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神の社会実験・第29章

「成程。」

そういって僕は、ビールを二つ注文した。大将にもご一緒してもらおうと思ったけど、それは辞退された。プルーは喋り疲れてのどが渇いたのか、一息にジョッキの半分ほどを飲み干してため息をついた。その艶めかしい上唇についた泡だけはナプキンで上品にふき取って。お淑やかなのか、じゃじゃ馬なのか。子供っぽいのか、セクシーなのか。つくづく一貫性のない女性だな。それにしてもうまいビールだ。きりっと冷えていて、鰻と喧嘩しない絶妙なコク。蒲焼のスモーキーで甘い余韻をさらに引き立ててくれる。鰻とビールのループで、際限なく楽しめてしまう。

「それで結局、プルーにとっては何が肝心なのかな。世界を救う事か、それとも伯母さんに会ってもらう事か。そもそも、何でそんなに伯母さんに会う事に執着するのかな。会ってどうしたいのかな。」

年上だと分かったけど、いきなり口調を変えるのも変なので、そのままの調子で僕は続けた。プルーは、まったく気にしていないようで、そのうちビールの泡から答えが出てくるかのように、昇っては爆ぜていく気泡を眺めていた。

「正直よくわからないわ。…初めはあんまり自分にそっくりだから、それだけでなんだか会ってみなくちゃって思ったの。理屈じゃないわ。見かけだけじゃなく、他にも通じる所があるんじゃないか、私たちにはそれ以上の絆があるんじゃないか、これは運命じゃないかって気がしてならなかった。それで、そのために一生懸命方法を考えたり世界の仕組みを調べたりしているうちに外の世界がどんなに酷い有様か分かってきて、伯母の使命感とその使命の重さが分かってきて、それでそれに比べてこの島の生活って何なんだろう、私もこの島の人達もみんな能天気で下らないって感じがして。こう言うの、むなしいって言うのかしら。兎に角、伯母に会えるかどうかは別として、何かしないと気が済まないの。

伯母に会ったらどうするかって言われても、よくわからない。何度も手紙を読み返して思う事は、とにかく今のまま、この状況がどうにもならないまま会いに行ったら叱られるだけだと思う。」

「うーん。僕は手紙を読んだ訳ではないけど、君から聞いた文面通りだとして、君が幸せに暮らしている事が何よりもの救いだっていう事は本音なんじゃないかな。だとすると、君がその幸せを犠牲にして外の世界に行ったら、伯母さんは悲しむと思う。さらに言うなら、今君が外の世界、もとい彼女のせいでこうして不幸な気分でいること自体、伯母さんは望んでいないんじゃないかな。」

「だからって、何もしないのは後ろめたいし、はい、そうですか!って忘れられるわけないじゃない!」

「ごもっとも。だから、君がこの島の掟を破ることなく、何かこの経験をポジティブなものに生かす事ができれば、伯母さんも救われるんじゃない?」

「そんなの、当り前じゃない。それが出来れば、苦労はしないわよ!」

そう言って彼女は残ったビールを飲み干し、勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけた。空になったグラスやジョッキをテーブルに叩きつけるのは、酒癖が悪そうな彼女の癖らしい。知らなかったとは言え彼女にビールを勧めたのは僕だから、大将にちょっと申し訳なく思いながら、僕は自分のビールをゆっくりと口に含んで、次の言葉を選んだ。

「当たり前の事しか言えなくて、申し訳ない。でも、それなら色々試してみたんだよね?例えばどんな事?」

プルーは、キッと僕をねめつけ、挑戦的に言い放った。

「馬鹿にしないで。私だって色々考えたわ。こういう場合は、伯母さんが支持している運動なんかを、自分なりに広める手伝いとかするといいんでしょ。でも、この島にはフェミニズムも戦争も関係ないじゃない。だから困っているのよ!」

確かに、今のこの島は平和そのもので、プルーの伯母さんの戦いとは無縁に見えるのも不思議ではない。でも、その状態を保つために、色々な努力がなされている事を僕が知っているのは、僕がたまたま職業柄いろんな所に顔を出して、常日頃からいろんな人と話す機会を掴んでいるからだ。

人間の社会におけるパワーバランスを久しく傾けるモチベーションであり手段でもあるお金がないこの島でも、人間と言う基本的に自己中心的で愚かなくせに、ひ弱で群れなければ生きて行かれない生物を治めるのは並大抵の事ではないのだ。飢える心配がなくても、どんなに自由に生きたいように生きられても、他人は思い通りにできない。ちょっとしたすれ違いや、ほんの些細な事で人は傷ついて自信を無くしたり、不満を覚えたりする。そして、満たされていない人の中には、自分の小さな世界の中でマウントを取ったり、他人をコントロールしようとしたりする者がいる。そうして、不満の輪は広がる。悪貨は良貨を駆逐するということわざ通り、この様な小さな腐敗はたちまち広まってしまう危険性を持つ。特に子供たちは敏感だ。こんな素晴らしい場所でも、親になるのに向かない人が子供を儲ければ毒親になってしまう可能性があるし、我が子を愛していても仕事に没頭しすぎて子育てが二の次になってしまう人もいる。そんな家庭に生まれた子供たちは、ちゃんとケアしてあげないといじめっ子になってしまったり、逆にいじめのターゲットになっていまう。そんな事になってしまったら、今度はその子たちのクラス全員、或いは学校全生徒をしっかりケアしてあげないと、歪んで育ち、やがて歪んだ社会を作ってしまう。

そんな惨事を防ぐために、この島の児童教育は徹底している。生まれる前の健診から、子供が自立できる様になるまでに、一人の人間を育て上げる事に関わる職業は全て連携して、遺伝的な負の要素の発現をなるべく抑え、抑えられないものは補い、体も心も強く、コミュニケーションに強く、時には大将の様な宇宙人の力までも借りて、その子の世界を広げ、問題を適切に解決できる、或いは執着せずに受け流せる知恵を授けるのだ。児童教育だけではなく、この島の島民全員の健康管理が徹底しているのは既に述べたと思う。特に精神的なケアには徹底していて、浪費癖やマウントを取りたがる性質など、迷惑行動が酷いと判断されるとブラックリスト入りになり、カウンセラーや医者のお世話になる。この様に、人間の心の不安に繋がる要素を一つ一つ虱潰しにしていくように、この島の行政は日々目を光らせ、向上に全力を捧げているのである。しかし、これらの事実は、プルーが役所や図書館で「フェミニズム」や「戦争の阻止」などのキーワードでちょろっと検索したくらいで明らかになるような物ではない事は、僕が一番わかっていた。自称歌う事しかできない彼女にこのシステムを説明して、そこに貢献できるように勉強し直すなどを進めるのは建設的ではないし、不親切にも思えた。しかし、どうやったら歌手というピースがこのパズルに当てはまるのか、僕にはちょっと思いつかなかった。うーん。

僕がずっと黙っているので、プルーはこいつは頼りにならないと見限ったらしい。大きなため息をつき、

「もういいわ。話を聞いてくれてありがとう。大将、ご馳走様でした。」

そう言って、さっさと店を出て行ってしまった。

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