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「歴史とは何か」

岩波書店から出版されているE・H・カーの「歴史とは何か」を読みたいと思います。今回は第一章「歴史家と事実」の部分に限って感想を載せていくよ。それではいくよ。

Ⅰ歴史家と事実
第一章「歴史家と事実」ではまさに題の通り、歴史家と歴史的事実について考察されています。この本は元々講演の原稿なので、1960年くらいの時代背景がかなりにじみ出ていますね。このあたりの歴史観を理解しているとある程度読み進めやすいのだろうと思います。内容を簡単にまとめると、以下の通り。

「歴史を考える上で、大体二つの立場がある。一つは、事実や文書を信仰する立場であり、もう一つは事実よりも歴史家の解釈を優先する立場である。どちらに傾倒することも、歴史家として正しくはない、危険な行為である。歴史というものは、過去の事実と現代の歴史家の絶え間ない対話、すなわち相互作用であり、事実と解釈はともに征服も依存もしない微妙な関係にあるのである。」

要旨をまとめると大体こんな感じ(だと思う)。実際もっといろんなことが書いてあるけどね。個人的に気になった、というか鋭いな、と思ったところを中心に、感想を書いていきます。

「歴史的事実とは何か、定義は何なのか」を考える部分で、『古代史および中世史の魅力の一つは、私たちが使う一切の事実が手の届く範囲内にあるという錯覚を与えてくれるからではないでしょうか。』と述べられていました。
これはまさにその通り、というか、「情報が限られているからこそ、世界を箱庭のように見ることができる」という面白さですよね。一般的な歴史の楽しさ、すなわち趣味としての歴史の魅力ってこういうところにあるんだと思います。高校世界史の面白さもこういったものだと感じます。
ミニチュア都市を眺めているような楽しさが、何代もの歴史家による事実のそぎ落としを経て現代に紹介されている古代、中世の世界を眺める時にも生じるのでしょう。言い得て妙。

そもそも19世紀は、そういった古代中世の歴史とは異なり、多量の文書を細かーく詳細に記述しておけばよい、という事実信仰的な歴史観が支配的だったと述べられています。それを前提に話が進み、著者はその歴史観に批判を加える形で論じます。「そもそも歴史的事実とは何だろうか」という議論についても、そこそこ多く頁が割かれています。

本書では、歴史的事実と見なされる「文書」でも、突き詰めれば著者の解釈が絶対に、かなりの割合で含まれるということも述べられています。

『その筆者が起ったと考えていたこと、起るべきだとか、起るであろうとか考えていたこと、または、ただ、彼が考えていると他人に考えてもらいたかったこと、いや、ただ、彼が考えていると自分が考えていただけのこと、それ以上のものを私たちに向って語ることはできません。』

事実というものは、単にそこにあるだけでは何も意味を持たず、歴史家の作業によって初めて生を得ることができるのだと言うことでしょうか。
それにしても、結構皮肉的な物言いですよね。歴史的事実の議論の枠を超えて、人間の表現に対して何か示唆しているように思います。

カーはは歴史の解釈についてもコリングウッドというイギリスの思想家にそって、議論を進めていきます。

第一にまず、あらゆる事実はそれを編集した歴史家によって屈折して伝えられるため、その歴史家自体を理解する必要があるということが述べられます。
そして第二に、歴史家は過去の人々や行動の背景に対して、「創造的理解」をすることが求められると言うことです。

『この十年間に英語使用諸国が生んだソヴィエト連邦関係の文献の大部分、また、ソヴィエト連邦が生んだ英語使用諸国関係の文献の大部分が無価値なのは、相手方の心の動きを創造的に理解すると言うことのイロハにも達し得ず、その結果、相手方の言葉や行動がいつでも悪意に満ちた、非常識な、偽善的なものに見えるようになっているからです。』

歴史を記述する際には、その背景に思いを寄せること。
本書では「創造的理解」と呼ばれていますが、近い意味で言えば「共感」みたいな感じでしょうか。(ただ本書の中でこの「創造的理解」という言葉は「同意」を意味しないと述べられているのでどうなんだろ)

そして第三に、歴史は現在の視点からしか語ることができず、歴史家の機能は現在を理解する鍵として過去を征服することだと述べられます。
この3点がコリングウッド史観です。彼は歴史家の機能は主に事実を用いて解釈を深め、現在の視点から歴史を描くというものだと規定したのです。


しかし、事実を信仰しすぎるのは勿論、歴史のすべては解釈であると理解してしまうことも、ともに適切ではない、と筆者は言います。
先ほど述べたとおり、事実と歴史家の対話こそが「歴史」なのです。

まぁ、たしかに。そうなのかな。
正直なところ第一章読んだだけだとあんまりイメージがわきにくい感じはありますね。抽象的。
でも言ってることは納得感があります。講演だから説得力重視で組まれてるのかな。

以上、第一章について感想書いてみました。難しいね。
気を遣ってくれてるのでそんなにハイコンテクストではないんだけど、でも難しい。
まだ後六章残ってるので、気が向いたらまたいつか書こうかな。書かないかもしれないけど。

残りも頑張って読みます。おわり。

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