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食レポをする人間の文学的センスの高さ

僕は食レポというものをある種文学的で創作的で技術のいるものだと思う。なぜなら食レポという行為も人になにかを言葉で伝えるという行為であるからだ。食レポはただ美味しいと言うだけでは成り立たない。なにがどう美味しいのか、食感はどうかなどの様々なその料理に対する情報を口や鼻などの五感から感じとりすべてを言語化しなければならない。しかもその場で台本もなしにだ。それは相当なアドリブ力と即興性、言語能力がないとできない芸当だ。食べ物の味を相手に感じさせるのも技術だ。この食べ物は美味しい、まずいなどと伝えるのは単語の問題だ。どのワードを使えば美味しいと伝えられるのかはどのワードを使えば美味しくないと思われるのかを理解し、瞬時に紡ぎ出す必要がある。例えば美味しいエビフライがあったとしよう。そのエビフライの食感をバッタみたいと表現すると美味しくなさそうと感じるだろう。それとは逆にまずいステーキがあったとしよう。そのステーキが生焼けであることを伝えるときにローストビーフみたいと言うのはおかしいだろう。このようにその料理を食べたときに即座に最適解の単語を紡ぎ出して言語化する食レポという行為をする人たちは相当に技術が高く文学的でセンスに溢れた人たちだと感じる。

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