帰国子女が行ってきた英語の学習方法

筆者はこれまで英語だけをテーマにして、記事を書くことが無かった。
理由としては、以下の3点が挙げられる。
①そもそも英語が好きでない
②自分自身が帰国子女なので、センシティブな話題になる可能性
③英語に関する記事はありふれている

上記の3点から、今までは英語について触れることは無かった。
①については、後述するが筆者はそれなりに時間を確保して英語学習はしてきたつもりではあるが、積極的にと言う感じではなかった。よくある勘違いが、帰国子女であれば英語なんて出来て当然で、殆ど勉強もろくにしていないだろうというもの。筆者の場合はその限りでなく、それなりの時間を費やしてきた。残念ながら世の中そんなに甘くない。
②については、帰国子女と言うのは、現代日本ではある種の飛び道具、特権階級のように捉えられており、その中でこのような話をするのは心理的に憚られるところがあった。
基本的に帰国子女と言う存在が誕生するのは、父親(今では母親の可能性もあるか)が少なくともグローバルに事業を展開する大企業に勤務していて、そこで海外駐在員に選ばれる必要がある。もしくは、実家が極太で、幼少期に海外に留学させてもらっていた等の可能性もある。東京の一部の地域では、インターナショナルスクール等に通っている小学生も目立つ。いずれにせよ、実家にある程度の資金力やステータスが無いと実現しないと考えられており、それが階級問題に繋がりやすいと思う背景だ。(ちなみに筆者の実家はごく普通の関西の一般家庭である)
これが数学であれば、こんなことにはならない。数学はある意味フェアである。勿論遺伝的な問題はあるとは思うが、課金すれば必ず数学が出来るようになるわけでは無い。ある意味、皆が同じスタートラインから始まるので、そこには帰国子女に対する嫌悪感や不平等感は生まれにくい。

帰国子女であれば、全員が総合商社や外資に入れるものだと勝手に思われている節があるが、それはあまりにも解像度が低いと言わざるを得ない。筆者のように日系金融機関の傍流部署にいるような人間もいるし、もっと小さい会社にしか入れないものだって普通に存在する。何より医師や公認会計士等と違って基本的には英語だけでは自分だけで生きていけるようなスキルにならない。
③については、英語の勉強法と言うのはネットで本当によく見るので、今更英語の記事を書いても仕方ないかと考えていた節もあった。

前置きは以上として、今回は敢えて筆者の英語の学習歴を幼少期から語ってみたい。

【幼少期(幼稚園、小学校)】

幼少期のことを思い出してみたい。
複数年海外で過ごしていたのだが、平日の5日間は現地校に通っていた。
そもそも日本語も怪しい中で、当然ではあるが最初は英語が全く話せなかった。
どのようにして勉強したのかは覚えていないが、とりあえず毎週補講学校に通い、現地校にいる他の日本人と一緒に勉強したのを覚えている。
海外では、日本と違って漢字のドリル的なものはなかったので、実際に読んで、聞いて、話しての繰り返しで英語を身に着けていったのだと思う。
家で家族と話すとき以外は基本的に英語を使っていたので嫌でも英語は上達していった。
因みに一緒に勉強していた日本人の中で筆者の英語力は一番低く、結局日本に帰国するまでその補講学校を抜けることは出来なかった。

因みに日本でも小学校で文法って習わないと思うが、海外でもそれは同じで、文法のレッスン等は受けたことが無く、SVOCM等の概念なんて知らずに英語を話していた。後述するが、筆者が文法の存在を初めて知ったのは、実は日本の中学校であった。
日本に帰国後は小学生時代は全く英語の勉強はしなかった。

【中学校】

ここから筆者は日本独自の英語教育に毒されていくことになり、徐々に帰国子女としての良さを失っていくことになる。ちなみに筆者は普通に、地元の小学校・中学校に通っていたのだが、関西の田舎の公立に帰国子女なんている訳がないので、かなり珍しがられた。「英語何でもいいから話して!」的なことを言われることも多かったので、それだけである意味キャラ立ちしていた。
誰も英語が階級問題とつながるなんて公立中の中学生は思っていないので、帰国子女だから嫉妬されるなんてことは無かった。
小学校で日本に帰ってきたわけであるが、その後暫くの間、英語学習は行っていなかったのと、そもそも文法教育を受けたことは無かったので、中学時代の最初は普通に皆と同じように勉強した。明らかに有利であったのは、そもそもの語彙が最初から豊富であったのと、リスニングだったと思う。(ただ当時はあまりリスニングの重要性は認識されておらず、ひたすら精読が重視されていた)
そうはいっても単語に関しても海外にいたときは、意味も分からずに話していたこともあり、実際に単語帳的なものを買わされて勉強していた。
文法に関しては、ひたずらSVOCMみたいな記号を文章につけて、文章として読むというよりは構文解析的なことをひたすら行っていた。関係詞や動名詞は海外にいたときは無意識に話していたが、この時に初めて概念を知った。
中1の時から英語が出来はしたが、周囲と圧倒的に差が開き始めたのは中2くらいからだったと思う。長文問題が問題として入ってきてからと言うものの、自分の読解力が周りと全然レベルが異なっていることに気が付き始めた。この頃くらいからだろうか、塾側からも灘を筆頭とした関西の難関私立を受けてみないかと勧められるようになった。
ちなみに駿台模試等を受けると、大体全国で英語だけは一桁に入っていたと思う。恐らくあの時筆者よりも上位にいたのは、全員帰国子女だったのではないかと思われる。ちなみに当時は何とも思わなかったが、数学の上位層は殆どが関西や九州勢であったのに対して、英語の上位層は筆者より上は殆どが関東勢であった。
補足しておくと、帰国子女は帰国した後にすぐに関東であれば早慶附属、関西であれば、関関同立の付属に入ることが多いので、実は半分程度しか高校受験には参入してこない。
中学時代は、日本の他の中学生と同じような英語教育を受けるに終始しており、筆者自身も文法が重要だと考えており、当然他の学生よりは英語は出来るのだが、帰国子女としての良さみたいなものは徐々に失っていった。

【高校時代】

高校では、更に日本の英語教育に染まっていった。
筆者が入学した高校では、皆が医学部もしくは京大を目指すような進学校であり、どちらも「使える英語」は要求してこないので、ひたすら構文解析的なものを学習していた。東大を目指すものは少数派であったので、東大向けの授業は用意されていなかった。
構文解析はつまらない。これもひたすら、SVOCMを付けたり、この関係詞がどこを修飾しているかと言ったことをひたすら分析するような授業ばかりであった。テストで出題される問題もひたすら和訳と英訳と長文と文法的なものばかりであった。
高校の同級生に帰国子女は殆どいなかった。関西では進学校と言えど、帰国子女は当時から少数派であったのだ。前述したが、帰国子女はサラリーマンの産物であるが、関西には海外駐在をするような海外駐在員なんて殆どいないので、関東とは結構な差があると思う。
これは関西進学校の記事でも何度か指摘している部分ではあるが、関西では数学が出来ることこそが至高であり、英語がいくら上位でも尊敬を集めることは無かった。このような価値観に染まっていったのもあり、筆者も英語学習は出来れば行いたくないつまらないものと思うようになっていった。
ちなみにこの時に使っていたテキストは、「ポレポレ」と「速読英単語」である。後は「リンガメタリカ」等も通学途中で読んでいたりした。ただいつ勉強しても、「くそつまらない」という感想しかなかった。よく推奨される音読等もめんどくさくて特に行っていなかった。ひたすら文章を料理を取り分けるように切り分けていく。これに共感してくれる方はいないだろうか。

ただそうはいっても東大を目指すことになったので、東大英語だけは勉強する必要があった。東大英語は帰国子女とかなり相性が良い試験であるので、久しぶりに英語を勉強していて楽しいと感じた次第だ。あの時間が全く足りない中で限界まで集中力をぶち上げる必要がある経験はあの試験以来味わっていないかもしれない。何回か過去問を回すことで90点前後は安定的に取れるようになり、数学と並んで筆者の武器になっていった。
余談であるが、本当に優秀な帰国子女は東大英語で110/120とかを取ってくる。正直異次元の点数としか言いようがないのだが、一体どんな能力があればあそこまで高いスコアをはじき出せるのだろうか。
ちなみに関西にいたので京大模試も何回か受けたことはあったが、どうもあの独特の和訳と英訳に馴染めなかったので、東大英語ほどのパフォーマンスは発揮できなかった。

【大学時代】

東大の文二に無事合格した筆者であるが、文一二クラスに所属となり、最初にびっくりしたことがあった。
把握しているだけでも帰国子女がクラスに7人もいたことである。大体20%は帰国子女と言うことになる。殆ど全員が高校受験組かつ関東の進学校出身者であった。サークルにも帰国子女は複数人存在した。ちなみに筆者はただの地味なスポーツサークルであったので、これがESSとか国際系のサークルであればもっと割合は高いものと推察される。

ちなみに英語の学習面で言うと、大学時代は更に闇である。
正直な話、強制的に勉強させられていた高校時代とは異なり、全く勉強しなくなった。
気付いた時には、最初に受けたTOEICで700点台を取るほどに筆者の英語力は落ち込んでしまっていた。その後就活で有利だと聞き、とりあえずTOEICの対策だけをして900点台に持って行った形だ。
TOEICくらいなから小手先のテクニックでカバー出来るが、もうこの頃には全く英語が話せなくなっていた。
この状態からあることをきっかけに筆者は本格的に英語の勉強を再開することになる。

【社会人編(内定者時代含む)】

就活を終えた筆者であるが、ガクチカは塾講師のバイトだけ、特にそれ以外に注力したのは経済学部の勉強くらいであったのでは、普通の日系金融機関の総合職オープンでしか内定を取れなかった。
最初は多くが全国の支店に散らばり、営業を行うことになると聞いており、それはもう絶望的な気持ちになったのを覚えている。支店に行くと、毎週同期や先輩とゴルフやBBQ、スキーに行ったり、飲み会も多く、マナーや勤務態度にもうるさいと聞いていたので、ここに行くと人生が終わるという生命の危機を感じていた。

ただ内定者の一部は、最初から本部スタートだと聞いており、先輩に話を聞くと、「英語が出来る(ただTOEICの点数が高いだけでない)」と初期スタートで本部に行けると聞いたので、それを聞いたその足で、ベルリッツの講座に申し込むことになった。2対1のレッスンで半年で20万とか払った記憶がある。
塾講師と家庭教師で稼いだ有り金の殆どをこのベルリッツの通学代と証券アナリスト講座に費やした。何でそんなにやるなら就活をもっと真剣にしなかったのかと言う話だが、それが出来ないのが発達障害の特徴なのであろう。
人事部に元々帰国子女で英語学習中である旨、証券アナリストも学習中である旨を必死に訴えたところ、何とか支店配属を逃れた。この時、東大入試に次いで久しぶりに涙を流したのを覚えている。

また社会人になってから数年は、ベルリッツに通学していた。
まだまだ油断できないと考えていたので、とにかく英語力だけでも何とかして上げておかないとと言う発想から、ベルリッツに引き続き通学した。転職するにしても英語が出来れば有利であろうと考えていた。
社会人2年目からは1対1のレッスンに切り替えたのだが、明らかに英語を話す機会も増え、英語力は確実に上がった。ベルリッツの英語レッスンは、1対1であれば年間で60万程度要した。なけなしのボーナスを全額ベルリッツに課金していたことになる。それくらい筆者は、「支店には絶対に行きたくない」という気持ちが強かった。
そもそもこの頃は業務でも英語を使っていたので、英語漬けの日々を過ごしていた。
また3年目くらいからは、CFAと言う米国版の証券アナリストの勉強を始めた。これによって金融の知識だけでなく、英語も身に着いたので一石二鳥であった。金融業界にいる若手にはおススメしたい資格である。
またCFAに限らず、金融の最先端の情報を得るには、洋書の方が優れていることが多いので、東京駅のジュンク堂で洋書を買うようになった。こちらもCFA同様に一石二鳥である上、最先端の知見を周囲に発信できるので、おススメしたい方法である。

ベルリッツに関しては最初の5年間くらいは通学した。合計で300万近くはお布施したと思う。ベルリッツに通っていなくても、最初から本店だった可能性は高い。そこは分からない。ただ支店経験を免れることが出来、最初から本部に行けて発達障害の筆者が何とかやってこれたのも英語のおかげであることは間違いないので、300万は確かに大金ではあるが、それでもこれくらい払ってよかったと思っている。もし仮にだが、支店に配属されて意味もない飲み会に週に2回連れていかれて、行きたくもないゴルフに行かされていたら300万以上の金額と時間を失っていることになるので、後悔はしていない。
また別の記事でも述べたいが、グローバル系の部署は同じ金融機関でも支店とは違って在籍している人の考え方もフラットで、ネットで語られるような金融業界の姿はそこにはない。また英語だけ出来る帰国子女も大量におり、所謂シゴデキな感じはあまりない。
途中でMBA留学等も考えはしたが、めんどくさくなってしまったのでこちらは実行しなかった。

一応、最後に筆者がこれまでに活用した英語の書籍を一部抜粋してこちらで紹介しておく。中学時代のものは記憶にないので一旦省略する。

まとめると、幼少期は生きた英語を活用し、中高時代はひたすら構文解析に明け暮れ、本腰を入れて勉強を始めたのは社会人になってからと言うわけである。数学ほどではないが、それなりの時間を英語に投下してきたのは間違いない。時間があれば、英語が出来るメリットに関しても話していきたい。