「美味しい」コーヒーとは何だろう?
今日は自家焙煎したエチオピアのコーヒーを飲みました。
「美味しいコーヒーを飲んだなあ」としみじみ思っていたのですが。
「……美味しいコーヒーの定義って何だ?」
と言わば禅問答のような問いがふと出てきたのです。
これに関する持論というのは既に持ち合わせていたので……。
ということで今日は「美味しいコーヒーとは?」について語りたいと思います。
美味しい=○○?
皆さんは美味しいコーヒーとは?と聞かれたらなんて答えますか?
「高級な」「良い」「新鮮な」「カフェ・喫茶店の」
と色々なキーワードが出てくると思います。
その全てが美味しいを何か別のワードに言い換えている状態です。
例えば1杯1000円以上するような高級コーヒー。
ブルーマウンテンなんて聞けば美味しさは担保されたかのように思います。
しかし
・粉に挽いてから1週間以上放置してた
・ドリップも適当に、時間も温度も気にせず抽出した
こんなブルーマウンテンならどうでしょうか?
(勿論これは極論ではありますが)
逆に1杯300円で飲めるアイスコーヒー。
これが以下のシチュエーションだとどうでしょうか。
・真夏の30度を越えるジメジメとした外
・運動、仕事をして喉がカラカラ
きっとその場で「はい」、と誰かに渡された安価なアイスコーヒーもとってもありがたい存在になると思います。
美味しいの定義
結局「美味しい」は人によるのだと思います。
じゃあ語る意味ないじゃん!となりますのでもう少し書いておきます。
良いコーヒー、高級なコーヒー、これらは全て客観的価値観が入るモノです。
焙煎して1週間以内、100gあたり3000円する、何かの品評会で入賞した豆……。
一方で「美味しい」コーヒーは定義ができません。
酸味があるコーヒーが美味しい!という人もあれば、
しっかり苦いコーヒーが一番だ!という人もいます。
美味しい、は主観的な価値によるところが大きいため、結局美味しいコーヒーとは何か?は定義しにくいところだと私は思うのです。
そうであるならば
そして美味しいコーヒーは人によって違う、という前提で。
私達は美味しいコーヒーを探し求める楽しみが生まれます。
だって人によって正解は違うのだから。
そしてそれらを提供するお店側も力が入ります。
全員が納得する美味しいコーヒーは作れなくても、
「良い」コーヒーは作れるはずだから。
どこから入荷するか、どう焙煎するか。
どう抽出して、どんなスタイルで提供するか。
それらは「良い」コーヒー作りをしようとした賜物で、
それを受け止めた飲み手が最終的に「美味しい」かどうかを決める。
でも「悪い」コーヒーなら「美味しい」には繋がらない。
そういう風に思うのです。
正解がない、なんて一見ずるいように見えますが。
正解がない、から楽しい世界なのだと思います。
この考え方は日本のコーヒー文化の基礎を作った「カフェ・バッハ」の
田口護代さんが似たようなことをおっしゃっていて、とても影響を受けました。
長年行きたい!と思っているお店なのですが、なかなかお店がある方向に予定が無いもので……。
いつか行きたい名店です。
「美味しい」とは「美味しい」
こういうことなのかなあ、と私は考えてます。
読んでくださった方の何かに役に立てば幸いです。
最後までご覧下さりありがとうございました。
貴方に良いことがありますように。
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