日本の入試制度と研究者育成との相性の悪さについて


日本の入試というのは、典型的な問題をいかに正確に速く解けるかが求められる。(もしくは少し工夫された問題)一方で、研究ではその必要はない。むしろ試行錯誤して失敗だらけだ。

入試では失敗が許されない。不合格になるからだ。研究では別で失敗しても良いし、失敗から新しい成果が出ることすらある。(セレンディピティ)

何が言いたいかというと、求められる能力が逆なのである。ひょっとすると、不合格者の方が研究者に向いていた可能性すらある(特に難関大)

もちろん、両方できる天才タイプもいるが、そのような人材は稀だ。0.01%くらいだろう。

研究者として欲しい人材を入試で落としているのである。それを助長しているのが予備校や塾だ。予備校や塾では、資本主義である以上、生徒を合格させて合格者実績を作るのが命題だ。入試の予想問題も最適化されるであろう。また、解ける問題から解けと指導されるのがオチである。

しかし、研究では簡単に解けるような問題は価値が無いのだ。そのような問題は低得点である。

ここに日本の入試制度に矛盾があり、入試は必要悪であるとも言える。(定員があるためだ)また、入試で簡単な問題しか手をつけない癖を付けることも問題である。これを大学以降もやってしまうのだ。

これを解決するにはどうすれば良いか?教科書レベルの問題だけテストで問い、一定の点数以上いけばあとはおみくじかサイコロで決めてしまえばいいのだ。

なんて事言うんだと学歴厨は思うかもしれないが、こうすることで画期的な研究者がうまれやすくなる。(ちなみに私もいちおう世間的に難関大出身である)

言いたい事は以上になります。長文を読んでいただきありがとうございました。

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