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あらためて復旧と復興を考える

淺見郁樹
論説委員
東日本旅客鉄道株式会社 常務執行役員


2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は巨大津波を伴い、尊い命をあまた奪うなど沿岸各地に未曽有の被害をもたらしたほか、福島第一原発に深刻な事故を生ぜしめた。JR東日本の鉄道路線も7線区、延べ約400kmが長期間の不通を余儀なくされた。

あの時から9年余の時を経て、2020年3月14日に常磐線が全線で運転を再開し、被災した全線区を運行再開することができた。多くの方々に並々ならぬご理解ご支援ご協力をいただいてきたことに、心より感謝申し上げたい。

『突如として現れる、あらゆるものが破壊され流された光景、油と魚と潮の混ざり合った臭い、荒涼たる高田松原(だったはずの空間)を吹きわたってくる風、そして、何事もなかったかのように静かな海を忘れることはできません。これらを前にすると、(中略)思いを一つひとつ形にして積み上げてきた、その多くのものが失われてしまった今となってできることは、あらためて思いを起点に積み上げなおしていくことしかないのだと思わざるをえません。』

これは、東日本大震災直後に現地支援に派遣され、その場に立った時に書き留めた拙文である。この言葉を思い起こしながら、あらためて復旧と復興を考えることとしたい。

JR東日本は旧国鉄の改革を原点に鉄道の再生に邁進してきたが、東北新幹線や東北本線をはじめ多くの鉄道路線が同時に運行不能に陥る前代未聞の事態に直面した。夜を日に継ぐ作業により、およそ2か月後に東北新幹線等を応急復旧し運転再開させることができた時、大勢の方々が走り出した列車に手や旗を振って迎えてくださった。その姿を目にした我々は、鉄道は沿線地域に元気をもたらすことができるという思いをあらたにし、災禍からの復旧と東北の復興をJR東日本の第二の原点と据え直して、大震災からの復旧・復興に取り組んだ。

しかし、そこからの道筋は平坦ではなかった。津波を受けた沿岸部では、言葉にできない鉄道の姿があちこちにあった。また、沿線の市街地・集落は壊滅的な被害を受けており、原発周辺地域には避難指示命令が出され被害状況把握すらできない有り様だった。大震災からの復旧とは、前代未聞の現実を前に、そこにある、あるいは、そこにあったはずの様々な思いを個々具体に擦り合わせ、実行に移していく実務の積み重ねであった。復興まちづくり計画にも参画し複雑かつ困難な調整を広範に進めたが、限りある時間の中でお互いに納得できる案を見出していくことが、いかに重く、神経をすり減らす仕事であるかということを痛感する毎日だった。

密実な話し合いをひたすらに繰り返し、いかに復旧すべきかについて検討協議を重ねた結果、原位置での復旧、嵩上げによる復旧、線路や駅位置を内陸側へ移設しての復旧、BRTによる復旧、第三セクターへの経営移管、沿線地域の避難指示が解除されない中での運転再開など、線区ごとに様々な形態となった。目標とした時期までに全線区を運転再開することができたのは、多くの方々がそれぞれの思いを寄せてご理解ご協力をいただいたからに他ならない。

一方、未だ旧に復したとは言えない日々の暮らしも、そこにはある。地域の社会経済活動を復し、活き活きとした豊かな人の動きを創り出すことができてはじめて、未来に託された切なる思いに報いることができる。また、復旧した線区を持続させることは国鉄改革を原点とする我々に課せられた重大な使命である。培われた人と人との関係を土台に、地元の方々、あるいは自治体や企業などと協働し、ご利用を促進して健全な運営を続けていかなければならない。そして、列車の自動運転やMaaS(Mobirity as a Service)等を積極的に導入するなど、復旧・復興をさらに線区の「革新」へと引き上げていくことも重要である。

今回、復旧と復興を考えることで、あらためて目を開かされた。人の思いや世の課題に向き合い、社会基盤を整備し持続させる使命に終わりはないと。あの日、あの時、あの場に身を置いていたことを奇貨として、このことを伝えていきたい。

追記;本稿は、復旧と復興の最前線で長く尽力した山本秀裕氏(現・JR東日本横浜支社)との対話を経て、筆者の責任において著したものである。

土木学会 第164回 論説・オピニオン(2021年1月版)

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