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タイムスリップをもう一度

「人間の目はポジティブにできているんですよ。
 ここからなにか見えてきませんか?」

同僚のデザイナーは近くにあった水性ペンを手に取ると、試し刷りの紙を裏返して何やら描き始めた。覗き込んだ紙面には少し大きめの三角とその右上に丸。フリーハンドで描いた三角はアシンメトリーだし、丸に至っては答案用紙につけられた正解の印のように書き終わりが勢い余って飛び出していた。

「山と月…かな?」

「そうです。こうやって、モコモコした形を書き足せば雲。三角の上の方から下に向かって二本、そうだなぁ、下の方は少し幅広になるように線を引けばほら、川が流れているように見えるでしょ。」

そう言いながら彼は余白の部分に地平線を引き、木と花と道を描いて車を走らせた。無造作に線を引いただけだった黒い図形たちがあっという間に動きのある景色に変わる。さすがだ。

ほんの1年入社が早かった私は確かに先輩だけれど、結婚後、10年以上も現場を離れている間に支社を任されるまでになっていた彼の方が何十倍も経験値が高い。それでも相変わらず敬語で話しかけてくれるところがとても律儀だなと思う。


人並みにデザインの勉強をしてきたというのに私は絵が苦手だ。目の前にない題材なんて絶望的。想像で描いた人や動物はもう最悪で、幼稚園児だってもっと素敵に描くのにといつもため息が出てしまう。今はMacがあるから絵が描けなくても大抵の作業はできてしまうけれど、仕事柄、その場で思いを絵にして打ち合わせのテーブルに乗せたい場面もある私にとって、頭に浮かんだ絵をサッと書いて伝えられないことはずっとコンプレックスだった。

その日も。思いついたアイデアを仲間に伝えたくて、イメージに近い写真を探していた。絵が下手なのだから補足資料を探すしかない。急げ、とにかく急がないと。必死すぎてドタバタしていたのか、頭を抱えて固まっていたのかは覚えていない。気付いたら彼が横にいて、見せてくれたのがこの山と月のラフスケッチだった。

「写真がなくても大丈夫ですよ。ちゃんと思いは伝わりますから。」

トップに立つのは本意ではないと話す彼。でもそのポジションが回ってきてしまうのにはやはりきちんと理由があるからだと思う。


ーーー



2018年5月、東銀座の中華料理店。
貸切になっているという二階に上がると、受付と書かれたテーブルに懐かしい顔が座っていた。

「きゃぁ、久しぶり〜!」

同期入社で今も最前線で頑張っているデザイナーのMちゃんが飛んでくる。その声につられて向こうの円卓に座っていたTちゃんも駆け寄ってくれた。奥まった部屋の左から右へゆっくり視線を動かすと、懐かしい顔がニッコリしながらこちらを向いているのが見えた。スケジュールのことでよく喧嘩をしていた営業、今は相談役になっている元社長、よく飲みに連れていってくれた先輩、一緒に事務所の床に寝袋を敷いた後輩たち、別会社のデザイナーさん。

急に目の奥が熱くなって、慌ててバッグに目を落とす。
「幹事ありがとう。会費、5000円だったよね。」



それにしてもみんな早い。まだ開始15分前だというのに、7つの円卓がほぼ埋まっている。結婚して都心から離れてしまった私は、久しぶりの上京に不安もあってかなり余裕を持って家を出ていた。迷惑がかからないように時間を潰して来店したのだけれど、そんなのは杞憂だったようだ。

「どうせ待ちきれずにワラワラ集まってくると思ってさ。」
Mちゃんは1時間前から店を押さえていたことをちょっと誇らしげに教えてくれた。



「みなさーん、お待たせしました。今日は同窓会ということで、弊社にゆかりのある方々にお集まりいただきました。20年ぶりなんて人もいるようなので、姿かたちがあれれ?なこともあると思いますが、まぁその辺は大人の対応をお願いします。ということで、楽しくおしゃべりしながら存分に飲んで食べて盛り上がって参りましょう!ちなみに今夜戻って仕事という方は…はいはい、いらっしゃらないですね。では乾杯の音頭はもちろんこの方、Sさんに。」

途中、手を上げた仕事組を軽くあしらう人気者のMちゃん。酒の席の話術は健在だ。思い思いの飲み物をグラスに注ぎ終えたのを合図にタイムスリップの宴は始まった。

福岡から、山口から、大阪から、静岡から、飛行機や新幹線で駆けつけてくれた懐かしい顔ぶれの近況に、この日を待ち焦がれていた関東勢のテンションは一気に上がる。円卓をクルクル回しながら、料理を取りながら、口に運びながら…会話以外の全てを“ながら”で進めるなんて贅沢すぎるけれど、ものすごく美味しいはずの海老やら牛肉やらも今日だけは脇役で我慢してもらう。ビールや紹興酒やワインがどんどん運ばれてくると笑い声のボリュームもますます上がっていった。


ひと回り大きくなったあの人も、頭部が涼しくなったあの人も、目尻が下がったあの人も、額のシワを隠すために前髪を作ったあの人も、あの頃の写真を横に置いたらすっかり変わってしまったことに気付くだろう。でもなぜか昔と同じ笑顔に見えるのはアルコールのせいなんかじゃないはずだ。アナログから始まった広告作り、苦しんで生み出したものは上手くいったりいかなかったりしたけれど、寄り添った時間は確実に仲間の心を近付けてくれた。心の距離は、会わずにいた時間と比例しないのだと確信する。


「次は規模を縮小して2年後くらいにまた!」

ワインバルからカラオケボックスへ移動し、そろそろみんなのエネルギーも尽きた頃、Mちゃんはそう言った。仕事組は事務所へ戻り、私はその2日後、15年ぶりに職場に復帰した。


ーーー


「打ち合わせは、そのラフスケッチでいきましょう。」

そうだった。
私はもっと仲間を信用してよかったんだ。

拙い絵と言葉でもそれを汲み取ってくれるのが彼らだった。きっと、どう見えるかは見る側の経験値と気持ちで決まる。目の前にいる人が何を伝えようとしているのか理解したい、という思い。

リモートワークが推奨される今、打ち合わせもビデオや電話が増えた。案件によってはメールのやり取りだけということもある。でも、不思議と仕事のゴールは見誤らない自信がある。この仲間と一緒なら。




同窓会から2年が過ぎてしまった。あの日の約束は宙ぶらりんのまま、みんなの心にしまわれている。同じ場所で仕事をすることもままならない私たちが、次にタイムスリップの宴で大笑いできるのはいつだろう。まだ想像するのも難しいけれど。


今、見えている景色を覚えておこうと思う。
感じている気持ちを忘れずにいようと思う。






「人間の目はポジティブにできているんですよ。」
 ここからなにか見えてきませんか?」


不安の消せない毎日でも、目をこらせばきっと光が見えてくる。
光の中に、グラスをあわせるみんなの笑顔だってほら。

だから、大丈夫。

もう少し先の未来で、また会いましょう。






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