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シルクロードを目指した父と、イラストレーションを目指す娘


「俺も若いときさあ、バーミヤン遺跡に行く途中にトラックが転落して、あばらが折れてガムテープでぐるぐる巻きなったんだ。」

仕事で東京に出てきたという、数ヶ月ぶりに顔を合わせた父は、酒を飲みながら、そんなめちゃくちゃなことを笑いながら言った。

バーミヤン遺跡とは、あのはちみつ揚げパンが美味しい某中華チェーンではない。中東のアフガニスタンにある、今はもう存在しない世界遺産の巨大な仏教遺跡である。

それは今から数年前。私が、浪人を経たり、その上で希望の音楽大学に行けなかったり、結局音楽の道を諦めて文系学部に編入したり、就活がなかなか決まらなかったりと、なんだかローリングストーンの如く転げまくり、ようやく大学を卒業することが決まった大学4年の2月ごろだった。
私は大学を卒業前にイタリアに一人で旅行に行くことを決めていた。しかし、当時イタリアでは地震や冷害などの自然災害が続いており、母は、私が旅行に行くことに心配していた。災害だけでなく、私は自他共に認める英語力のなさとともに知らない人とのコミュニケーション苦手で、就職面接の際にも、なんか暗いと言う理由で落とされたこともあるくらいには、20代後半の今でも暗い。
それでも一度大学の研修で訪れ大好きになったイタリアに、卒業前にもう一度行き、美しい景色やイタリアのスローフードに触れたかった。

そんな中、男親とはそういうものなのかもしれないが、父は

「若い時ってそう言う時があるよな、人生一度きり、自分の人生なんだから好きにしろ。明日は明日の風が吹く」

と、確かそんなことを言った。

父は60代後半。父が若い頃というと40年以上前、今のようにインターネットもない時代にシルクロードに憧れ旅に出た。お金もあまりなく食費は1日数百円。シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、東欧から日本に向けシルクロードを辿る旅をしている途中にすってんころり、おにぎりの如くとはすっとんとんとは言っていなかったが、乗っていたトラックが崖から落ちてしまったそうだ。たまたま運良く、あばらが折れ、ホッチキスとガムテープを体にくっつけながらも生きて帰ってくることができたが、もしかすれば、今、私もこんな文章を書くことができていなかったかもしれない。

父親のそんな一言もあり、不安はあったものの、私はイタリアへ旅立った。
到着したローマでWi-Fiがつながらない中迷子になったり、ツアーの時間を50分(フィフティ)から開始だと思って集合場所に行ったら15分(フィフティーン)で、すでに集合場所に誰もいなかったり、帰りの飛行機に乗り遅れそうになったりなどなど、ちょっとした出来事はあったものの、とても充実した時間を過ごすことができた。美しい景色に、美味しい食材、親切な人びと、数年たった今でも私の中であの時の時間は生きている。

父親のその「自分の人生なんだから好きにしろ」と言う言葉は、なんとなくだが今の私の生き方にも影響を受けている。

私は今、会社員をしながら、イラストレーションを描いている。小さい頃から人とのコミュニケーションが得意ではなく悩ましく感じることもあったが、幼稚園でも小学校の低学年の時も、紙や自由帳にお絵かきをする時間は心が落ち着いた。
社会人になってからも、お客様からクレームの電話を受けている時など、自分の心が痛い時は、気がつくと白いメモ紙に自分でもきづかぬうちに絵が描かれていた。社会人になってから、改めて自分にとって絵を描くこと、何かを作ることは自分が生きることと切り離せないと気づいた。

そのことに気付いてから、仕事を続けながら、イラストレーションの学校に通った。毎月の残業が80時間を超える日々を数年過ごしたある日、体調を崩した私は、改めて自分が何をして生きたいのかを考えた。それから新卒で入社し数年間お世話になった、職場を辞めることにした。

今はまだイラストレーションが仕事となっているとは正直言えないが、毎日絵を描くことを続けている。

「絵を描き続けること」それが私の生きたい人生だからだ。


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