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第六章 女将と対決!ピンチをちか子が救った(前編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―名古屋―

 翌日、浜やんはマリとちか子を連れ、駅近くでタクシーを拾った。

「名楽園の方に行ってくれ」

 白いスーツの勝負服でキメた浜やんがタクシーの助手席に陣取った。後ろの座席ではマリもちか子も緊張感丸出しの不安な表情で体を硬直させている。
 フロントガラスに昼下がりの赤線街が見えて来た。店先で打ち水をする婆さんや近くの店に買い物に向かう女たちの姿は何処かのどかで、艶かしい夜の風情とは対照的だ。

 三人は狙いを付けたサロン『紅バラ』の数十メートル手前でタクシーを降り、歩き始めた。消毒薬の匂いがプーンと鼻に付いた。消毒薬は性病の感染を防ぐ為、女たちの性器を洗浄する時にそれぞれの店で使うのだが、あまりにも大量な為、通りに匂いが立ち込めているのだ。
『紅バラ』が目の前に迫って来ると浜やんはマリたちに念を押した。

「いいか、落ち着けよ」

 二人は頷きながら、浜やんの後を付いて店に向かって行った。

「ごめんください」

 浜やんが入口の戸を威勢良く開けるとホールでお茶を飲んでいた女たちが一斉に振り向いた。奥の方から、厚化粧をした、かなり年配の女が出て来た。

「えらく早いなぁ」

「いや遊びじゃねえんだ。女将さんですか?」

「私は単なる店番だわぁ」

「女将さんにちょっと用があるんですが」

「どういう用件?」

「女のことで話があって」

「そうですか、じゃ、ちょっと待っとって」

女が女将を呼びに行くとテーブルに座っていた女たちが一斉に席を立った。
入れ違いに女将が姿を現した。年の頃は五十は過ぎているだろうか。渋い茶色の着物を粋に着こなしている。後ろに巻き上げて束ねた髪が顔全体をキリッとした表情にさせていた。身のこなしはさすがに艶っぽいが目が異様に冷たい。

「何か、私に用事があるみたいだがぁ。まぁ腰掛けて」

 女将は落ち着いた物言いで浜やんたちをテーブルに座らせた。愛想笑いを浮かべてはいるが目は笑っていない。浜やんが履いている靴に視線を送ったかと思うと今度は腕時計やスーツを観察している。
 品定めをされていると思った浜やんは女将の視線を制すように単刀直入に切り出した。

「女のコを売りたいんだ」

 女将はマリとちか子をジロッと見た。

「あんたら、どういう関係?」

「この女は前に俺と一緒に暮らしていたんだけど、うまく行かなくて…もう一人は離婚して仕事を探したけど、なかなかいい仕事がなくて…二人とも働きたいって言ってるから」

 浜やんが口から出任せの嘘を言うとマリとちか子が女将に会釈をした。
女将が浜やんにうす笑いを浮かべた。

「あんた、素人だろ」

 女将にいきなり見透かされて、浜やんは逡巡したが、次の瞬間こう切り返した。

「素人じゃまずいことでも?」

「最近おるんだわ、素人の周旋屋が。女の相場もわからんのに吹っかけて来る、ニセの周旋屋がなぁ。へたに引っ掛かると体が悪かったり、変な女掴ませられるんだわ」

「心配ご無用、この女たちはぴんぴんしてるから」

「皆、最初はそう言うんだがやぁ」

「いや、本当で…病気で医者にかかったことなんか一度もねえ」

「じゃ、何か証明出来るもの持っとる?」

「証明しろって言ったって…とにかく信用してもらわなきゃ」

 女将はさすがに百戦錬磨だ。浜やんを軽くあしらい、試している。このまま女将のペースに引きずられてはまずい。浜やんが焦り出した。マリたちは下を向いて黙ったままだ。そのマリたちに女将がなおも追い打ちをかける。

「あんたたち、こういう世界知っとるの?」

 一瞬、重苦しい沈黙が流れた。その沈黙をちか子が破った。

「おばさん、私、勉強して来ました」

「おばさん?」

女将が素っ頓狂な声を上げた。

 ―しまった。余計なことを言って女将の心証を悪くさせてはまずい。

 浜やんは女将の顔色をうかがった。だが、次の瞬間、女将は予期せぬ態度に出た。大声で笑い出したのだ。

「はっはっはっはっはっ、こんな席で、おばさんって言われたの初めてだわ。勉強して来ましたっていうのもなぁ」

「すいません。でもこう見えても私、男の人とそばには詳しいんです」

「そば?」

「ええ、前に蕎麦屋で働いていましたから」

「ここは蕎麦屋とは訳が違うんだわ」

「ええ、知っています。でもお客さんにサービスするのは同じだと思います。店もちょうどこのホールの大きさぐらいだったし。こう見えてもお客さんの扱い、うまいんですよ」

 女将が苦笑した。

「あんた、面白いがや。なんか…天然ボケかね」

 女将の顔が少し和み、態度が変わった。

「まぁ、奥でゆっくり喋ろっかぁ」

 女将の表情を見て、浜やんは思った。

 ―女将はマリたちを買う気だ。後は金額だな。ちか子に救われたぜ。

 いちばん頼りないと思っていたちか子が場の雰囲気を変えてくれた。
浜やん、これには内心驚いた。
三人は女将の後をついて奥の部屋に向かった。女将は浜やんたちを座敷に座らせた後、こう切り出した。

「で、いくら欲しいの?」

「二人で二十万」

「十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)っていうこと、あんたもいい度胸しとるがや。でもそんなうまくいく訳ないがや。女のコの相場は一人一人違うわさぁ」

 そう言って女将はマリを見た。女将の思惑はどことなく愛嬌のあるちか子ではなく、先程から殆ど口を利いていないマリにあるようだ。マリはちか子と違って、黙っていても華がある。店にとってはかなりの上玉になる筈だ。

「あなたは物静かだがぁ。いつもそう?」

「い、いぇ、少し緊張してます」

「どこかで働いていたことは?」

「前に神戸の喫茶店で働いてました」

「あ、そう。えらいモテたがや」

「いえ、そんな…」

 女将はマリと二言、三言話した後、浜やんに言った。

「二人で十二万でどう?」

「もう少し、なんとかなりませんか」

「それ以上は無理だがや」

「わかりました。それで結構です」

 浜やんはあっけないほど簡単に了承した。交渉を長引かせて、女将の機嫌を損ねてもまずいし、自分もいろいろボロが出てはまずい。早く金をもらいたいのだ。だが女将はいっこうに金を用意するそぶりも見せず、しばらくの間、世間話を続けていた。しびれを切らした浜やんが女将に尋ねた。

「あのぅ女将さん、金はいつもらえるんでしょうか」

続き > 第六章 女将と対決!ピンチをちか子が救った(後編)
―名古屋―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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