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駅貼りのポスターなんてそうそう作れない

短大に通っている頃、地下鉄の乗換駅で1枚のポスターを見た。

私は考えごとをしながら電車を待っていて、ボーッと反対側のホームを眺めていたのだけど、線路の向こうの壁に貼ってあった大きな広告に気付いた瞬間、心をわしづかみにされた。

30年くらい前のことだから残念ながら詳しい内容は思い出せない。けれど、全面写真にキャッチコピーが1本というシンプルなデザインのポスターから目が離せなかったあの日、心が大きく動いたことは覚えている。ちょっと大げさな気もするけれど、あれは確かに私の運命を変えた出来事だった。


当時、保育科に通っていた私は、幼稚園教諭と保母(今の保育士)の資格を取り、そろそろ就職先を決める段階にいた。迷っていた。子供は好きだったし自分で決めた道だったけれど、全然しっくりこなくて。理由はわかっていた。みんなが私に、ぴったりの仕事だよねと言ってくれたから。その資格は、入試を避け、推薦で入った短大で卒業と同時にもらえるものだったから。

きちんと受験をして有名大学に通っていた同級生の褒め言葉は私を卑屈にした。代返を頼んでノートを借りてテスト前に勉強をしただけでいい成績が取れる環境は私を傲慢にした。それを態度に出せるほどの勇気は持ちあわせていなかったから多分誰にも気づかれなかったと思うけれど、内心は劣等感でいっぱいだった。

ねぇ聞いて、私はもっと他のことだってできるんだよ。本当は大声で叫びたかった。でももちろん無理。たいした努力もせずラクな道を選び、もう学びをやめてしまう私はなんてカッコ悪いんだろう。



実際には社会に出てから学ぶことの方が圧倒的に多い。学びの質は違うかもしれないけれど少なくとも私はそうだった。いまだに足りないことだらけ。

お詫びしなければいけないことだってある。あの時、女なら誰でもできると軽々しく扱った保育の世界がどんなに大変で尊いものだったか、子供が生まれ、仕事をセーブしていた期間に携わった幼児教室の講師経験から十分思い知った。もちろん19の私にそんな想像ができるはずなどなかったけれど。あの頃は、学校から勧められた採用試験を受けるかどうかに毎日頭を悩ませていた。

自分の信じた道を進めばいい、ポスターにあったのは確かそんな言葉だったと思う。もしかしたらまったく違う言葉だったかもしれないけれど、私はそう読んだ。だから、就職課の先生に幼稚園の採用試験は受けないと伝え、家族にはポスターを作る仕事がしたいと話した。今みたいにインターネットでなんでもわかる時代ではなかったから、どうすればそんな仕事ができるのかを探すのには苦戦したけれど、なんとかデザイン専門学校にたどり着き、その情報を両親に伝えた。もちろん反対された。当然だ。やっと一人立ちというタイミングで何を言い出すんだろう。それでも、言い出したら聞かない私を知りすぎていた父は、最後にはあきらめて許してくれた。祖父母に入学金を借りてくれたことを知ったのはずっと後のことだった。


そこからは大変だった。
そもそも、絵の苦手な私がデザインの勉強をするなんて無謀もいいところだ。おまけに私はみんなより年上。雰囲気も着ている服だって全然違う。結局、私が思い描いていた講義は2年間のうちでたった一度だけだった。来る場所を間違ってしまった、多分私が学びたかったのはコピーライトだったのだ。

なんとか課題をクリアし、卒業制作を仕上げ、就職先を決めた。あまり向いていないと思ったけれど、もう引き返せなかった。早く働いて親にお金を返さなくてはならない。

短大の同級生の中には、担任を任されるようになっていた子もいた。たんぽぽ組とかさくら組とかそんな名前のクラスの。大変だけど子供はかわいいし、やりがいもあると楽しげに話す彼女たちを羨ましく思っても何も言わずに笑って聞いた。デザイナーなんてすごいと言われて吐き出せなくなった言葉たち。

ねぇ聞いて、私は全然すごくなんかないんだよ。本当は大声で叫びたかった。でももちろん無理。親のスネをかじって学んでいる気になり、結局落ちこぼれて、拾ってくれた会社で働く私はなんてカッコ悪いんだろう。


駅貼りのポスターなんてそうそう作れるものじゃない。
専門学校でわかったのはそんなことだった。


ーーー


あれから長い長い時間が経って。

私はデザイナーにもコピーライターにもなれていない、と思っている。
転職をして選び直した2社目のデザイン事務所では環境に恵まれ、コピーの学校にも通わせてもらった。だから、どちらの肩書きの名刺も持たせてもらったけれど、それは長く勤めた証だ。個人の私になった今、とりあえず名刺に載せている肩書きも本当はすごく恥ずかしい。

でも、自分が続けている仕事には誇りを持てるようになった。事務所には駅貼りポスターの仕事なんてこないし、時には小さなチラシだって作るけれど、どんなに時間がなくても手を抜いたりしない仲間たちとの時間は私の宝物だ。在籍して11年、会社を離れてそれ以上、四半世紀もの間、関わり方を変えながらもずっと同じ仲間とモノ作りができる幸せ。それを今、噛みしめている。




迷いの多い人生だと思う。
選ばなかった仕事、選べなかった人、選ばれなかった私もあった。

今まで多くの分かれ道があって、迷いながら選んだすべてが正しかったのかどうか、答え合わせはできないし必要ないと思うけれど。


「これからあなたが進む道は間違っていないから。」
あの日、あのホームにいた私にそれくらいは教えてあげてもいいかなと思っている。


でもデコボコ道の先に、どんなに見晴らしのいい世界が広がっているかは内緒にしておくね。

だって、四半世紀先にたどり着く明るい場所に、もっとたくさんの分かれ道が用意されているなんてかなり素敵だと思わない?


#私の仕事

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