見出し画像

80%の空が教えてくれたこと

今日を逃したらもうダメだ。
青空の下、洗濯物を干しながら思った。

このあと定期検診の母を病院に送り、父のお墓を掃除して、もう一度母を迎えに行く。残っているのは掃除機がけと食材の買い出し。あまり得意でない母とのおしゃべりも含めて妹に任せてもいいだろう。息子は部活があるから家に戻るのは5時過ぎ。急ぎの仕事はないし、要約筆記講座の課題は…まだ手もつけていないけれど、夜やればいい。

今日しかない。

*

いろいろな事情が重なって、息子と私は今 実家で過ごしている。妹家族が同居中の二世帯住宅。つまり一つ屋根の下に主婦が3人、これは便利なようで結構きつい。先日、ついに私の心がパンクした。

母は、他界した父の介護中に腰痛を悪化させ、数年前に手術を受けている。自分のことも大抵の家事も一人でできるが、アクティブな人だったため思うように動けないことがストレスになっているようだ。掃除ひとつとっても、自分だったらこの方法でやるのにと思うらしく、娘たちに気をもんでいる。簡潔に言えば、口うるさい。

この年になって家事のやり方でケンカをするのはしんどい。妹は、甘えるところは甘え、作業をすみわけできるタイプなのでうまくバランスが取れていたようだが私には無理だ。甘え方なんてよくわからない。お願いしてやってもらうくらいなら自分でやる、と勝手にドタバタして、気の強いお姉ちゃん、というポジションを確定させてしまった。

二人が身につけていた ”気に入らないところは見ないようにするスキル“ も高度すぎた。洗濯物のたたみ方や冷蔵庫の使い方くらいならなんとか合わせられても、野菜の茹で加減や味噌汁の濃さ、玉子焼きの味は歩み寄れなかった。息子と自分の分は勝手にやらせてくれと言い出してこじらせる始末。結婚して家を出るまで食べ続けていたはずなのに、年月は味の好みも変えてしまうらしい。

もちろん一緒に住むようになってよかったこともたくさんある。一番は息子の笑顔が増えたこと。妹夫婦には娘がいて、大の仲良しだ。その二人が一緒に住むことになったのだから楽しくて仕方がないのも頷ける。6つ上の姪は息子の身なりを気遣い、ニキビ予防の化粧水を揃えてくれた。すみっコぐらしの前髪クリップをつけられた息子が、姪に倣って頬をやさしく包みこむ姿は微笑ましく、見ているだけで心がじんわりした。

寝坊した朝、母に助けられたこともある。むいてもらったりんごを皿に乗せながら「こんなに食べられないよ」と呟くかわいげのない娘。でも本当は、おいしそうにほおばる息子を見ながら心で手を合わせていた。お礼ひとつ言えない自分に腹を立てながら。

このくらいのシワはOK、と放置していた息子の衣類は妹によってアイロンがかけられ、制服のズボン丈は身長の伸び具合に合わせてこまめに調節された。雨の中、自転車で帰ってくる時間ちょうどにお風呂が沸いていた時はさすがの息子も戸惑っていたけれど、せっかくおばあちゃんが用意してくれたのだからと喜んでみせた。

どれも自分がやってこなかったことばかり。私は、笑いあう時間だけで満足している母だった。

あの楽しかった記憶もそのうち上書きされてしまうのだろうか。


この世情で収入が定まらない。フリーランスの私に席を用意してくれた会社はテレワークとなり、突発的な業務が入らなくなった。大事な収入源だった仕事のひとつも、クライアントの経営悪化で打ち切られた。かつての同僚が懸命に回してくれる仕事をこなしても不安は消せない。それでも、積極的に新規を取りにいく勇気も実力も時間も持たない私にできるのは、目の前の仕事を丁寧に片付けていくことだけだった。

実家に入れる生活費を月収によって変えてもらっている今、私たちはれっきとした居候だ。気に入らないやり方を変えたいなら、しっかり腰を据えてすべてを引き受けていくしかない。その覚悟がないのなら。

言葉は飲み込むしかない。

*

久しぶりに見上げた空は美しかった。シアン80(%)。

目的地を決めないドライブが好きだ。渋滞の幹線道路も、景色のいい海沿いの道も、細い脇道も、どんな道もいい。曲を流したり、流さなかったり、車を停めてぼーっとしたり、店に寄ってみたり、すべてをその日の気分で決める。止まる気にならない時はずっと走っている。スピードを出すわけでもなく、景色が変わっていくのをただ眺めるだけ。そうだ、何十年も前から私はこうやって自分を癒していたんだっけ。

道の両脇に見えるのは田んぼばかり。カラオケスナックの割れた看板に、賑わっていただろう昔を思う。T字路に突き当たってなんとなく右折すると、突然 色鮮やかな看板のかたまりが目に飛び込んできた。ファミリーレストラン、家電量販店、レンタルビデオショップ、ドラッグストア、 100均、見慣れたロゴがズラリ。さっきまでとのギャップがすごい。

駅から数キロ圏内の異空間は、好天の平日のせいか年配のご夫婦で賑わっていた。りんごみたいなマークの見たこともないスーパーから切れ目なく人が出てくる。たったそれだけのことになぜか ざわざわした。車で数十分、こんなに近くで当たり前に起きている出来事さえ知らなかった私に、もう一度 社会に出るタイミングは訪れるのだろうか。

信号の先に施行中の建物があった。イエロー、ライトブルー、ピンクの太いラインが壁に描かれている。上下に伸びるやさしい色使い。窓には「2022年4月オープン○○保育園」とある。

その瞬間、頭の中に懐かしい映像が流れこんできた。巻き戻った記憶は短大の頃のもの。実習先の保育園でみんなと掘った大きなお芋、子供たちのはしゃぐ声、ほっぺたについた湿った土。そこから一転、幼稚園の張り詰めた教室へと景色が変わった。命を守る仕事なのに、特定の子にしか目を向けられなくてどうするの。子供たちが降園したあと、担当教諭に叱られてうつむく私。でも1人をよく見てあげられるのもいいことよ。子供はね、10回叱るより1回褒めた方が心に届くの。ひとつでいいから真剣に褒めてあげるのよ。一瞬、目尻にシワを寄せた教諭の顔がだんだん小さくなっていく。代わりに「すずこせんせー」と大声で手招きする子供たちが現れて、私は我にかえった。


うまくいかないことをいくつも数えるより、
うまくいく方法をひとつ探せたら。


ふと浮かんだ言葉をかみしめる。信号が変わると同時にアクセルを踏みこんだ。右うしろに遠ざかる保育園をサイドミラーで見届けて、正面を向く。

心を晴らす方法はいくつもあるから、ガソリンが高騰する今、ドライブは最適解ではないのだろう。でも、エステより、マッサージより、映画より、スイーツより、ただ「動く」ということが私には必要だった。

帰り道、コロコロコミックを買い忘れていることに気がついた。月に一度の息子のお楽しみ。確か、定期試験が終わったらと約束してあったはずだ。息子はなんとなく言い出せなかったのだろう。まったく、子供に気を遣わせるなんて、何をしているんだろう私は。
 
付録の挟まった賑やかな冊子を、好物のシュークリームと一緒におみやげにした。

画像1



あれからもうすぐ1ヶ月。環境が劇的に変わるような出来事は何も起こっていない。相変わらず1人になれる時間は少なくて、イライラしてばかりの日々だ。それでも笑える瞬間が増えたのは、息継ぎの方法を思い出せたから。

‘’ 苦しくなったら動いて目の前の景色を変える‘’
今の私にとっては、ただひとつで、最強の方法。


前に進めてさえいれば、いつか次のステージが見えてくる。そう信じることにした。何ごとにも時間がかかるのは想定内、私らしくていいじゃないか。

見上げれば一面、シアン80パーセントの空。
大丈夫、いつだって動ける。






この記事が参加している募集

リモートワークの日常

届けていただく声に支えられ、note 3年生になりました。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。