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東南アジアバックパックの想い出を語る⑰~バングラデシュ~

こんばんは!

ついに旅も終盤です。
バングラディッシュ最終日の思い出を語ります。

今回の旅は、国際カードの発行を忘れて、元気よく現金のみを持って出発しました。
しかも最初の国のフィリピンで換金する割合をミスして、フィリピンペソを大量に持ったまま、飛行機の時間に追われて換金せずにネパールに飛びました。
きっとネパールでペソからルピーに換金できるだろう、と思ったらどこもかしこも換金できず、以降はフィリピンペソとわずかな日本円を持った心細い旅でした。笑

最終のバングラデシュで泊まろうとしていた宿につく頃には現金が足りず、どうしようかなと思っていました。。。
当時はかなり焦りましたが、結果的にこの状況があったから得られた経験がありました。
今回は、バングラディッシュで泊まらせていただいた宿での話を書きます。

日本人宿「あじさい」の千鶴さん

本当はドミトリーのところ、たまたま空いていた個室の部屋に泊めていただきました。


泊まろうと思っていた宿のオーナーは千鶴さんという方で、とてもパワフルなお母ちゃんでした。バングラディッシュに20年以上も住まわれていらっしゃいます。

冒頭で書いたように、現金が足りなかったため、私はお金を工面しながら貧乏旅行を続けていました。
どうしても現金が足りない!と思い、事前に千鶴さんに、なるべく安くとまる方法はないか?とメールで相談をしたところ、
「バングラでお金をケチって泊まるのは危険もあり、安全と健康はお金で買ってください。日本の方はお金を使うところを間違えていると思います。世の中、ただのものはありません。ダッカにおいては、安いところはひどいのです。」
と返事をいただきました。

行くか行かないかの最終判断は私ですが、復路のチケットはバングラで手配していたので、いずれにせよ最終出発地はバングラでした。
悩みに悩み、恥ずかしさを置いて正直に、手元に現金もカードもないことを再度メールで伝えたところ、

「そういう状態なら、色々心配せずにおいで。。。何とかなるから。。迷える日本の若き娘を何とかします。私はあなたが到着するときにはバングラに戻っているから、ご心配無用です!!色々な手段もあります。とにかく、チケットを無駄にせず、折角ダッカにくるというチャンスなので、来てください。空港には迎えに行きます。帰りはこちらから安い方法で帰れる手段を利用してください。」

と返信が返ってきました。
とにかく、まだ経験値も浅く、どう生き延びようか悩んでいた私にとって、この言葉をかけていただいてどんなに安心安堵したことか。。。

そして、最後には、

「事情がわからずきついメール出してごめんなさいね。全面的に協力しまうから何も心配せず来てください。昼は観光に出て夜は食堂のウェイトレスでもしてください。早く寝て体力付けてくださいね。あまり深く考えずに大丈夫ですよ。」

と。
千鶴さんや、現地のスタッフさんのおかげで、私は無事にバングラディッシュに滞在することができました。
感謝です。

千鶴さんの宿「日本人宿あじさい」


千鶴さんに言われたこと

ダッカ、街歩き


バングラディッシュは、私にとって動くきっかけを与えてくれた国でした。
バングラディッシュでジュートのカバンを作って会社を興した、「MotherHouse」の山口絵里子さんの本の影響を受けて、現地に来たい!何か行動を起こしたい!と思った瞬間を今でも覚えています。

バングラでは、千鶴さんの計らいで現地ツアーに参加させていただいたり、街を歩いてみたり、ずっと思い続けてきた現地に来ることができてうれしかったです。

初めて行った国ということもあり、緊張感もあったり、とても暑くて少しへばってしまったけれど、最後まで現地を見るぞと歩き回りました。

そして、バングラディッシュ最終日。
昼は自由にさせてもらい、夜は宿に併設された日本食レストランでウェイトレスをしながら宿泊させてもらいました。
最後の夜にウェイトレスしていた時、バングラディッシュに駐在員の方数名が飲みに来られていました。
最後の夜だから、と千鶴さんが私を呼んでくれて、一緒に席に座らせてもらいました。

「せっかく来たんだから、何でここに来たのか皆に話してみなー!」
と千鶴さんから言っていただき、

・中2の時に「世界が100人の村だったら」を見て衝撃を受けたこと
・自分が何かやりたくて大学では国際関係を専攻して勉強してきたこと
・大学時代に山口絵里子さんの存在を知り、自分も現地に行ってみたいと思い続けてきたこと
・社会人になってみてから、やっぱり想いが消えなかったから遅かれ早かれやるなら早い方がよいと思って、会社を辞めてバックパッカーしに来たこと
等々。

初めて自分の想いを言葉に、出会った人に伝える経験は初めてだったので緊張しましたが、みんなとても真剣に聞いてくださいました。

話し終えてから、千鶴さんに言っていただいた言葉は、今でも忘れません。

「みんなやりたいと言って、バングラディッシュに来る。ボランティアや国連の人も来る。けど、サイクロンとか洪水とかデモとか、危険になるとみんな出ていく。けど、ここにいる人たちは、自分の国だから、他に行くところはないんだよ。それをわかって、アンタは両足突っ込んでくる決意とか、何かできることはあるの?」

正直、答えは
「ない、、、」
でした。

改めて、簡単な気持ちではできないことであって、一方で何かできるかもしれないけれど、20年以上現地で現地の人と共に生きている方からの言葉にはとても重みがありました。
まっすぐに大事なことを伝えてくださった千鶴さんには、感謝しています。

これからのこと

バングラの景色


「海外に行ったら何かわかるのでないか?見つかるのではないか?」
と思って、
「逆にいかないとわからないじゃないか!」
と思って、会社を辞めて飛び出してきた旅行でした。

ずっと温めてきた想いでもあったので、これからのことはどうしようかと、白紙に戻った旅でもありました。

ですが、この旅に行かなければずっと現地はどうなのかなとモヤモヤしていたのは間違いないと思います。
正解不正解はないけれど、行ったことを糧にできるのは私だけ。
これからのことは決まっていなかったけれど、私の人生にとって、今後たくさんの影響を与えてくれる出会いが詰まった旅でした。

また何か形にして、千鶴さんに会いに行きたいです。

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