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11/6(火)うちのねこについて

うちで飼っている猫、凛ちゃんは僕にとって世界一かわいい猫だ。
政治、社会、経済。
日々さまざまな悪いニュースに触れる折、もうこの世界には信じられる確かなものなど残っていないのではないか?と思っている方も多いと思うが、安心してほしい。うちの凛ちゃんが世界一かわいいということ、ただそれだけは、この閉塞した日本社会で唯一信じることができる厳然たる事実だ。
今回はそんな「歩くファクト」こと凛ちゃんについて紹介したい。

凛ちゃんとは一緒に暮らすようになってからはもうすぐ4年になる。
出会ったのは2015年1月6日のことだった。
当時、同棲していた彼女は正月休みで地元に帰っていたが、僕は一人残って京都の家で新しい年を迎えていた。年末に降り積もった雪が外にまだ残っていて、部屋の曇りガラスの向こう側からは雪に反射した白い光がぼんやりと差し込んでいた。
テレビを観ながらコタツにもぐりこんでいた僕は、ふとその光が途切れて部屋が少しだけ暗くなったことに気が付いた。目をやると、窓の向こうで見たことのない猫の影が外のブロック塀の上を動いていた。
かねてより猫を飼いたいと思っていた僕は、ブロック塀の上に少量の餌を置いていたのだった。驚きつつも、僕はその影を驚かせないようにのっそりと立ち上がり窓に向かった。
誰かに見られたら恥ずかしくなるようなスローな動きで窓に近づき、カギを開け、足元から天井の高さまである窓をゆっくりと開けると、目の前にその猫はいた。子猫と成猫の間くらいだろうか。キジトラ模様が背景の白によく映えていた。
置いた餌と僕の顔を交互に見ていた猫は、寒かったのか少し震えながら小さく鳴いた。僕は「もっとあるよ、あとこっちは暖かいよ」と窓をさらに大きく開け、近くに置いていた袋から餌を取り出して部屋の床に撒いた。
猫は少し悩んだあと、ひょん、と軽い身の動きでブロック塀から部屋の中に降り立った。
その瞬間からその猫は僕らの家の住人となった。
後日、戻って来た彼女によってその猫は「凛ちゃん」と名付けられ、まるで最初からそこにいたかのように家に馴染んでいった。

そんな経緯でうちのねこになった凛ちゃんだが、続いてはその魅力について伝えたい。
僕は凛ちゃんのことをよく「かわいい」と表現するが、おそらく写真や動画を客観的に見ると「美しい」という表現の方がしっくりくるかもしれない。
大きい目と高い鼻、ピンと伸びた耳は、凛ちゃんの意思の強さや精神的な自立ぶりをよく表している。そしてスラリと伸びた長いしっぽには規則的なシマ模様が入っていて、動く姿は見る者を魅惑する蛇のようだ。
もちろん他の多くのねこがそうであるように、凛ちゃんもその毛はモフモフ・肉球はプニプニ・腹の皮はタプタプだ。これは猫そのものの魅力になってしまうが、この動物の体はどこを触っても人間を幸福にしてしまうのだ。

そんな美しさをもつ凛ちゃんであるが、次はその性格に迫っていきたい。
凛ちゃんは基本的にとても人懐っこい猫だ。友人を家に招いた時など、凛ちゃんはすぐに彼らと打ち解けてしまう。
最初はもちろん怖がって距離をおくのだが、僕が彼らと話をしたりしていると気になり始め、徐々に近づいてくる。そして「ちょっと通りかかったからついでに・・・」というような顔をして、友人の膝に顔をこすりつけたりする。そもそも、出会ってから10分も経っていない僕の家に飛び込んで来てしまうような猫なので当然かもしれないが、かなり人間に対しての警戒心が薄い猫なのだ。
凛ちゃんの不思議な性格としてもう一つ紹介したいのは、人間の「手」への執着だ。どちらかというと凛ちゃんは「僕という人間」ではなく「僕の手」に懐いているのではないか、と思うことがよくある。以前の日記にも書いたが、夜一緒に眠る時に凛ちゃんは必ず僕の手の上で横になる習性があるのだ。
こうしてコタツでPCに向かい日記を書いている時も、凛ちゃんはキーボードの上にある手を行動の目的にしているため、いつもコタツの上に乗っては撫でることを求めてくる。
もちろん「邪魔なんですけど」などと言っても動いてはくれないので、自分の膝を叩いて降りるように誘う。すると膝の上に降りてはくれるのだけれど、そこで手をキーボードに戻すと「手が無いならここに用はない」と言わんばかりにプイとどこかへ行ってしまうのだ。

凛ちゃんは人懐っこく、特に人の手が好きな猫だ。僕はこの凛ちゃんの習性を思うといつも何とも言えない温かい気持ちになる。それは、凛ちゃんが僕の家に来るまでの人生の中で「人間から怖い思いをさせられた」という経験が無いということを示しているからだ。
僕には凛ちゃんが産まれてからうちに来るまでのことを知る事はできないが、幸いなことに凛ちゃんのまわりには猫をいじめたり虐待するような人間はいなかったのだろう。きっと人間に優しくされて育ったのだろう。そんなことを思うと、その僕が知らない優しい人間たちに感謝せずにはいられない。

僕が凛ちゃんをこんなにも好きでいる理由は、その見た目や性格の良さだけではない。凛ちゃんにその自覚は無いのだろうけど、これまでの4年間で僕は何度も凛ちゃんに救われてきたのだ。
凛ちゃんがうちに来てから1年半後、同棲していた彼女が家から出て行ってしまった。明らかに浮気をしていたようだったので、僕はどん底に突き落とされたような悲しみに暮れていたが、空っぽになった家にまだ凛ちゃんがいてくれたおかげでなんとか乗り越えることができた。
その後、職場の配置転換で仕事がどんどん辛くなり、過労死ラインを超えるような残業をさせられていた時も、凛ちゃんを心の支えに生き延びることができた。
それから地元に戻りひきこもりになりセルフネグレクト状態に陥った時も、凛ちゃんに支えてもらったおかげで何とかこうして復活することができた。
凛ちゃんからしてみればただ自分の好きなように暮らしていただけなのだろうけど、僕はそのことに何度も救われていたし、今も救われ続けている。

以上が僕が凛ちゃんを溺愛している理由の一部だ。
本当はもっともっと凛ちゃんについて書きたいのだけれど、もうこれを書き始めて4時間ほど経ってしまったし、文章も長くなり過ぎたのでこれくらいにしたい。

昨日の日記で書いたとおり、今日から文章の書き方についての勉強を始めた。勉強と言っても解説しているホームページやブログを見るだけだが、色々と参考になるノウハウがあったので早速今回の日記からいくつかを試してみた。明日もしっかり勉強して、生活や日記を書くことを続けていきたいと思う。凛ちゃんの妨害工作に負けずに。

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