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第十九章 再び名古屋で、マリが…

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―名古屋―

 四国から連絡船と電車を乗り継ぎ、名古屋に戻った浜やんたちは、目ぼしい店を見つけて、すぐ実行に移した。マリたちを売って来たのである。赤線街の名楽園では以前、「紅バラ」という店の女将から十二万円をせしめている。今度はその名楽園から、かなり離れた歓楽街の店に狙いをつけた。

 名古屋駅前に止めたタクシーの助手席で、浜やんは虎之介たちが逃げてくるのをイライラしながら待っていた。
間もなく、女将から渡された金を持ったマリたちが虎之介と一緒に、この名古屋駅前にやって来る筈だ。虎之介と打ち合わせた時間は午後六時頃だったが、既に三十分程過ぎている。

 浜やんは先程から駅に出入りする人混みに目を凝らしているのだが、マリとちか子を連れてくるはずの〝救助船〟がいっこうに姿を現さないのだ。

 ―もしかしたら…

 悪い予感が脳裏をよぎった。

 気を落ち着かせようとタバコに火を付けた時だ。通りをもの凄い勢いで走って来る虎之介たちの姿が目に入った。マリもちか子も一緒だ。よく見るとその後方を何人もの男が追いかけて来る。

 ―まずい。バレたな。

 とっさに助手席のドアを開け、浜やんが大声で叫んだ。

「虎ぁ、こっちだ。早く、早くしろ!」

 虎之介がこっちの声に気がついた。何か叫びながら逃げて来る。
 浜やんは一瞬躊躇した。追っ手を蹴散らしに行こうか、それともここにいた方がいいのか…その判断に迷っていると虎之介たちはだんだんこっちに近づいて来る。

「運ちゃん、後ろのドア開けといてくれ」

 浜やんは急いで運転手に告げ、虎之介たちがタクシーに乗る手はずを整えた。
三人がタクシーにたどり着いた。

 虎之介がハァハァと息を切らしながら叫んだ。

「浜ぁ、ヤバイよ」

「おぅわかった。早く乗れ。マリも早くしろ」

 浜やんが助手席に虎之介は後ろの座席に飛び乗った。続いてちか子とマリも滑り込むように乗り込んだ。
 後部のドアが閉まるや否や、追っ手の一人が猛スピードでタクシーに近づき、

「この野郎」

 と怒鳴って、ドアに体当たりして来た。
一瞬、車体がぐらつき、その弾みで後部ドアが半開きになってしまった。
 数人の男が車に立ち塞がった。そのうちの一人が

「ただじゃおかねえぞ。降りろ」

と怒鳴りながら助手席のドアに体当たりしてきた。
 とっさの判断で、浜やんがドアを思い切り開け、男の体を吹っ飛ばした。

「運ちゃん、早く出してくれ」

「ハ、ハイ」

とは言うものの運転手はガタガタ震えて車を出そうとしない。

「早くしろ!、ひき殺したってかまわねぇ。出すんだ!」

 浜やんが怒鳴った。その時だ。完全に閉まり切っていない後部ドアが開き、男の手が伸びて来た。

「やだぁ、ギャー」

 マリが叫んだ。男はマリの腕を掴み、外に引きずり出そうとしている。

「マリちゃん!」

 隣に座っているちか子が必死の形相でマリの体を支えている。浜やんは助手席からマリを押さえようとしたが手が届かない。
虎之介も間にちか子がいるのでどうすることも出来ない。車の発車とほぼ同時にマリが車外に転がり落ちてしまった。
男に引っこ抜かれてしまったのだ。

「丈二、助けてぇ!」

「マリ!」

「止めてくれ、運ちゃん」

「いや駄目だ、浜。運ちゃん、行け、行け!」

 虎之介のうわずった声で、車が猛発進した。

「浜、今はヤバイ。逃げるしかねぇよ」

 浜やんは後ろを振り返った。転げ落ちて地面にうずくまっているマリの姿がチラッと見えた。そのマリを男たちが取り囲んでいる。タクシーがスピードを上げ、マリの姿がだんだん小さくなっていった。

 心配していたことが、とうとう現実のものになってしまった。浜やんは今すぐにでもマリを取り戻す為、殴り込みたい衝動に駆られたが今行っては相手の思うつぼだ。
 虎之介たちの助言もあって、ここはいったん横浜に戻ることにした。タクシーで次の駅まで逃げて、東海道本線の上り電車に乗った。

 電車が動き出すと更に後ろ髪を引かれる思いがした。
脳裏をよぎるのはマリのことばかりだ。今頃、仲間のことを詰問され、壮絶なリンチを受けているかも知れない。
 そう思うといても立ってもいられない。

 ―マリ、なんとか耐えてくれ。

 祈るような気持ちでマリの身を案じた。

 ―まさか殺すような真似はしねぇだろうが…相手が相手だ。どう出るか俺にもわからねぇ。

  殆ど口を開かず眉を曇らせている浜やんに、虎之介とちか子も言葉をかけられない。
 ため息の数が多くなり、体中がじっとりと汗ばんで来た。浜やんはたまらず席を立ち車両のトイレに駆け込んだ。
 急いで上着を脱ぎ、シャツの袖をまくった。
その腕にヒロポンの注射を打った。
席に戻って、しばらく経つと少しだけ気分が落ち着いてきた。その精神状態で、もう一度マリの身を考えた。

 ―もし俺が女将だったら捕まえたマリをどうするか?

 ―絶対に殺しはしねぇ。リンチはある程度やるが、あまり傷モノにはしねぇだろ。

 ―マリは客の取れる上玉だ。かなりの儲けが見込める筈だ。店にしてみればマリをうまく使ったほうが得だ。

 ―いや、自分を騙したペテン師たちの一味だ。商品になることなんか考えないで、怒りまくって袋だたきにするかも知れねぇ。

「おい、浜、浜!」

「う、う~ん」

 うつろな目で生返事をする浜やんの表情を虎之介とちか子がじっと見ている。

「マリのこと心配するのはわかるけどよ、もう少し気をしっかり持てよ」

「ああ、悪い悪い。大丈夫だよ…」

「マリちゃん、どうしているかな」

 ちか子が今にも泣きそうな顔でポツリと漏らした。
 気丈なマリのことだ。リンチを受けても浜やんたちのことを思って仲間の詳細についてはおそらく吐かないだろう。それは敵の怒りに油を注ぐことになる。想像を絶する暴行が加えられても不思議ではない。

 ―自分が少しでも楽になるなら、吐いたってかまわねぇぞ。俺たちのことがバレてもその時はその時だ!

 こんなこともあろうかと浜やんはマリを助け出す、最後の切り札を持っていた。

 ―もう、アレしかねぇ!

続き > 第二十章 仲間たちとの別れ
―横浜―

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◆単行本(四六判)

◆amazon・電子書籍

◆作詞・作曲・歌っています。


参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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