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伝わるために大切なこと

橋本 有美子
論説委員
(株)エイト日本技術開発

前回第190回の論説で、研修や啓発活動を通じて、品質の確保・向上や善管注意義務の重要性を伝えるなかで、伝えることの難しさを痛感していると述べた。

そこで今回は「伝わる」ということについて考えてみたい。

社内で発生するミスに情報伝達の不備を要因とした「伝えたつもりなのに伝わっていないケース」や「誤った伝わり方をしたケース」がしばしば見られる。なぜ伝わらなかったのか、情報を発信した当事者に聞くと、共通して「相手は分かっているはず」、「当然の共通認識だ」との思い込みがあったようである。つまり、伝える側が伝える相手の認識範囲を見誤り、共通認識と捉えた情報の説明を省いてしまったことで、受け取る側の理解不足や誤解を生んでしまったと考えられる。

更に、伝わりづらい情報として、経験的知識とも呼ばれる暗黙知があげられる。暗黙知とは、個人の経験に基づいた知識であり、言語化しづらく、知識の共有が進みにくいと言われている。例えば専門分野や世代が異なると、経験の違いや差が大きくなりがちであり、自分にとって当然の認識が他者にとっては認識の範囲外であるという可能性がある。ノウハウや手順は文書・マニュアル化することで暗黙知から形式知に変えて、知識として共有することで共通認識の範囲は広がり、それによって情報伝達の不備は減り、正確に伝えられると考える。

以上のことから、情報を正確に伝えるためには、まず、伝える相手の認識範囲の把握と暗黙知から形式知への変換が重要と考える。伝える相手の認識範囲は伝えた時の相手の反応を観察し、伝わったかどうか不安な箇所については、問いかけを行うことで把握する。また、相手からの質問を受け、それに答えることで、相手の認識範囲を広げることができる。

研修や啓発活動において、伝えるスキルを向上させ、伝えたいことを正確に伝えることができたとして、それだけで伝わったと言えるだろうか。伝えた相手がその情報や知識を活かして行動を起こさなければ、真の意味で伝わったとは言えないのではないだろうか。「伝わる」とは、伝えたいことが正確に伝わるだけでなく、相手の心に届き、伝えた相手がその情報や知識を活かして行動を起こす動機づけとなるメッセージとして伝わることだと思う。では、相手の心に届けるために大切なことは何だろうか。

一般的に、人は信頼した人の言葉に耳を傾ける傾向にあると言われている。それは逆に考えれば、どんなに重要なメッセージや正論であっても、熱意をもって語られたとしても、人は信頼や好意を抱いていない相手からの言葉には共感しづらく、動機づけにならないため、行動に移すのが難しいということになる。そう考えると、これまで取り組んできた研修や啓発活動はわかってもらいたい気持ちが先行し、相手を説得しようとして一方的な説明になっていたために、相手に伝わらなかったのではと思う。必要だったのは、相手のことを理解したいという姿勢を示し、相手の意見を聞くことだったのではないか。また、日頃から相手の信頼を得られるよう誠実に対応し、知識や技術を身につける努力を続けながら、相手に届くメッセージとして伝えていくことが大切だったのだと思う。

土木分野において、知識や技術の伝承は近々の課題であり、引退を前にした技術者は、これまでの経験や知識を次世代へ伝えたいと思っている。そして、次世代の技術者は、受け継いだ知識や技術を活かし、さらに経験を重ねて、またその次の世代に伝えていくことが求められている。土木工学は経験工学であり、土木の技術や知識は経験と実践によって蓄積された暗黙知を言語化して伝えられているが、先輩技術者が最も伝えなければならないのは、「土木の魅力」ではないだろうか。「土木の魅力」は知識という情報だけでは伝わりづらく、伝えるのはとても難しいが、次世代が先輩技術者の経験を追体験できる機会や仕組みを作るとともに、先輩技術者が自らの経験を語るなかで自分の感じている「土木の魅力」を伝えていくことがとても大切だと思う。その先輩技術者のメッセージが真の意味で次世代に伝わり、彼らの行動を起こすための動機づけになるためには、伝える側である先輩技術者と伝える相手である次世代の技術者との信頼関係や互いを技術者として尊重し、分かりあおうとする姿勢が大切になると思う。

最後に先輩技術者と若い技術者に伝えたい。「お互いを理解しようと歩み寄ることから始めませんか」。同じ土木技術の発展を目指す土木技術者として、大切なことを伝え、継承していくために。

第195回論説・オピニオン(2023年8月)



国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/