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COVID-19と土木・建築―デジタルで代替されない空間をつくるー

牧紀男
京都大学防災研究所教授

COVID-19の感染拡大にともない東京への出張がなくなった。予定表で確認してみたら最後に東京に行ったのは2020年3月21日であり、半年以上、東京に行っていない。以前は頻繁に東京に出張していたことを考えると、大きな変わり様である。しかし、COVID-19への対処方法は、防災対策として見ると新しいものではない。被害の大きさは外力、脆弱性、暴露量の関係で決まり、この3つの要素を操作することで被害を小さくするのが防災対策である。新型コロナの対策は暴露量を下げること、すなわち社会活動を小さくすることで「命に対する被害」を小さくしようとしている。同じ考え方にもとづく対策はこれまでも行われている。台風接近時に公共交通機関の計画運休や、以前、検討されていた東海地震の「警戒宣言」発令も、暴露量を小さくすることで、被害を小さくしようとする試みである。自然災害の分野では、この方策を適用すると、社会活動を抑えることにともなう「経済活動への影響」が懸念されることから、台風時の計画運休でさえ批判がありなかなか実現が難しかったが、感染症対策ではすんなりと導入されたことに逆に驚いた。

社会活動を制限する対策が実施され、6カ月も東京に行かなくて済んでいるのは、様々な活動をデジタル空間の中で行うことが可能になっているためである。ある決まった情報の共有、事項の承認といった会議は、デジタル空間での会議の方がむしろ効率的であり、移動しなくてもよいため、以前より多くの会議に参加することができるようになっている。インターネット飲み会はそれほど楽しくないが、買い物はデジタル空間上で可能である。しかし、筆者は建築の分野に席をおき、災害復興を専門とする研究者であり、実際の物理空間のデザイン、マネジメントを行う分野の専門家という立場から考えると、デジタル空間に籠ることに甘んじていることに忸怩たる思いもあり、悶々としていた。

これまでの災害復興の経験を踏まえると、社会が元の姿に戻る力は強く、しばらくすると社会は元の生活に戻っていくと思われる。また災害の経験を経て新たに生まれたように見えるモノも、実は災害前から準備されていたモノである。ZOOMをはじめとするテレビ会議システムも、デジタル上での共同作業システムも以前から存在していた。誰もが安心・安全な「新しい生活スタイル」に対応するために求められる十分な公共スペースを持つ都市空間は、防災・にぎわいといった観点から以前から目指すべき都市像とされてきたものである。災害の経験を経て新たに生まれたものが見えてくるのは、大分先のことである。しかし、社会がデジタル空間の便利さを知ってしまったことの意味は大きい。我々が対象とする物理空間はデジタル空間に代替されてしまうのだろうか?

悶々としていたところ、実際に対面でのシンポジウムの企画に参加することとなった。企画をはじめるとデジタル空間は、なかなか手ごわい相手であることが分かってきた。「人と会う」愉しみを確保する懇親会を企画することが難しい現状を踏まえると、「その場所に行く」ということに愉しみ・価値・喜びを見いだせない限り、実際の物理空間でのシンポジウムは成立しない。様々な場所を検討した結果、京都の庭園を持つある邸宅から、インターネット中継、会場参加の併用という形式で実施することとした。実施されるのは10月であり、どれだけの人が実際の会場、インターネット中継を通じて参加するかは不明であるが、検討の中で分かったことは、良い場所、魅力ある場所をつくり・維持することの重要性である。この議論も、決して新しいものではなく建築家の原広司は、1970年代に均質空間の批判を行っている(『空間<機能から様相へ>』(1975))。しかし、今回の経験を経てそのことが実感を持って捉えられた。

COVID-19の経験を経てわかったことは、我々、物理的空間を扱う専門家には、デジタル空間では代替できない本来の意味での良い都市空間づくりがもとめられていることである。すなわち、全国どこにでもあるような紋切り型の場所をつくっていては、物理空間は生き残ることが困難となる。そのためポスト・コロナの時代では物理空間を扱う専門家により高い能力が求められるようになる。

土木学会 第161回 論説・オピニオン(2020年10月版)
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# COVID-19 #災害復興


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