもって描いたのでしょうか。個人的には「皮肉」の場面であると理解したいところです。

つまり、「大量殺戮に歓喜するアメリカ国民」をわざわざ描いてくれたのか、みたいな視点です。
たぶんそうなのだと思うんですが、実際のところはわかりません。ただ当時の感覚を再現しただけなのか。
でもその「再現」にそういう意図があってもおかしくないし、難しいですね。

でもって、私といえばもう、その喜んでいる人たちを見て本当に悲しくなっていました。星条旗が掲げられた場面は、本当に感情が、なんていうか、ね。まぁそんな感じ。ちょっとうまくは言えないね。

日本人が見てたぶん一番きついのがここでしょう。原爆投下予定地を決める重役会議よりも、トルーマンの冷徹合理主義の政治よりも、オッペンハイマー自身の自責よりもです。

敵国とはいえ、原爆なんて落とす意味は無いんです。落としたらそれは、ナチスと何ら変わりません。近代の米大陸における大量の先住民虐殺、ポルポト政権、黒人奴隷貿易と何ら変わりません。
悪意を持った行為よりも、もっと残酷です。
人間の死を、歓喜する。そんなことがあっていいはずがないんです。

一つだけ、言っておきます。

「原爆によって戦争は早く集結し、多くの人命が失われずに済んだ」というのは、確かに一理あるのかもしれません。
しかしそれは、原爆を落とした側が使うべき文句ではありません。
それに、歴史を語るとき「if」は何の意味も持ちません。

水爆開発の葛藤

オッペンハイマーは戦後、原爆の何千倍もの威力を持つ水爆の開発に慎重な立場をとります。

これは一見、彼の態度が一貫性の内容に見えますが、たぶん違います。
というか、彼は最初から、爆弾を世界に蔓延させる悪魔としての人格を持ちません。
単に、アメリカの理論物理学者としての名誉、新たな物理に対する本能的興味、ナチスに核を使わせてはならないという使命感によって、かれは核開発計画に取り組んだのでしょう。
戦前から、戦後世界のことを考えるのは政治家です。軍でも学校でも研究機関でもないのです。

ゆえに、彼が水爆開発に対してビビるのは、当然の反応です。先ほども述べましたが、アインシュタインもそうです。

非常に人間的な彼の人格が、この態度には表れているのだと思います。

最後に、全体を通して


一度見ただけでは完璧に理解できないのがこの映画ですが、一度だけでも十分にそのストーリーの分厚さと、「これぞ映画だ」という納得感を得られる映画だと思います。

オッペンハイマーは人類に核をもたらし、その後の人類史を大きく左右した人物であることに変わりありません。

しかし、私は思うのです。

彼がやらなくても、たぶん誰かが核を開発しただろうと。
トルーマンでなくても、誰かがどこかに1度や2度核爆弾を落としただろうと。
彼らは歴史上に現れる超特殊な特定の個人ではなくて、ただの世界史の一部でもあるのだろうと。
世界は巡り、起きることは必ず起きます。その原因を個人に還元することは単純です。でもたぶんそれだけじゃないんです。

私はそのことを、原爆実験に成功して喜ぶ市民たち、オッペンハイマーをたたえる世論、そして連動して動く世界の政治の姿を見て、再認識しました。

世界の流れは、だれにも規定できない。でもだからこそ、歴史はドラマチックなんですよね。

終わりです。





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