馬術稽古研究会

既存の競技馬術をもとにした技術指導だけではない、 人間や馬の身体の動きを考え工夫するこ…

馬術稽古研究会

既存の競技馬術をもとにした技術指導だけではない、 人間や馬の身体の動きを考え工夫することを通じて、人間にとっての自然とは何か、といったことを体認することできるような「馬術の稽古法」を研究しています。 書籍出版に向け、サポート頂けましたら大変ありがたいです。

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「コーチング」の原則

「凡庸な教師は、ただ喋る。 ちょっと優れた、ましな教師は、理解させようと努める。 より優れた教師は、自分からやってみせる。 本当に優れた教師は、心に火をつける。」 イギリスの教育哲学者、アーサー・ウィリアム・ワードの言葉です。 乗馬などのスポーツ指導の他、企業の人材育成やリーダー研修などの場において、人にものごとのやり方を教え、能力を発揮して活躍してもらえるようにする方法として重要視されているものに、「コーチング」の技術があります。 『コーチ』の語源は、

    • 「股間」のアノ問題について

      最近個人レッスンをさせて頂いた方からレッスン後に頂いたご質問が、ちょっと面白かったので紹介させて頂きます。 乗馬運動の前のストレッチとして、あるいは、馬の動きを妨げず軽く動いてもらえるような「座り方」の感覚を養う方法として、私がレッスンの中でもよく紹介しているものに、 一旦鐙を外して脚を伸ばしたところから、そのまま膝が腰の真下にくるくらいまで後ろに引くようにして、 さらに上体を前傾させるくらいのつもりで鳩尾をぐっと前に出す感じにしてみると、 そこでやっと、身体の軸が立

      • 軽速歩での「脚」のコツ

         速歩で走る馬の上で鐙に立ったり座ったりする、「軽速歩(けいはやあし)」は、 乗馬の技術の中では最も多用されるものの一つだと思います。 その中で、馬にもう少し元気よく走って欲しい、というようなとき、皆さんはどのようにされているでしょうか?  おそらくほとんどの方は、軽速歩の二歩毎に一回、着座のタイミングに合わせて馬のお腹を脚で軽打(キック)する、というような方法をとっているのではないかと思います。  実際、上手な競技選手などでもそのようにしながら馬を運動させている姿はよ

        • 「手前が逆」になってしまうわけ

           乗馬を習ったことのある方なら、指導者から、 「軽速歩の手前が反対ですよ!」 というような指摘を受けたことがない、という人はほとんどいないのではないでしょうか。  軽速歩の「立つ、座る」の動作中に、上から馬の左右の肩の動きを見て、 自分が立った時に、内方側の肩が後ろに引っ込むように見えていれば、「手前が合っている」ということになるわけですが、 頭ではわかっていても、これが一歩目からスムーズにはなかなか合わせられない、という方も結構多いのではないかと思います。  左か右の

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        • 乗馬の身体操作術 for ジュニア
          19本

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          「鐙の安定」と、「拳の静定」 〜「上手に見える」乗り方

          前々回、前回と、軽速歩の随伴をスムーズにするための座り方、立ち方を考えてきました。  ここまでの練習で、とりあえず軽速歩が出来る、というくらいにはなっているはず(笑)だと思いますが、 それでもまだまだ色々と問題が多く、安定した気持ちの良い軽速歩、とまではいかないでしょう。  おそらく、走っているうちにだんだん足の位置がズレて鐙が深くなってしまったり、拳が激しく上下に揺れて手綱もだんだん長くなったり、といったことが起こってくるのではないかと思います。  そうして表面に現

          「鐙の安定」と、「拳の静定」 〜「上手に見える」乗り方

          「加速」と「等速」 〜「静かな軽速歩」のコツ

          乗馬の上手な方の騎乗フォームを見ていると、初心者方のそれとは違って、なんというか、余計な力の抜けたような、とても静かな感じがするものだと思います。 例えば軽速歩の場合、初心者の方ではギッコンバッタンとお尻が大きな円弧状の軌跡を描いて激しく動いていたりするのに対して、 上手な人では、随伴の動きが必要最小限で無駄がなくて、見た目には正反撞なのか軽速歩なのかよくわからないくらいだったりします。 この違いは一体どこから来るのか? ひと言でいえば、「重心の安定性」の違い、とい

          「加速」と「等速」 〜「静かな軽速歩」のコツ

          「蹴らずに動く」 〜軽速歩の「立ち方」

           前の記事では、軽速歩の随伴動作をスムーズに行いやすくするための、「座り方」について考えました。 ​ ここでは、そこで述べた「鐙に載ったバランス」を踏まえて、軽速歩の「立つ動作」について考えてみたいと思います。 その前に、馬に乗った経験がないような方の場合、まず馬の上で鐙に立つということ自体が難しいということも多いでしょうから、まずはそのやり方から考えてみましょう。 鐙というのは一般的に、鞍に紐でぶら下げられた輪っかの底の部分に足を直交させるように踏んで使うような

          「蹴らずに動く」 〜軽速歩の「立ち方」

          軽速歩の「座り方」

           乗馬では、大抵ごく初歩の段階で、速歩で走る馬のリズムに合わせて「立って、座って」とやる「軽速歩(けいはやあし))を習うことが多いと思いますが、 初心者の方には、立つ、座るのリズムを合わせる以前に、まず「動いている馬の上で鐙に立つ」ということ自体、なかなか難しかったりするものです。 私たちが普段、椅子に座った姿勢から立ち上がろうとするような場合、 膝に手を置いたりしながら、お辞儀をする時のように「股関節から折り畳む」感じで上体を前傾させ、頭を大きく前に移動させるように

          軽速歩の「座り方」

          「舌越し」の改善法 〜人馬の安全のために

          乗馬のレッスン時などに、馬が口の横から舌をブラブラさせながら運動しているのが気になったことはないでしょうか。  舌をぺろっと出した姿が某洋菓子店のキャラクターみたいな感じでなんだか可愛かったりもしますが、 実際にそういう馬に乗って様々な運動を行おうとすると、 何とも言えない手応えの違和感というか、操作性の悪さのようなものを感じるものです。 手綱の先端に接続され、馬が口に咥えている「ハミ」は、 口の中では「舌の上」に乗った形になっているのが正常な状態なのですが、

          「舌越し」の改善法 〜人馬の安全のために

          「身体の使い方」ワークショップ

            「新しい生活様式」の中での労働環境や価値観の変化に伴い、 全国を旅しながら生活する「多拠点生活」を選択する方も増えているそうですが、 そんな人たちに月定額で全国各地の生活拠点を提供するサービスを展開している『ADDress』さんの拠点の一つである、「鶴巻温泉A邸」の家守さんとのコラボ企画がこの度立ち上がりました。 https://note.com/address/n/nbb4f5fdf88e8 ADDress拠点で縁あって繋がった会員さんや地域の方々からそれぞれの

          「身体の使い方」ワークショップ

          馬の「目つき」と、ムードの影響

            馬の馴致・調教メソッドとして知られる「ナチュラル・ホースマンシップ」の普及活動をされているある先生の教えの中で印象に残ったものに、「内面を上げる(下げる)」というような表現がありました。   馬に何かを要求(提案)する際の、手足や道具による物理的な働きかけ以外の、 顔の表情や声のトーン、動作の大きさや速さといったことによる馬の精神面へのプレッシャーの強度を調整する、というような意味なのですが、 馬がそうした人間の動きに込められた感情とか雰囲気のようなものに敏感に反応

          馬の「目つき」と、ムードの影響

          「意思」と「観念」

          《 野口晴哉(はるちか)先生語録より》 『観念の動きをよく見ていますと、 観念は自分で作ったものだからいつでも自分の自由になるのだ、とは考えられない面がたくさんあります。 例えば人に気を使うまいと思うけれども気を使ってしまっているというように、 いくら意思を働かせてもどうにもならないのは根っこの心の働きなのです。 上手に歌おうという意志と、上手に歌えないのではないかという空想、 この二つが合わさると、いつでも意思は空想に負けてしまう。 上手に歌おうと努力すればするほど

          「意思」と「観念」

          インストラクターの妙術⑥

          老人の話を聴いて、 クラブオーナーの勝軒は尋ねました。 「敵もなく自分もない、とは、どんな状態のことを言うのでしょうか。」 老人は答えました。 「自分を意識するから敵があるので、自分を意識しなければ、敵もない。 敵というのは、もともと対となる二つのものの片方の現れで、陰陽、水火などと同じ、対構造のひとつである。 だいたい形の有る物、人間がこういうものだと認識しているものというのは、すべてこういった対構造をなしている。 したがって、自分の心に、形、即ち対象物

          インストラクターの妙術⑥

          インストラクターの妙術⑤

          老人と近所のインストラクターたちとのやりとりを傍で聞いていた、クラブオーナーの勝軒(しょうけん)は、老人の前へ出て尋ねました。 「私も馬術を長年修業してきましたが、いまだ、その道を極めるというところには至りません。 今宵、皆さんの論議を聞いて、わが道の極所を得たような気がいたします。 できることならば、先生の馬術の『奥義』をお教え頂きたい。」 老人は、 「私の技術は、一介の馬丁が飯を食うために身につけた程度のものに過ぎず、 オーナーのような方に教えるほどのもの

          インストラクターの妙術⑤

          インストラクターの妙術④

          三人のインストラクターそれぞれの問題点を指摘した上で、老人はさらに言いました。 「然しながら、諸君の修練してきたことも、全く間違いというわけではない。 真理は、道器一貫(目に見える形としての働きと、目に見えない陰陽の働きとが不離一体となっている)のものであるからだ。 動きの上手さ速さを追求して身につけた技術にも深い意義があるし、 気の充実というのもまた不可欠のものであって、 気が生き生きと働いていれば様々な状況に対応することができる。 また心を和して相手に応ず

          インストラクターの妙術④

          インストラクターの妙術③

          色黒の男と大男に続き、今度は、やや年嵩で細身の女性が静かに進み出て言いました。 「先生の仰るように、旺盛な体力や気勢で馬を圧倒しようとしても、 そういうわかりやすいものというのはこちらの意図を見透かされて、逃げられたり反抗されたりしてしまいやすいものですし、 そういうものは自負や自慢といった、自分へのこだわりを作ってしまいます。 自分へのこだわりがあれば、それがたとえわずかであっても、そこから破綻を生ずるきっかけとなってしまうものです。 そこで私は、心を練ることに努め

          インストラクターの妙術③