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「国際看護」「国際看護師」ってなんぞや

こんにちは、プリンセスです🙌

最近、「国際看護」という科目?分野?を目に(耳に?)する機会が増えてきた。

それに伴い「国際看護師」という単語も聞くようになったのだが、
個人的にはあまりピンときていていない。


それもそのはず。

そういう資格名や、職業名はないからである。

近年急速にSNSが広がり、
(まあ、プリンセスは全く波に乗れていないのだが。と言うか、意図的に乗っていないのだが)
自分をアピールすること、特技や意見や考えを発信することがあたりまえになってきた。

それ自体は全く悪いわけではなくて、
「国際看護師」というものも、そういう潮流に乗ってできた言葉だと思っている。

要するに、使う人によって、その定義が違うということ。

※「国際看護師の日」というものは存在するが、たぶんこれは、全世界で働く看護師のための記念日ということだろう。


「国際保健」という言葉の用い方もそれぞれだったりする

「国際看護師」というネーミングについて疑問を思うことが多々ある。

一方で、そういう私も「国際保健」という言葉を使っているし、
自分の関心がそこにあるので、その言葉もよく耳にする。

日本語では「国際保健」と言っていても、多角的な意見があって、
・Global Health
・International Health
・Tropical Medicine

のどれを意味するのか、
あるいは、これらの単語の定義の相違について、
用い方について、ある程度の意見の一致はあるものの、
誰が使うのか、何を強調したいのかによって差異はある気がする。

一応の定義はあるようだが、きれいに線引きできるものではないと思っている。


「国際看護」の特別講義をしたことがあるプリンセス

実はそうなんです。

ついでに「異文化コミュニケーション」というものも併せて行ったことがある。


だからこそ、
「国際看護」「国際看護師」という単語について意見がある。笑


人の話を聞いていると、国際看護師というのは、
・日本(母国)以外で働いている看護師
・英語(というか母語以外)を使って働いている看護師
みたいな感じ。


でも…

(プリンセス的には)たぶん違うと思う。

(あ、言っちゃった!笑)


ひとこと言わせてくれ!

ハッキリ言って、
上にあげた2つの看護師像は、私の「国際看護」の講義の内容とは違う。

特別講義をした際に、
私は医療英語の講義をしたわけでもないし、
もちろんJICA海外協力隊の活動の話はしたが、海外での働き方自体を説いたわけではない。


根本は、もっと違うはず。


言語化してしまうと、いきなり俗っぽくなってしまうが、
・広義での(異)文化理解
・医療と文化のはざまで何を思うか、考えるか
・自分の看護観との対峙、再確認

だと思っている。

だから、例えば、
日本にいても、在日外国人の患者さんと接するときは、
言語面に限らず、(異)文化面での理解やサポートが必要だし、
そのサポートが必要だという視点を持っていたら、
ある意味、一人前の「国際看護師」であると思う。


あるいは、就職を機に今まで育った環境とは違う環境にある場所に移り、
そこで看護をするとき、
たぶん異なる考え、文化と直面する。
そしてそれに従って受療行動、意思決定する人/場面と出会うだろう。

もし、それが自分が今まで学んできた「西洋医療」と相容れないものだったら?
その場所の意見を否定するのだろうか?
でも、その文化的意見を全て受け入れてしまったら、
「医療従事者」としての矜持はどこへ行くのだろう?

そう。

板挟み。
ジレンマ。

延々と悶々とする日々。

でも、
その状況に置かれるからこそ、
自分の立ち位置や看護観を振り返るのである

日本国内でも津々浦々、全国が同じ考えを持っている土地ではない。
同じ医療水準で、同じ医療施設があるわけではない。

要するに、
私が今疑問を感じている言葉の真意は、

自分がどこで、何語を使って働くか、ではなくて

どの文化と直面するのか、どの文化に身を置いて働くのか

ということであると思っている。

そして、もしかしたら、それが「日本国外」の場合を国際看護というのかもしれない。

でも正直、そこまでの線引きが必要なのだろうか?
ラベリングが必要なのだろうか?

個人的には、大きな差ではないと思っているから(笑)、
そんな単語を使って差別化する必要などないと思うわけ。


シンプルに

私も自分が何者であるかを探りたくなるけど、

もっと世の中シンプルだと良いのにと思う日々。


Bonne soirée☆

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