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私がうれしいからたのしいんだ

何が食べたい?と聞かれた時に、にっこり笑って答えられる人は素敵だなと思う。残念ながら私にはそれができない。もし相手に食べたいものがあるのならそれを一緒に食べたいと思ってしまう。

わかっている。なんとも張り合いのない女だ。


チーズタッカルビが流行り始めた時、当時お付き合いしていた彼に食べてみたいと話したことがあった。ちょうど彼の誕生日間際でディナーの予約は私の役目。当然メニューはチーズタッカルビになるだろうと彼は思っていたらしい。でも私が選んだのはお肉がタワーのように積み重なって運ばれてくる鍋。記念日にぴったりの華やかなメニューを探すことに必死で「なんでチーズタッカルビにしなかったの?」と聞かれるまで、自分の食べたいものを選んでいいという発想は全くなかった。

それが直接的な原因ではないけれど、うまくいかなかった理由の一つだと思っている。彼はパートナーが喜ぶ姿を見たい人で、私はパートナーを喜ばせることができない人だった。



「今日、どこにします?」

「えーっと、昨日はパスタだったよね」

「カレーか親子丼か中華か。時間あるから焼肉もありですよね」

「どうしよっか、迷っちゃう。何か食べたいものないの?」

「あー、じゃぁ私、お肉食べたいです!」

「ボクも肉に1票!」

「うんうん、いいね。みんないいならそうしよう」

「やったぁ、焼肉いきましょう」

繁盛期は何時に帰れるか予測の難しい商業デザインの仕事。夕飯をコンビニ調達で済ますことの多い私たちにとって同僚とのランチタイムは唯一の息抜きだった。忙しい日は短めに、日中の作業があまりない日はのんびりと。だいたい1時間というゆるい縛りの中でみんなとおしゃべりを楽しむ食事は、心をほぐす大切な時間だった。

ビルの2階から細い階段を並んで降りる。場所を決めるのは毎回その時。少しだけ年上の私にみんなは親しみをこめた敬語を使う。結婚をして途中ブランクのある私よりみんなの方がよっぽど腕がいいから敬語はやめようと伝えたけれど、入社が早い私はやっぱり先輩だからと笑って却下された。


その日私はなんとなく食欲の出ない日で、もし1人だったら駅前のドトールでサンドイッチを食べてボーっと過ごしていたに違いない。でもみんなが声を弾ませて「肉」を推すのを聞いていたら、階段を降り切る頃には最初から自分も焼肉が食べたかったような気分になっていた。我ながら単純だと思う。

決して食に興味がないわけではない。むしろ食べるのは大好きだ。それでも誰かと一緒だと食べるものはなんでもよくなってしまう。もともと自分のやりたいことを主張するのは苦手だけれど、それを差し引いてもこの気持ちの変化は不思議だ。自分のことなのに、いまだにさっぱりわからない。



四半世紀も前から一緒に働いている私たち。アナログで作業していた頃は真夜中に修正業務をすることもザラで、ある部分では家族よりも心が近い。どんな時に怒るか、喜ぶか、悲しむか、趣味は何か、食事は何が好きか。みんながお互いのことを知りつつ、いい距離感で接する。同志であり、付き合いの長い友人だった。

私の特技の一つに『友人の誕生日を思い出すこと』というのがある。その技を使ってみんなのお誕生日に声をかけ、小さなお菓子を差し入れていたら、いつしかみんながその人のまわりに集まってくるようになった。事務所の真ん中にある打ち合わせデスクに集合してほんの数分おしゃべりをする。「おめでとう」のひと言を伝えるだけの時間が、回数を重ねるごとに息抜きから、かけがえのないものへと変わっていった。

みんなのテンションが上がるにつれ私の準備もエスカレートしていく。1人分のチョコが、全員で食べるための箱アイスになりハーゲンダッツに昇格した。購入場所もコンビニから商業施設に変わり、サーティワン、タリーズなどいくつかのお店のルーティンになった。作業の合間にお店に走り、みんなの好きなフレーバーを想像しながら選ぶアイス。たかが8人分、されど8人分。正直お財布は苦しかったけれど、みんなの喜ぶ顔を見るとそんなのは簡単に吹き飛んだ。次はどこのアイスにしようかと考える時間も毎回たのしみだった。



「suzucoさん、ちょっといいですか」

手招きされて打ち合わせデスクまで歩いて行くと、背を向けて座っていたみんなが一斉に振り返った。歌い出したのは一番若い女の子。そのバースデーソングに合わせて後輩の男の子が冷蔵庫から白い箱を取り出して運んでくる。みんなが席を立って集まってきた。

その日は私の誕生日ではなかった。全く予想もしていなかった出来事に戸惑っていると、また違うメンバーが、みんなが事務所にいる日が今日しかなくてフライングでごめんなさいと言った。真剣に謝る姿がかわいらしくて、私は思わず吹き出してしまった。

内緒でケーキを買ってきてくれた後輩が箱を開ける。目に飛び込んできたのはすべて種類の違う8個のケーキ。フルーツたっぷりの華やかなもの、ずっしりと重みがあって濃厚そうなもの、口に入れた途端に消えてしまいそうなふわふわのもの。「うわっ」とか「すげー」とか「うまそー」とか騒ぎ出すみんなを制して、後輩が自慢げにケーキの説明を始めた。

「suzucoさんが生クリーム系にいくかチョコ系にいくか迷ったんですよね。でももしかしたらモンブランかなとか。だけどこの前チラシに載ってたイチゴのホールケーキ、あれ抱えて食べたいって言ってたからやっぱりイチゴかなって。それともプリンか、なんならパイも…」

「もういいって。どれにします?」
身を乗り出してこちらを見つめるメンバー。

「2個でもいいですよ。コイツいらないんで」

「なんでだよ、買ってきたのオレだし」

小さな事務所が笑い声で埋まっていく。


箱が空いた瞬間に目が合ったのはイチゴのタルトだった。カスタードクリームと生クリームとイチゴ、好きなものだけで組み立てられた一番背が高くてまあるいケーキ。食べてしまうのがもったいないくらいかわいい。

「私これがいい」

自然に指差していた。


みんながこちらを向く。
会話が止まる。

どうしよう、これ選んじゃまずかったんだ。じゃぁ私、違うのでも…慌ててそう言いかけた時「やったー!」という声が上がった。

「suzucoさん、自分で選んだの初めてですよ」

「いつも遠慮ばっかりですもんね」

「あー、今日すっごく気分がいい。さぁ食べましょ」


事務所には紙皿もない。やば、忘れた。まぁいいよ、これお皿にしちゃおう。そんな声を聞きながら、白い箱が8個に解体されていくのを見ていた。

やだ、なんでぼやけてくるんだろう。


「で、いくつになるんでしたっけ?」
うつむく私に後輩がすかさず質問する。

「もう、それ聞く?」

さっきより大きくなった笑い声が部屋をパンパンに埋めつくす。とりあえず1枚と、みんなでギュッと近づいてセルフタイマーで撮影したのが2020年2月の終わり。そろそろ1年になる。あの翌日からテレワークになった私はいまだに出社できずにいる。

ずいぶん昔のように感じるスマホの画像を見ながらみんなを想う。心のやり取りはメールや電話ではやっぱり足りない。また肩が触れるくらいすぐそばで、大きな声で笑いあえる日がくるといいのに。そんなふうに思う私は贅沢だろうか。



おいしいものは人を笑顔にする。
それは知っていた。

たのしい気持ちで食べるともっとおいしくなる。
それも知っていた。


でももっと手前にある大事なことを私はわかっていなかったのかもしれない。自分がうれしくなるほど、相手がたのしくなるということを。




あの大きなデスクにみんなで集まれる日が決まったら、
とびきりおいしいスイーツを持って出社しようと思う。

そしてきちんと伝えよう。

私がみんなと食べたいと思ったものを選んできたよ、って。


少し離れて座っても、顔が半分隠れていても大丈夫。
みんなと一緒なら、ぜったいたのしい。







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