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【NZで妊婦生活編①】人生で一番泣いた日

Noteを始めるきっかけになった出来事だったから、
このトピックを一番最初に書くって決めていた。
今でも思い出すと本当に辛いけど、誰かのためになると思って
ここに記すことにする。
(長くなるのを覚悟で読んでいただけたら。。)

私の30何年の人生で一番泣いた出来事は2つある。
1つは父が急死したとき。
これについては今年のニュージーランドにおける父の日にでも           また書こうと思う。

もう1つはニュージーランドで妊娠して、
安定期に入ろうとしていた時に稽留流産を経験したことだ。
稽留流産とは、母親が知らない間に何等かの理由で胎児の心拍が          動かなくなる、自覚症状がない流産のケースだ。

この記録は、流産を経験した人たちに捧げたい。
特にNZという海外の地で流産されて情報がない方のためになりますように。

ニュージーランドでは6週目、12週目、22週目の3回しかエコー検査がない。
私の場合は6週目から12週目までずっとつわりも継続していたし、
お腹がどんどん大きくなっているのも感じていた。
異変を感じる予兆もなかったし、順調に育っていると思っていた。

母は私を含めた3人を超安産で出産しているし、               妹も甥っ子を超安産で出産したし、
自分もきっと問題なく出産できると無意識に思い込んでいた。

仕事の上司にも早めに報告して、周りに迷惑かけないようにと
11週あたりで連絡して、色々調整をしようとしていたくらいだ。

12週ともなれば、前回のエコーよりもより人間らしく成長しているはず・・
と、ワクワクしながらPONSONBYにあるクリニックに向かった。
初めての妊娠だったこともあり、このエコー検査をすることで           自分の子供を見ることができる感情の高ぶり。
きっとその時の私の目はきらきらと光っていただろう。

「はい、じゃあ冷たいの塗るわねー」と対応してくれたドクターが
ジェルをお腹にぬりぬりしながら、エコー検査を始めた。

モニターに自分の子宮内の状況が映る。
一瞬でおかしいことに気づく。
赤ちゃん、動いてない・・・?
自分の鼓動が頭の中まで鳴り響くように波打つ。
これはどういうことなのか、頭の中の思考が停止しそうになった。

ドクターが若干動揺しながら再度チェックしようとする。
「ちょっと待ってね・・鼓動が・・」                       ドクターも私にかける言葉を考えているようだった。
胸が熱くなって、涙がこみ上げる。

その後、8週目あたりで赤ちゃんは死んでしまったこと、
今後赤ちゃんをお腹から出す必要があることを告げられた。

思いもしない展開に頭がついていけず、
ただ無言で涙がぽろぽろ出てくる。
思い描いていた未来、赤ちゃんとの生活、何もかもが消えていくー
ドクターに優しい言葉を沢山かけてもらったのに、
その時は泣きながら「Thank you」としか言えなかった。
(私も2回流産経験したから気持ちはわかるわ、この仕事をしている以上
感情的になってはいけないのだけど・・本当に辛いわよね                    と涙ぐんで言葉をかけてくれた)

同じくらい辛いはずの夫は、泣かずに強くいてくれた。
「これは終わりじゃない、あきらめないで次を考えよう」
泣きたい気持ちをグッとこらえてかけてくれた言葉、
そのやさしさにまた涙が出た。
帰り道はちゃんと歩くことができず、支えてもらいながら帰った。

海外での初妊娠からの流産、この当時の記憶やどう過ごしたか
あまり実は覚えていない。
夫も休まず仕事していたから、私が休むわけにもいかないと
仕事していたけど、それがむしろ良かったのかもしれない。

次回②ではその後ニュージーランドで経験した
自然排出、再度の妊娠について書こうと思う。


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