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漂流教室 No.41 「『源氏物語』から『楊貴妃』」

中国史上最高の美女、世界史上でも有数の美女、楊貴妃のお噂を少々。
なるほど、確かに美人だったんでしょう。
何人もの男を夢中にさせたんですから。

ただ、現代人の感覚ではどうかな?
すらりとした美人ではなかった、とも言われています。
かなり豊満だったとか。

貧しい時代や貧しい国ではみんながおなかいっぱい食べられないから、
ガリガリが標準仕様。
豊満だということは裕福だということ。
逆に言うと、裕福だったら豊満じゃなきゃおかしい。

楊貴妃はさぞかし豊満であったと思われます。
で、時の人々はそれを美とした。
需要と供給(?)が釣り合っているんだからそれでよろしい。

さて、そもそも楊貴妃とは何者か?
簡単に言っちゃえば、唐の第6代皇帝、玄宗皇帝の愛妃です。
でも、はじめっから皇帝の妃ではありませんでした。
もともとは玄宗の息子さんの妃でした。
ところが楊貴妃があんまり美しいもんだから玄宗が見初めちゃう。
しかし、いくら見初めたとはいってもいきなり息子から取り上げるのはよろしくない。

そこで楊貴妃はいちど出家します。
出家と言っても仏教ではないので儒教の「道士」になります。
道士とは、ものすごくシンプルにいうと香港映画なんかの「キョンシー」のいでたちを思い出していただければよろしいかと。
「あんなもん、道士じゃないわい!」というご説もありましょうが…

いちど出家するから楊貴妃は俗界を離れます。
で、もう一回俗世間に戻ってくる。還俗するんですね。
そうしてめでたく(?)玄宗の後宮に入ります。

後宮というところはたくさんの宮女たちがいます。
「妃」と呼ばれる方も、その方々に仕える人も、本当にたくさんの人がいます。
「後宮三千人」なんて言葉もある。
「いやいや、実際には何万人もいたらしいぞ」というお話もある。
後宮に入ったからといって、すぐさま皇帝さんと仲良しになれるものでもない。

例えば漢の時代には皇帝さんは仲良くする(?)妃を選ぶために似顔絵リストを作らせていたらしい。
当然宮女たちは絵師にわいろをつかませて盛ってもらう。
現代のプリクラもかくやと思われる、似てない肖像画が描かれたそうです。
ところがいつの世にも正直なお方というのはいるもんで、
ひとりの宮女は絵師にわいろを贈らなかった。
絵師は「なんじゃい、あのケチめ」と、肖像画を不細工に仕上げた。
この宮女の名を王昭君(おうしょうくん)といいます。

さて、あるとき異民族の王が皇帝に宮女の一人を嫁にもらいたいと言ってきた。
皇帝さんは美人をあげちゃうのは嫌だから、リストの中から美人でない人を選び、
嫁に出すことにした。
さて、嫁に出すとき、皇帝さんは最後のあいさつに来た王昭君を見てびっくり。
絶世の美女ではないか!
しかし、時すでに遅し。
王昭君は異民族に嫁ぎ、怒り狂った皇帝さんは絵師を死刑にしたそうな。
真偽のほどはわかりませんが、いかにもありそうな話ではあります。

ことほどさように、後宮というのは宮女がいっぱいおられたんですなあ。
こんな話もあります。
晋の時代、皇帝さんは後宮内での移動に羊の引く車に乗っていた。
で、羊がふと立ち止まったあたりのお部屋を訪れて宮女と仲良くした。
宮女たちは自室の前で羊さんに停まってもらおうと工夫します。
ある宮女が部屋の前に羊の好物である塩を置いた。
すると皇帝さんを乗せた車を引く羊さんが立ち止まって塩をペロペロ。
宮女さんは目論見通りに皇帝さんと仲良しになれましたとさ。

車移動って、後宮はどれだけ広かったんでしょうか?
さて、現代ではお料理屋さんの入り口なんかに盛り塩がしてあります。
あの盛り塩の起源がこのお話だと言われています。
お客の乗った車に停まってもらおうというわけです。
けっして羊を呼び寄せようとしているのではありません。
ましてやナメクジを退治してしまおうとしているのでもありません。

ということで、また、楊貴妃から大きく離れてしまいました。
次回に続きます。

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そろそろ共通テスト。
共通テストがすんだら石川県立看護大学の小論文試験の添削指導をしようかなと、只今思案中。過去にはE判定からの逆転合格もしましたよ。
もちろん、高校受験の指導もまだまだ受け付けています。

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