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社会と土木の100年ビジョン-第4章 目標とする社会像の実現化方策 4.1 社会安全

本noteは、土木学会創立100周年にあたって2014(平成26)年11月14日に公表した「社会と土木の100年ビジョン-あらゆる境界をひらき、持続可能な社会の礎を築く-」の本文を転載したものです。記述内容は公表時点の情報に基づくものとなっております。

4.1 社会安全

4.1.1 目標

(1) 究極の目標
土木が責任を有する社会安全は特にインフラサービスに関わり、その安全を脅かす要因として、大地震や津波、気候変動等に起因する集中豪雨・強風・豪雪等による風水害、雪害、土砂災害等の自然災害、事故、犯罪・テロ、疫病等を挙げられる。ここで社会安全とは、インフラの個別施設の健全性だけでなく、人々の生命・健康、社会活動、組織・系統、さらに財産が危害を受けることなく存在する状態、すなわち社会の総体としての安全性と定義できる。しかし、この社会安全のすべてを土木が保障することは到底困難であるが、自然災害や事故の多くはインフラと関わりを持つなかで発生していることから、究極の目標として設定すべきことは、「インフラの健全性と、インフラの利用方法の工夫等により、インフラに関わる人間の生命を守ること」であろう。

(2) 究極の目標の実現に向けた社会
インフラに関わる人間の生命を守るためには、リスクを極小化し、顕在化したリスクに対して持ちこたえられる社会の実現が求められる。ここで言うリスクとは、上記の自然災害やインフラに関わる事故に留まらず、交通や発電等の巨大システムの制御不能を含んでいる。過去には自然災害が大きなリスクであったが、科学・技術の発展により、社会システムの巨大化、複雑化、高度化が進み、人為的なリスクも大きくなっている 注3)。改めて強調すると、都市においては、家から一歩外に出れば、そこはインフラによって成り立つ社会であり、私的空間を除くほぼすべての公共空間が土木にとってインフラに関わる人々であり、生命を守る対象と言えよう。 

4.1.2 現状の課題

「社会安全」という幅広い概念が論じられるようになった背景に2011 年3 月11 日に発生した東日本大震災を挙げられる。これは、東日本大震災が、複雑かつ高度な社会の脆弱性を顕在化させ、津波や原発事故による被害がインフラサービスを利用する人間の「命」を守れない事実を改めて示したことに起因する。
インフラの老朽化等により、インフラ利用者の生命が失われた事故も重なり、土木は改めて社会安全に関わる現状の課題を再認識するに至ったが、それ以前から課題として挙げられた事項も少なくない。それらには技術者や事業者・研究機関等に向けたあるべき理念として描かれた内容があり、未達成という点で現状の課題に置き換えることができる。

(1) 東日本大震災と原子力発電所事故に関わる現状の認識
東日本大震災により発生した巨大津波と原子力発電事故は、人々が頻繁に発生する事故・災害とまれに発生する事故・災害への対処方法が異なること、そしてそもそも低頻度な災害・事故へ備えることの重要性と困難さ、確率論的安全評価 注4) の限界とを認識させた。また、現代社会のサプライチェーンの脆弱性、専門分化した専門家同士の意思疎通の問題、想定外発言に端を発した市民と専門家との不信の連鎖 注5)、非常時モードの欠落 注6) などの諸課題を突きつけられることとなった。

(2) 専門家・事業者・市民の各視点で考えることの重要性
社会安全の究極の目的は市民の安全を守ることであるので、技術者がまず考えるべきことは、全体のシステムを、どのように計画・設計し、運営し、また市民が利用し接することができるのかを、事故などにより影響を受ける市民の安全の視点から考えることである。技術者も同時に市民であり、時には事業者あるいは行政官でもあることの自覚が求められるといっても良い。単にそれぞれの専門家が取り扱う部分の完全性のみに努力を傾注してはならないが、このような視点で考えることは未だ十分に実現されていない(図4.1)。

図4.1 社会安全実現のために共有すべき3 つの視点 3)

(3) 万が一に備え、多段階外力を想定することの重要性
技術者は、人間の知識、経験には限界があり、通常の科学・技術で対処困難な自然現象が起こり得ることを想定し、予期しない複合的災害・事故により社会の安全が脅かされる事態となる恐れがあることに思いを巡らせ、万が一に備えなければならない。計算上のリスクが低いことをもって最初から無視する姿勢は取るべきではないが、このことに対処する具体的な備えについては必ずしも明確ではない。ただし、多段階外力を想定することで、少なくとも人命を守ることの重要性の理解は広まっている。

(4) 分野間連携、全体俯瞰能力の必要性
巨大システムの安全性を確保するためには、個々のサブシステムの安全性を全体システムの中でいかにバランスよく検討するかが重要になる。シビアアクシデントを想定した際に、安全確保を全体システムに対して俯瞰的に捕らえる視点が必要となる。土木技術者は、問題解決と技術革新のために、人文・社会科学を含む他分野の広範な知見や技術を取り入れて活用する必要がある。近代の科学・技術の発展は、高度に専門分化することで効率よく進められた結果、社会システムの巨大化、複雑化、高度化が進み、そのため全体を俯瞰的横断的に把握し、マネジメントすることの困難性、重要性が改めて認識される事態が発生した。その結果、社会安全が脅かされる事故を経験したが、その対応は現状の最大の課題とも言える。

(5) 市民と技術者の良好な関係の構築
社会安全は市民にとって常に誰かによって保障されているものではなく、また、公共が分担する安全のためのハード対策のみでは不十分で、避難行動など市民も主体的に取り組むべきソフト対策も含まれ、安全の確保のためには専門家と市民の良好なコミュニケーションが不可欠である。技術者は絶対的な安全というものは存在せず、人間の営みが利益とリスクのバランスの中で成り立っていることを理解し、その理念を市民と共有し、また企業であれ市民であれ「自らの命は自ら守る」こと、あるいは「自助」、「共助」、「公助」という安全のための行動の重要性を認識することや、リスク・コミュニケーションを充実させること等が重要であるが、それは未だ十分ではなく課題と言える。

4.1.3 直ちに取り組む方策

(1) 発災前後対応の高度化・システムの改善
従来から国や地方自治体が取り組み、特に東日本大震災以降に見直しが進められている大規模災害前後の救援・復旧の体制を大胆に見直し、必要に応じて新たな体系・体制として確立する。特に、初動体制の円滑な立ち上げ、速やかな情報収集・緊急調査の体制整備、救命・救助活動を支援するインフラシステムの整備や人材・機材派遣体制の確保、継続的な被災者対応の体制確立などを実現する。

(2) 専門家の信頼回復と役割の強化
社会安全に関して、専門家としての技術者個人がすべてを把握し判断することが困難である以上、他者や組織への信頼は不可欠であり、常日頃技術者倫理を実践し、市民に分かりやすく説明し、市民に信頼される努力を続ける。一方、組織においても情報公開を伴う実践によって、その意図を開示し市民からの信頼を確保するため全力を挙げて取り組む。
非常事態に直面した技術者は、経験した災害や事故が、従来の考え方や運用方法などの過誤に起因し、技術者や組織の責任問題を内在していたとしても、そこから目を逸らし放置することなく、原因を究明し、再発の防止と改善を図り、さらなる社会安全の向上に貢献しなければならない。そのことを可能とする社会の仕組み、技術の限界を知り過誤を隠ぺいせずに次の災害や事故に生かすことのできる法制度や仕組みを構想し実現する。
なお、福島原発事故の原因究明に関しても、未だ地震動による配管損傷等の有無やその影響について、現場検証等による明白な事実確認が未了であるにもかかわらず、技術者は原発再開に関わる様々な判断を迫られる事態にある。このような現状も認識し、技術者は、市民が自らの命を守り、社会・経済活動や生活を継続するため、仕組みや備えを強化しようとする際には、専門家として積極的にこれに参画し活動を支援するよう努めるべきで、専門家として客観的な科学的知見に基づき積極的に政策決定に貢献し、社会安全の一層の推進を図る必要がある。

(3) L1、L2 思想の地震・津波以外への適用
兵庫県南部地震(1995 年1 月)の経験から、地震工学分野において極めて稀な非常に強い巨大地震に対応するレベル2 地震動の概念と設計思想が導入され、今回の東北地方太平洋沖地震においても土木学会は津波に対してレベル2 津波の導入を提唱し、人命の確保を最重要視する減災の思想を強調した。これは地震・津波における想定範囲の拡大、多段階の外力想定であり、工学的な万が一への備えである。
このような考え方を、地震と津波以外の他の自然災害である風水害や土砂災害等に拡大することや、老朽化した社会基盤施設の人命にかかわる事故への対応にも適用することを早急に検討し実現することが考えられる。その上で、老朽化や災害に伴って重大な事故を引き起こす可能性のある構造物に対して、維持管理の充実と合わせて万が一に備えたフェールセーフ、あるいはバックアップ装置を確保する施策を整備するべきである。

(4) 事前復旧・事前復興制度の確立
災害が発生する以前から、各地域で様々な自然災害等を想定し災害に強い将来像をビジョンとして描き、それを地域の人々が共有することができれば、発災以前から災害に強い地域に徐々に改変することが可能になる。そのようなビジョンは防災面だけではなく、環境やエネルギー、交通や土地利用、その他の社会・経済面の取り組みを含むことで地域の上位計画として位置付けられ、発災後に復旧・復興計画の方向性を速やかに確認することも可能になる。地域防災計画には発災後に速やかに復旧・復興計画を策定するための体制が示されるが、それら主に物理的計画の理念となる上位概念を、発災前から行政と市民・住民とで共有していることは重要であり、そのための法的仕組み等を早急に整えるべきである。

(5) 全体の俯瞰能力のある技術者の育成
社会安全の実現のためには、変化し進化する社会システムに内在する危険性を科学的かつ全体的に捉えて分析・評価し解決策を見出し、特定の分野だけでなく他分野の広範な知見や技術を取り入れ活用する必要があり、大規模なシステムの全体を理解し構築できる人材、マネジメントのできる人材を早期に育成する必要がある。 

4.1.4 長期的に取り組む方策

「長期的に取り組む方策」は、戦略的に都市・地域や構造物のレベルアップ、ソフト対策を充実させていくことであり、50 年後をイメージした方策の方向性を以下に述べる。

(1) 広域のネットワークによる対応
交通や物流、給排水ネットワークに関しては、ネットワークを構成する構造物がバランスのとれた性能となっており、一箇所が寸断されたとしても代替ルートによりネットワークが確保されるような効果的なリンクを張り巡らす対策も必要である。そのネットワークは、国土利用、交通計画、都市計画等と協調的に連携し、地震・津波をはじめ様々な災害時に陸海空、各種モードを統合的に活用可能とする柔軟性も求められる。また、公共性の高い構造物や緊急物資輸送を担う主要道路・主要港などの重要構造物は、発災・事故発生後の復旧・復興に向けて重要な拠点となり、サプライチェーンを確保する設備となることから、想定以上の災害によっても早期に復旧可能な設計上の配慮やソフト対策を実施する。

(2) 都市構造の強靱化
長周期地震動による大きな影響が想定される地域や、特にその影響が大きいとされる高層の構造物が密集する都市部においては、被害を軽減する対策技術の取り組みを継続的に推進する。また、密集市街地における大規模火災を軽減するための延焼遮断帯として機能する幹線道路の拡幅・整備や、老朽建築物の除却と併せた耐火建築物への共同建替え等を含む市街地再整備を進める。強い揺れへの備えとして、想定地震動に対する住宅・建築物・宅地の耐震化を行う必要があり、個々の住宅や建築物だけではなく、地すべり、崩壊、液状化等を含め、さらに集中豪雨や強風等の他の自然災害への強化も勘案し、フィールドそのものの耐震化を含む防災力の強化が必要となる。

(3) 津波・災害対策としての土地利用改変
巨大な津波への備えとして、危険度に応じて避難路・避難場所の確保等を進め、津波の到達速度を遅らせる粘り強い堤防や河川管理施設の整備、緊急物資輸送となる道路構造物にも津波外力を考慮した構造物の整備を進める。巨大な津波は広域輸送を担うネットワークを大規模に寸断させてしまう恐れがあるため、それを補完し得る広域ネットワークを構築するインフラシステムを確保する必要がある。その際、長期的な気候変動への適応策を推進し、豪雨による洪水や内水被害等、他の自然災害による影響も考慮して、安全なまちづくりを目指し、土地の集約化や移転などを含む土地利用の改変を、長期的、計画的に推進していく必要があろう。

(4) 情報技術の活用と維持管理の高度化
ICT 技術を活用したセンサーネットワークインフラを構築し、洪水や土砂災害危険箇所の抽出や予測、津波到達時刻や規模の予測、将来的には地震発生や規模の予測などの技術開発を進めるべきである4)。また、ICT 技術による、交通・電力システムのフェールセーフ対応処置、水門の自動閉鎖等の適切な処置対策も考えていく必要があり、そのようなICT インフラを整備していくことも、現状のICT 技術の発展速度を考慮すると50 年後には不可能ではない。その場所の危険度や被害の予測が可能であり、予報精度が向上すれば、ハードの性能が劣っていたとしても、避難等のソフト的な対応を組み合わせることにより、被害を最小限に食い止めることが可能となる。今後、急激に進展していくICT 技術を効果的に利用することにより、「社会安全」を確保する対策メニューを発展させていく。
構築した構造物を効率的に維持管理・修繕し、それらをどのように機能させていくかの取り組みが重要となる。今後は既存構造物の有効利用がますます求められるので、安価に劣化速度を遅らせる、簡易に予測が行える等のブレークスルー的な技術の開発を進める。また、高度なICT 技術を活用し、構造物のヘルスモニタリングが細かに実施され、少ない要員で維持管理を適切に行う方法や管理システムを構築し、構造物の安全を担保する方法を構築する。


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第4章 目標とする社会像の実現化方策 4.2 環境 →


注3) 文献1) によれば、「目指すべき安全・安心な社会」とは、以下の5 つの条件を満たす社会であるとしており、それは、究極の目標であるインフラサービスを利用する人間の「命を守ること」を実現するための社会像と言える。①リスクを極小化し、顕在化したリスクに対して持ちこたえられる社会、②動的かつ国際的な対応ができる社会、③安全に対する個人の意識が醸成されている社会、④信頼により安全を人々の安心へとつなげられる社会、⑤安全・安心な社会に向けた施策の正負両面を考慮し合理的に判断できる社会。

注4) 米国では、これまでの原発事故の経験に照らして確率論的安全評価によってのみ議論するのではなく、シビアアクシデント対策が開発され、それによる検討が当然視されている。

注5) 東日本大震災が引き起こした事象の原因として、「想定外の○○であった」という「想定外」という言葉が多用された。これは、インフラサービスを利用する市民から、大きな疑念を抱かれる要因となった。「想定外」という言葉の使われ方は、次の2 通りに分類することができる。①単に想像していなかった、との意味。②計画や設計の設定条件を超えている、との意味。上記②の「設定条件を超えたという意味での想定外に対する準備ができていたか?」という問題に関しては、地震随伴事象となる「津波」を想定する指針は示されていたものの、原子炉内の内的事象を原因とする事故確率の検討と比して重大視をしておらず、専門分野間のインターフェースが十分に取れていなかった可能性がある。また、指針に示されていない地震随伴事象に関しては、想像力を働かせて「想定」を拡大してこなかった、「想定外の想定」をしてこなかったという課題がある。大地震や津波を予測できず、さらには未曽有の原子力発電所事故が発生したこと、また施設の老朽化により死者を出す事象例が発生したことは、インフラサービスを利用する市民に、「安全」を確保する科学技術に強い疑念を抱かせてしまう結果となった。科学技術政策研究所の科学技術に関する国民の意識調査によると、「技術者の話は信頼できるか」の問いに、東日本大震災の前までは「信頼できる・どちらかというと信頼できる」との回答が87% であったのに対し、震災後には52% にまで落ち込んでいる。これは、インフラサービスを提供する技術者と、それを利用する市民の間で、健全なリスクコミュニケーションが不可能となり、安全な社会を目指す施策に対して、合理的な判断ができなくなる危険性が高くなっていることを示すものである。

注6) これまで、巨大システムのネットワークは、平常時における一つの評価尺度であるB/C 評価を至上主義的に掲げて、経済性・効率性を高めた施設整備を進めてきた。これは、「地域間が広域的につながっていること」を価値として軽視していた感があり、日本に数多くある活断層のうちの一つが動いたことによる阪神大震災で国土が分断されてしまった例は、巨大システムの「非常時」における価値を強く求めてこなかった点を露見させた。震災により国土が分断されてしまう事例は、巨大システムの「非常時モード」を担保するネットワークの拡充によるリダンダンシーが確保されていない点を課題として認識させるものである。



国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/