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これからの教育は指導ではなく支援?②

こんにちは。スクールコーチの「ケンさん」です。

前回の続きとして、本日も学校教育現場でおきました「指導」から「支援」へという理念の変化がテーマです。

その中で、すぐれた教師の生徒への向き合い方・考え方について私なりの考えもお伝えできればと思います!


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「上から与えられた価値観」から「自分のアタマで判断」の時代へ

ちょっと脇道ですが、教育現場での考え方の変遷を歴史的に大きくながめてみますね。

そこに底流として流れているのは、戦後しだいにじわじわと広がってきた「個性化」があると思っています。価値観の多様化、とも繋がっています。教育界では「個性尊重」です。

そこのところを簡単に説明してみますと、戦前までの社会では「公のため」「国のため」「天皇は神様」といった全国民共通して「そうだねー」と納得できる(させられる)価値観がありました。全国共通の価値観です。

ところが、太平洋戦争(第二次世界大戦)での敗戦で、日本の価値観は全否定されてしまいます。それまで「上から」おちてきていた価値観が敗戦で全否定です。そこで出てきたのが、「上から」ではなく「自分のアタマで判断」という考え方です。民主主義です。一人一人の国民が自分のアタマで考えて行動し、その国民の総意で政治家を選ぶ、というものです。つまり、「一人一人が大事にされる」ということでもあります。公ではなく一人一人です。

そこから「個性尊重」という考え方が徐々に広がっていきました。そのような考え方で育った若い人たちが、その後結婚し、子どもを育てていく、という流れが徐々に拡大し本流化したんですね。

そうすると、その子ども達は、”親のように単に考え方が変わった”のではなくて、”そういうふうに育つ”ということになります。より個性的に育つのです。私の印象ではアメリカがその先鞭です。アメリカ人というのは、個性的・自分勝手・主体的・自己主張が強い・・・というふうに私には見えますが、その後を日本人も少しづつ追い始めたのかなー、と思っています。今のところ日本人は中途半端ですが。。


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個性化傾向に対応できなくなった教育指導

この個性化の現実での現れが、例えば、服装にあります。私が教師になり始めた頃から眺めると、子どもたちの服装が次第に個性的になってきています。同じような服を避けているようにも見えます。親がそうしているとも言えますが。

名前のつけ方もそうです。なるべく他と違う、名前、より個性的な名前をつけるようになってきています。ですので、担任はこどもたちの名前がなかなか読めない、当て字か、と疑いたくなるような名前が増えているのです。そして、保護者たちも、公の価値観よりも自分たちの価値観を大事にする傾向がしだいに強くなってきています。またそういう認識で子育てもしますので、子どもたちはそのような精神構造として創られていく、ということになっていくものと私は考えています。

一言で言えば、そういう個性化傾向に、それまでの「指導」では対応できなくなった。というのが私の見立てです。ですが、よく観察していると、すぐれた教師というのは、きっちりと学級経営も授業も行い、落ちこぼれもつくらず、見事な教育を行っていました。

でも、その教師たちは、特に「それまでの指導の考え方」を変えたわけではありませんでした。しっかりと目標を子どもたちに与え、上から見事に引き上げているのです。ベタベタの指導です。表面上は、です。さらにそこをよく観察してみると、例えば30人一斉授業で、画一的にやっているようで、一人一人の学習進度の違いをノート点検でチエックしたり、学習スタイルの違いを観察してメモしたり、一人一人の悩みを班日記で把握したりと、個に対応した「指導」を「一斉画一」指導と同時に行っていたのでした。


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すぐれた教師が無意識で行っていたこと

つまりです。何が言いたいのか、というと、すぐれた教師のもっている「指導とはどういうものか」との問いの答えには「支援」的なものが入っていた、ということなのです。ただ、それが今日言われる「支援」的なものだとの意識はもちろんありません。でも、そういう教師はまれなのです。天才的な、というか元々すぐれた先生としての素質をもったいたのです。だから、特にそれと意識しなくてもまともな「指導」ができていたのです。

でも、私のようにごく普通の教師からしたら、いったどうしてこのクラスはみんなやる気があり、いきいととした発表をし、自分たちの考えを出し合い、個性的な絵を描き・・・と疑問だらけになってしまうのです。

先程お伝えしたように、学校教育現場では「支援」が大事だと強調される時代に突入していきましたが、それの具体化、どうすることが「支援」に繋がるのか、「指導」の重要性を押さえながらの支援の理念はどのように実現していくのか、との具体的な、かつ納得のいく説明付きでの具体的方法といのはなかなかに出ては来なかったのです。そして、またあの嘆き、自分は才能がないからなー、におちいってしまうのてす。コーチングを知る前までは・・・。


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