-「書く」という行為-

これだけSNSが市民権を得るようになると、「書く」という行為が一般的な行為となり市民権を得た。以前と比較すると圧倒的に書くことが増えている。

以前は、自分のブログを持つ人はごく一部でもあり、誰かに対して文章を書くという行為は、仕事でのレポートや学校での課題ぐらいであり、それ以外で文章を書く人は極一部の人ぐらいではなかったのだろうか。プライベートとなると日記を書くぐらいではないか。

今では、facebook、twitter、Note、lineなどででコミュニケーションの一部としてテキストを送りあい、書くことがベースでもある。SNSの場で注目される人は、俗にいうフォロワーが多い人、シェアされる記事というものは、文章が上手かったりする人だ。ただし、文章が上手ければいいわけではなく、その人なりの考え方、地頭力、そして思想がしっかりしていると思わず読んでしまう。

そうなのだ、「思想」を持っている人は、一つどっしりとした柱を持っており、安定感がある。「思想」というと高尚なものに思いがちでもある。宗教家、哲学者など常人とかけ離れた人を思い浮かべるかもしれないれけども、思想なるものは、要は物事を考えている人であり、かつ洞察力がある人のことではないか。

誰しもが生きている上で、物事を考える。どれだけ深く物事を考えるかでもあり、そういった人はこの世界の複雑怪奇な日常を、自分なりに見立てを持っており、こうではないかと仮説ベースで考えている。さらに掘り下げている人は、ファクトを収集し、そこから仮説を立てて思考している。

現代の日本で、このファクトベースで考えている人は誰かと思い浮かべイメージすると、安宅和人さんが出てくる。最近、この方の著書「シン・ニホン」も読んだこともあり、やはりファクトベース。よくここまで考えたものだと畏敬の念すら覚える。

そういえば、すごいと思う人はマッキンゼー出身の人が多いのは気のせいでしょうか。優秀な人しか採用されず、かつマッキンゼーでビシビシ鍛えられているかなのでしょうか。会社内でも生き残りは厳しそう。そこで生き残った人が、著書を出しているからなのか、どうなのでしょうか。

私が以前通っていたオンライン大学BBTの学長も大前研一さんでした。というか、BBT大学マッキンゼー出身の先生が多かったなー。この方々も頭脳明晰で、授業がわかりやすかった。

どんどん話がそれていき、まとまりのない内容へと展開していますが、要はどんどん書いていけば、思考力がついてくるのでみなさんも文章書いていきましょうという話でした。ポイントは、ハードルを下げて、とりあえず毎日書いてみる以上です!

それでは、ごきげんよう。


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