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イノベーションと人材育成

田中 茂義
論説委員
大成建設


土木は総合工学であり、これを担う土木技術者は人々が暮らしやすい『より良い社会』の実現のために総合マネジメント力をもって世の中に貢献してきた。土木工学は文明社会の基礎を築く工学であり、土木技術者には創造性、柔軟性、視野の広さと旺盛な好奇心などがその資質として求められる。これらに加えて土木技術者の重要な役割として社会課題の解決に資する『イノベーションへの貢献』が挙げられる。

少子高齢化と人口減少の中で、国際競争力と価値創造力が低下するという危機的状況に陥っている日本を建て直すためにも我々土木界には果たすべきミッションがある。そのミッションとは『多分野が関わるイノベーション』への参画と貢献である。イノベーションを達成するためには社会経済システムの基盤を再構築する必要があり、特に人材の育成に関する大胆な変革が重要と考える。以下、イノベーション実現のための人材育成について、学校教育における改革と企業における取り組みのふたつの切り口から私の思うところを述べたい。

イノベーションの実現のためには人材育成の基盤整備が必須である。これには『知識の習得と科学的探究力の養成という学校教育の複線化』および『企業における日本型雇用システムからの脱却と起業家教育』が有効と思う。まず学校教育では教育を知識の習得と科学的探究力の涵養という二つの側面に分け、それぞれに適した教育方法を取ることである。知識の習得には公教育としてデジタル基盤を活用して幅広い層に効率的に知識を提供し、科学的探究力の涵養には公教育以外にも門戸を開き科学者や技術者との対話や研究を中心とした教育等を行うのが良い。このようにデジタルと対面の組合せにより教育レベルの底上げを図ると同時に科学的才能を育む教育制度とすることが有効と思う。また、これらを行うためには教師だけでなく多様な人材が学校教育に参画できる仕組みの構築が必要であろう。もちろん土木技術者もその任にあたるべきである。

次に企業における人材育成であるが、まずは昨今『企業は人に投資せず、個人も学ばない』と指摘される我が国の現状から脱却しなければならない。企業には雇用制度や人材育成システムの聖域なき見直しが求められる。雇用制度についてはジョブ型の導入やインターシップの活用などを各企業で試行中であるが、本稿では紙面の都合上、人材育成に絞って述べる。

人が育つのは集合研修やオンデマンド研修によるものよりも日常で直面する様々な課題解決の過程であると感じている。いわゆるOJT(オンザジョブトレーニング)であるが、能力をより伸ばすためには多様な人材がいるグループの中での実務上の経験と学びが有効である。企業は多様性人材を積極的に雇用し、この様な機会と場を社員に提供する必要がある。これらのグループは社外にあっても良く、例えばMOT(Management Of Technology)教育等の社会人を主な対象とした教育プログラムへの参画なども貴重な体験となるであろう。MOTとは経営学の立場から技術を体系化したもので、企業や組織が技術を経営的に管理することでイノベーションや経済的価値を生み出すことを主な目的とするものである。近頃はビジネススクールだけでなく日本の工学系大学においてもMOTコースが設けられており、技術と経営学的領域との融合が進んでいる。

また、企業とスタートアップとの連携により社員をスタートアップに派遣し事業化を考えさせる等の取り組みもおもしろいと思う。オープンイノベーションによる異業種との交流や技術のビジネスマッチングは現在かなりの企業で実施しているが、あと一歩踏み込んで実際に事業化するところまでチャレンジさせなければ、他人事として終わってしまいがちである。

最後に『志(こころざし)』の必要性について述べたい。人間の能力は三階層になっていて、一番上にテクニカルな各種のスキルがあり、その下に問題発見力や課題解決力、そして一番下の土台には成果を出す原点となる『志』があると思う。人が高いパフォーマンスを発揮してイノベーションを達成するためには何を成し遂げたいのかという『志』が欠かせない。これまでの人材育成においては上層部の能力開発に注力するのみで、基層にある『志』の部分は属人的なものとして手をつけてこなかったのではないか。イノベーションの達成のためにはこの『志』が最も重要であることを付け加えたい。

土木学会 第183回 論説・オピニオン(2022年8月版)



国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/