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つつんで、ひらいて、さわれる、しごとを。

『つつんで、ひらいて』という映画を観た。

吉祥寺のUPLINKで最初に観て、あまりによかったので再鑑賞したくなった。
たまたま地元、横浜のジャック&ベティで上映が開始する日だった。
行ってみると、初日を記念して広瀬奈々子監督ご自身も舞台挨拶に来ていた。  

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吉祥寺でも挨拶に来ていたので、3日間で2回お会いする事に。
広瀬さんはひとりひとりに丁寧に対応されていて、非常に好感の持てる素敵な人だった。なんだか、大学の頃の、ゼミの先輩を思い出す。そういう、近しさがある。

映画『つつんで、ひらいて』とは

『つつんで、ひらいて』は、装幀者の菊地信義さんを追うドキュメンタリー。
1万5千冊を装幀してきた彼が、2016年前後で手掛けた装幀の過程を映し出す。

菊地さんは今もアナログに仕事をする。
ペンでスケッチを描き、紙をハサミで細かく切り、糊で貼る。
完成したレイアウトは、アシスタントの方がデータにする。

その作業の様子は、まるで家具の工房でも覗いているようである。

映像は本のように章立てされて、10数分毎くらいに区切りがある。

菊地さんの手作業。
作家の言。
本の紹介。
行きつけのカフェ。
工場の様子。
菊地さんの手作業。
編集者の言。
本の紹介。
菊地さんの手作業。
弟子の言。
素材の選定。
本の紹介。

順番は実際と違うと思うが、概ねこのような構成で、飽きさせない。
ところどころで流れる音楽は、軽快でポップ。
Eテレで流れていそうな音楽。
重くない。
けど、決して軽くはない。

この映画のみどころ

「本というのは小説にとってのからだ、身体(しんたい)なんです」

というのは、映画の中での菊地さん自身の言。
これが、よい。

紙の本の「よさ」は多くの人が語る。
だが菊地さんの言葉は、紙の本とは「何」であるかを、端的に物語る。
そして考えてみると、それはこの言葉だけではなくて、映画そのものも紙の本とは「何」であるかを、非言語的に伝えているとも思う。

『つつんで、ひらいて』はとても良質なドキュメンタリーだ。
あからさまなメッセージ性みたいなものは、ない。
でもそこには実体と温度がある。
そして観賞中に伝わってくるいちばんの質感は、手作業で本の「からだ」を作っていくことの喜びである。
『つつんで、ひらいて』というタイトルも、やはりその満足感を示唆するような、手触りの気配を感じさせて、内容の核をとてもいい味で抽出している。

そしてこの映画のみどころは、菊地さんの仕事は全部手作業だという部分、でも、あるのだが、それだけではない。
装幀を手伝う出版社の方々や工場の方々の姿勢から紙の本はいかにして作られるものなのかということが伝わってくる。なんなら工場の機械がガシャンガシャンと動く様子も圧巻で、大きな見所である(そしてその映像の差し込み方に、広瀬監督の「愛」を感じる)。

「紙の本って、『何』なのか」ということを実感として感じられるところも、この映画のよいところなのだ。

納得できる、仕事のからだを求めて

菊地さんは、終始嬉しそうである。
菊地さんの職人的な仕事の様子に僕はすごく憧れる。
その手作業も、彼の「仕事の『からだ』」だ。
慈しむことのできる仕事をしている、さわれる仕事をしている、という感じがする。

同時に、おそらくこの映画で描かれているような、菊地信義さんが手作業で感じているだろう感触、フェティシズムは、少なくとも本の装幀という仕事に関しては、これから失われていくことはあれ、感じる機会が増していく、ということはないだろう、とも思う。そう考えると、普通は、ちょっと寂しくなる。しかし、である。

この映画はそういう感傷的な映画ではない。
かつてあったものは失われていくけれども、そのことを受け入れるところからどう出発するか、と自然と考えたくなる。
そして、それが全然押し付けがましくないのである。
こっちが勝手にそういうことを考え始めてしまうのである。

これは、菊地さん自身のその「納得できる手触りを追い求める情熱」、それがヒーターのじんわりした熱のように、一時間半かけて体の奥まで伝わってくるからだろうと思う。
その熱が、気付いたら移っている。

菊地さん自身に、「エラそうなところ」が全然無いから、というのもあるんだろうね。

本が好きな人や、アナログな仕事について関心がある人であればもちろん楽しめる映画であると同時に、実際には、この映画は「熱」をじんわりと受け取ることもできる映画なのだ。
つまり、誰でも受け取れるものがある。
僕はそう信じる。
菊地信義さんはたまたま装幀という行動を通して「納得できる手触りを追い求める情熱」を発揮しており、その情熱は、誰もが、いつの時代にも、きっと自分の仕事の中に見出すことのできるものだと思うのである。

菊地さんがなす仕事のよしあしは、「自分の納得」以外に根拠がある感じがしない。
そこにあるのは、ただ自分が、自分の「からだ」が、意味があると思えることを真摯に追求している人間の姿だ。

参考

P.S.

そうそう、パンフレットが、これまた、菊地さんと弟子の水戸部さんの装幀によるもので、つつんだり、ひらいたりできて、秀逸なんです。
オモシロイ。

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