将棋における思考過程を言語化してみる。

 将棋を指すときには、コンピュータ将棋も人間も2つの要素を使って考えています。大局観と読みです。大局観は、ある局面をパッと短時間考えて俯瞰し、大まかに評価することです。読みとは、ある局面から具体的な手を数手先まで精密に考えていくことです。いくら大局観が優れていてもパッと見自玉は詰まなそうだから攻めていいやと思って攻めると詰まされて負けるケースもありますし、いくら先の先まで読めても、読んだ先の局面の評価が間違っていたら形勢を損ねます。また、読む手の候補は大局観を持って絞っていると言えるでしょう。大局観と読みは互いに干渉し合い、情報を共有しながら思考は進んでいきます。もう少し踏み込んでみましょう。
 最終盤でもない限り詰みまで読むといったことは通常難しいので、読んだ先の局面の評価は必ず必要になります。読むことで先の局面を評価し、その結果から現在の局面の評価や次に読む手を変えるなどの行動をします。自分にとって現在の局面より読んだ先の局面の方が簡単で評価しやすい場合は、読んだ先の局面の評価結果を参考に次の一手を指せば問題なさそうです。ただ、読んだ後の局面の方が複雑で評価しにくいケースもあります。そういった場合、無理やりその局面の評価を下して、手を選ぶことは良い選択とは言えません。また、読んだ先の局面は、頭の中でしか捉えられないため、脳内の不鮮明な将棋盤(個人差はありますが)で評価をすることは容易ではありません。特に中盤戦は駒がぶつかり局面が複雑化していくので指し手の候補も増え、読んだ先の局面の評価は難しくなることが多いです。
 こういったことを最近はよく考えているのですが、将棋の研究をする際や強くなるときに必要な考えのような気もしています。将棋ソフトを使った研究はある局面からの最善手や次善手ばかりを追っていくメジャーな方法だけではありません。実際はこちらが悪いけど初見では局面が複雑な故、評価を誤りやすいといった局面を多く探していくのも面白い方法です。例えば、強いソフトとそれよりやや弱いソフトの両方を使い、同じ局面を評価してもらい評価にかなり差があれば、それほど局面が複雑で評価しにくいと言えるはずです。冒頭で書いたとおり、コンピュータ将棋も人間も能力に差はあれど、基本的な思考パターンは同じなので、コンピュータ将棋の評価値が揺れ動く局面は人間にとっては、なおさら正しい評価を下すことが不可能な局面というわけです。
ばかでちゅので何書いてるかわからにゃくなってきまちたからおわりまちゅ。
 
 

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