会えなかった二番目の赤ちゃんが私に教えてくれたこと
私は4人兄弟の2番目で、なおかつ上3人は年子。
兄弟がいるなら年が近いほうが子供は楽しい、と盲目的に信じていた。
私は結婚がかなり遅くなったものの
36歳で第1子を自然妊娠し、特に大きな問題もなく、分娩に至った。
でも初めての子育ては思ったより大変。
産んですぐはもう一人子供が欲しいと思うかわからなかった。
でもあら不思議。
やっぱりもう一人産みたい、といった気持ちがむくむくと湧いてきた。
そうよ、母親がそう思わなければ、人口は増えないよ(笑)
最低18ヶ月は空けないと早産のリスクが増えるとのことで、避妊をしていたが、娘が8カ月になったところで妊活を開始した。
その3ヶ月後に第2子の妊娠が発覚。
もう38歳になっていたが、思ったより早く妊娠できた。
相当嬉しかった。
上の子と19ヶ月差になるだろう。
念願の年子の子供が産めるのだ。
つわりで気持ち悪いし、眠すぎる。
でも娘の面倒をみて、仕事もしなければいけない。
大変だったが、嬉しさの方が何十倍も勝っていた。
最終月経から7週目になったところで、産婦人科の予約がとれた。
超音波で胎嚢は確認できたが、胎芽はちょっと小さくて心拍は確認できなかった。
本来なら確認できる週数だった。
排卵日がずれてる可能性と流産の可能性を説明され、1週間後にまた再診の予定となった。
自宅に帰り、カレンダーと超音波の写真と産婦人科の教科書をにらめっこ。
色々考えた結果、80%生理周期が長かっただけで、来週は心拍が確認できるだろう、という結論に達した。
私はそもそも生理が不順なのだ。
そう信じていた。信じたかった。でも時々心配で泣いた。
出血はなかった。腹痛もなかった。
でもなんとなくつわりも軽くなったし、乳房の張りもとれた気がした。
そして翌週、赤ちゃんは育ってなかった。
心拍も確認できなかった。
『稽留流産』と診断された。
最初は気丈にふるまっていたが、先生の優しい慰めを聞いているうちに涙が溢れ出した。
あぁ、赤ちゃんダメだったんだ。
誰のせいでもない。
ある一定の確率で起こること。
染色体異常で受精の時に運命は決まってる。
私はもう38歳だし、流産の確率は20%はあるだろう。
仕方ない。
頭の中ではわかっていた。
でも涙は止まらなかった。
手元にはたった一枚の超音波写真だけが残された。
たったそれだけ。
しばらく泣いて過ごした。
びっくりするくらい悲しかった。
想像していたのより、500万倍くらい悲しかった。
私はそのことを少し前に始めたブログに書いた。
事細かな経過や自分の気持ちを正直に書いた。
そんな私を救ってくれたもの
それは『過去に流産を経験していた方の温かいメッセージ』だった。
個人的にメッセージをくれた人もいた。
その人も第二子を流産したけど、また妊娠して、安定期に入ったところだと教えてくれた。
「SATOKOさんにもまた赤ちゃん来てくれると思います」と言ってくれた。
見ず知らずの私に皆優しい言葉をかけてくれた。
本当にありがたかった。
批判や炎上を恐れて、発信しない人も多いと思う。
過去の私もそうだった。
そして流産について語ることはタブー視されている。
でも発信したことで、人のやさしさにふれることができたのだ。
でもあなたが教えてくれたことは、人のやさしさなのかもしれないね。
ありがとう。
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