浅く広い人間関係の話
日々を生きていれば、愚痴も不満も、不安だって溜まるもの。特に不安が溜まることが、ここ最近の辛いポイントです。
こういう負の感情をどう処理するかに困ります。
高校の頃は、毎日同じ人と会えた。その中には自分が心を委ねられるような人もいて。楽しい時は一緒に楽しく。でも精神的に辛い時は、そういう人に悩みを吐いたりしたものです。
いまは?
いまの周りの人たちには、高校の頃の友人たちほどの信頼はまだ置けてない。そもそも毎日会う事すらない。
ぼくを勘違いしてる節もある。いつもニコニコしてる常識人だと思われてるらしいです。彼らはぼくの本当のところを知らないし、ぼくの辿ってきた過去だって知らないんです。
別に、知って欲しいとは思わないし、言ってないぼくが悪いのですが。でも、ぼくの本性を言えるほどの密な関係性は築けてないし、会う回数が少なすぎて、築く前に卒業!ってなっちゃう気がします。
かと言って、聞いてくれる相手に前提知識がないと、ぼくの悩みや辛さなんて伝わるわけがない。話が通じなくなっちゃうもん。
昔ならまだ簡単に処理できた感情が処理できないままで、どんどん溜まっている気がします。
じゃあ信用のおける高校の友人に悩みを打ち明ければいいんじゃ?となるんでしょうが。そして実際そうできるに越したことはないのですが。
でも、高校の頃の友人には、そう頻繁には会えないし。もし会えたとて、せっかく会えた貴重な機会をぼくの暗い話で埋めるわけにもいかないから。相手がたくさん持ってる楽しい話を、たくさん聞くだけです。楽しい話はぼくの手持ちに無いから、ぼくが話すことは昔より随分減りました。
そうやって、みんなの楽しい話をいっぱい聞いて、ぼくも楽しい気持ちになって。でも、別れて1人になれば、そんな楽しい話のただの一つでもぼくには有っただろうか、って。無意識のうちに振り返っては悲しくなります。
なにも直接会わなくたって、高校の頃の人にLINEかDMかなにかでお悩み相談を投げればいいんだろうけど。でも、いきなり激重の相談が送られてきたら相手が困るかな、なんて考えたら実行できないです。
だから。
別にみんなと仲良くなれなくても良いです。大勢から嫌われていても、割と平気です。嫌われることには慣れてます。
でも、1人でいいから、そこそこの頻度で会おうと思えば会えて、心を委ねられる人が欲しいです。ぼくを否定しないでいてくれる人が欲しいです。
浅く広く、なんていいから。すんごく狭くていいから。深さが欲しいです。
欲深いって分かってます。ぶっちゃけ叶わない欲だってことも薄々分かってはいます。
でも、死ぬまで延々とこんな精神で生活するのはさすがに辛い。このままじゃ早いうちに昔の鬱状態に逆戻りになるんじゃないかって。不安で、不安でいっぱいです。
もうあの体験はしたくない、あの苦痛なんて2度と味わいたくないのに!またあの頃に戻って、それが一生続くの?希死念慮に囚われるなんてもうゴリゴリだよ、今度こそ生きて戻れなくなるよ!
ねぇ...救いはないの...?
なんだか書いていて疲弊してきました。
オチはないけどもう終わりにします。
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