人間が天才に惚れる理由
どうも、マサです。
みなさんは、天才と出会ったことがあるだろうか。
見出しの写真はレオナルドダヴィンチであるが、彼もまた何百年と語り継がれる天才の一人である。
現代にも、例えば野球界のイチローのようなそれぞれの分野でたくさんの「天才」が思い浮かぶだろう。
このような人たちに我々は常に魅了されてきた。
それは、なぜか。
天才たちの言動が自分たちとかけ離れすぎて、フィクションのように感じているからだと思う。
「サピエンス全史」という本によると、
人類が他の動物と違うところは、フィクションをつくることができる点である、と書かれている。
言語を持つ動物は人類以外にもいるが、フィクションをつくるのは人間特有の能力であるのだ。
宗教も一種のフィクションである。
そして、そのフィクションを長い歴史の中で語り継いできているのも事実である。それほど、人間の生活に影響してきたのが「フィクション」というものなのだ。
ここで話を戻すと、人が天才に心動かされるのは、なぜだろうか。
それは、人間離れした功績、言動がありながらも、自分と同じ人間であるということに親しみや希望を感じるからなのではないか、と思う。
歴史上の人物で天才音楽家、天才数学者、天才チェスプレイヤー、、様々な天才がいる訳だが、その人たちによるフィクションのように感じる偉大な功績に「そんな人がいたのか」と驚愕すると共に、そんな人にも女好きのエピソードがあったり、人間関係がうまくいっていなかったり、「こんなすごい人もそんなことがあるのか」というようなことがあったりする。
イチローの選手の例をあげると、よくイチロー選手が小学生の時に通っていたバッティングセンターが取り上げられていたりする。
あの数々の偉業を成し遂げていたイチロー選手も少年時代はごく普通の地域のバッティングセンターでひたすらバットを振っていた、そこに親近感を覚えるし、今の野球少年たちは「頑張れば僕もイチロー選手みたいになれる」と、希望をもらっているのだ。
今回は、人間が「天才」に惚れる理由について書いてきたが、フィクションに魅了される人類にとって天才という存在はとても影響力の大きい人であることが分かった。
時には、「あの人は今の自分の年であんなことをやってのけた」と、そんな天才と自分を比較する時もあるかもしれない。
でも、それも人間の性質である。
僕も、みなさんも、天才たちに希望をもらいながら、自分の人生を生きていきましょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?