リョウ1004

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普段創作とかしてるオタク系高校生です!たまになんか書きます!よろしくです! Twitterアカウント:https://twitter.com/otakuRyo1004?s=06 Pixivアカウント:https://www.pixiv.net/users/92980686

最近の記事

今日出会った二人の女性の話

今日電車の席に座っていて寝ていたら国分寺から三鷹の間あたりで唐突に体を突かれて起こされた。 目を開けてみると女性の方で俺はその時イヤホンをしていたから何も聞こえなくてイヤホンを取ってみたら席を譲らせてほしいと言っていた。俺はその言葉を深くは考えずに立ち上がり、席を譲った。 そうすると女性の方が座った。そのときにその女性のことを見れば左肩に入れ墨を入れている女性だった。目線を少し下の方にやり、その女性の足の方を見てみればロリータのようではあるがそれともまた違う少し薄手の衣装

    • 春にできたカフェラテ

         プロローグ  僕には最愛の人がいた。  僕の生涯全てを捧げてもいいと心から言える女神のような女性がいた。  一目惚れで初恋の人だった。  彼女の百合の花のように人々を虜にする立ち振る舞い、風で舞う髪、彼女の透き通る瞳がとても美しくて初めて見た時一瞬で僕の心の何もかもを奪われてしまった。  この時僕は初めて恋に堕ちるという感覚を知ったと思う。  それから僕の人生は晴れやかなものへとなっていった。それまでの僕の人生は空白そのものでなにか打ち込めることのない虚しい

      • Twitterの埋もれてしまっている絵描きたち

        Twitterを見てて思うことがある。  それは上手いイラストを見たときだ。言い方は悪いがプロのイラストレーターほどではないにしろファンアートのイラストなどでは結構うまい部類の絵。そんな人たちのイラストをツイッターで見てきっと有名で人気なんだろうな〜思いながらいいねやフォロー数を確認すると数百人程度しかいなかったり二桁しかいないなんてことがしょっちゅうある。 その人がツイッターを始めたてだったりしているなどの理由はあるかもしれないがそれらの絵がうまいのにあまりフォロワーなど

        • 中学の時に受けた国語の授業で感じたクソガキの意見

          中学の時の授業で物体っていうのは重なり合って同じ場所にいられないという話を聞いたような気がする。例えば手のひらの上に鉛筆は置けるけど鉛筆がすり抜けて手と重なって同じ場所にはいられないといった感じだ。 だけどその授業では「何かを食べたときつまり胃の中になにか入ったときはその食べ物と私は同じ地点にいられるという話をされた。だけどその食べ物はいつかは消化されてなくなってしまうので永遠に同じ場所に違うものがいられることはできない」という話をした。 この話を聞いたとき私はそうではないと

        今日出会った二人の女性の話

          ある日突然この画像を見た私の中のアブドゥル・アルハザードの回答

          それはある日のことでした。私はTwitter(X)である種日課のようにいつも行っているネットサーフィンをしていたらこんなツイートを見つけました。 これを見たとき私の内なる厨二心に電撃が走りそれと同時に全身が震え発作を起こしました。私は大のクトゥルフ神話ファンであり重度の厨ニ病患者であるため適期的に厨ニな文章を書かねばと発作が起こるのです。私は今回も例に漏れず発作が起こりました。それにより私はこんな文章を書いてしまったのです。 「この透き通る青空もこの世界さえも神々にとっては

          ある日突然この画像を見た私の中のアブドゥル・アルハザードの回答

          カルダシェフスケールと我々

          この世にはカルダシェフスケールというものがある。曰くそれは宇宙文明の発展度を表すものだという。それにはレベルが7まである。 だが、カルダシェフスケールでは人類の文明レベルは0.8である。 人類が誕生してから700万年経っている。 700÷8すると87万五千年 単純計算ではあるが人類が0.2分文明が進むのに87万年かかる だが、人類の発展スピードは日に日に増しているためこの考え方は少し単純すぎるかもしれない。だがそうだとしても人類は今に発展するまでに多くの時間をかけてきた。だが

          カルダシェフスケールと我々

          友達は金で買えるのか?

          友達が金で買えるはある意味正解かもしれない。なぜなら、友だちと遊ぶときにだってお金を使う場面がたくさんある。カラオケ、ファミレス、遊園地などなど。だが、それらを遊ぶために使うお金をあまり持っていなかったら誘ったりしてくれた友達と遊ぶ機会が減っていくかもしれない。そして最終的には全く遊ぶことができずに疎遠になっていくかもしれない。そういう意味ではある意味友達とはお金で買える存在なのかもしれない。 いやこの考えで行けば友人だけでなく人間関係そのものがお金で買えるものなのかもしれな

          友達は金で買えるのか?

          人間の醜さ

          醜さことが人を人たらしめる。 無理なようなことでも諦めずに何度でも挑戦する醜さ、知らない、わからないことを何十年という時間をかけてわかるようにする醜さ、今この現状をなんとかしようと足掻く醜さ。これらはとても醜い行為であるがとても大切なことである。なぜなら人間はこの醜いことをすべてやって進化してきた。人間とは醜くて愚かな生き物であるがそれ故に醜さから成長することができる。人間が醜い行いをすることで人間は今よりもより高次の存在へと召し上げられる。人間の醜さには意味がある。

          人間の醜さ

          食レポをする人間の文学的センスの高さ

          僕は食レポというものをある種文学的で創作的で技術のいるものだと思う。なぜなら食レポという行為も人になにかを言葉で伝えるという行為であるからだ。食レポはただ美味しいと言うだけでは成り立たない。なにがどう美味しいのか、食感はどうかなどの様々なその料理に対する情報を口や鼻などの五感から感じとりすべてを言語化しなければならない。しかもその場で台本もなしにだ。それは相当なアドリブ力と即興性、言語能力がないとできない芸当だ。食べ物の味を相手に感じさせるのも技術だ。この食べ物は美味しい、ま

          食レポをする人間の文学的センスの高さ