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(短編小説)初夏


「カッツン」
 声を掛けると、カッツンはギターを爪弾く手を止めて、のそりとこちらを振り向いた。
「いいのかよ。出棺しちゃったぜ。今から急げばまだ親父さんと最後の対面できるぞ」
 しかしカッツンは顔を元に戻すと「いいんだよ」と、またギターを鳴らした。カーキ色のジャケットを羽織る角張った背中。
 村外れの高台にある岩山はカッツンのお気に入りスポット。昔もよくここでギターを弾いていた。以前はもう少し草に覆われていたが、自然も年月を重ねると根が絶えてゆく。
 むき出しになった岩肌であぐらをかいてるカッツンの隣に登った。
小さな集落が一望できる。けれどもカッツンの生家は高台の反対側にあって
ここからは見えない。家から離れているからこそ彼は学生時代の多くの時間をこの岩場で過ごした。部屋でギターを弾くと親父さんに叱られるからだ。
「どうだった?親父の葬式」
 カッツンは弦を爪弾きながら言った。
「盛大だったよ。長いこと村長さんやってたし、県議会議員にまでなった人だからな。弔問客だけで300人ぐらい来てたんじゃないかな」
 「そっか。じゃあずいぶん香典集まったな。ド派手な葬式やっても元が取れたかね」
「お袋さん忙しそうにしてたぜ。次から次へと人が来るもんだから、喪主なのにゆっくり座ってる暇もなくってさ」
「お袋は立ってる方が楽な人だからいいんだ。なんにもするな、ができないタチだから。そうでなくちゃあの気難しい親父の面倒見れねえよ」
「とはいえ長男が不在でいいのか。せっかく帰って来たんだから顔出して来いよ。お前のこと待ってるぜ」
 カッツンは何も答えなかった。彼の奏でる調べが風に乗って飛んでゆく。
緑の眩しい山は夏に向かって衣替えを始めていた。
 
 村長の息子だったカッツンと僕は幼なじみで、いつも一緒に遊んでいた。カッツンは成績優秀で将来を嘱望されていた。県随一の高校を目指して受験勉強に励んでいたが、深夜のラジオから流れてきたある曲が彼の運命を変えてしまった。ロックンロール。以来彼は音楽の虜になった。
 なんとか高校に合格したものの、勉強そっちのけでロック漬けの日々。
ヘッドフォンからの爆音は通りすがる人にも丸聞こえ。やがてはギターを
手に入れ、毎日取り憑かれたように練習した。おかげで成績はどんどん下がり、村中の噂になった。神童が邪道に走ったと。
 体面を保ちたい父親はカッツンから音楽を取り上げようとした。
「このろくでなし。親に恥を掻かせやがって」
 だがカッツンの情熱は消えなかった。見つかると困るからと僕の家の納屋にギターを隠し、放課後に取りに来て、この岩山で弾いていた。
 そして彼はあまり程度のよくない大学に進学して上京すると、たった半年で退学し、音楽の道を目指した。金髪革パンの彼は親父さんから勘当され「二度と戻ってくるな」と音信を断たれた。
 それから25年。カッツンは一度も帰って来なかった。僕とは連絡を取り合っていたが、この地で会うのは駅で見送ったあの時ぶりだった。
 カッツンはまだ音楽をやってはいるが、売れてはいない。二十代で組んだバンドはインディーズ界でそこそこ人気があったが、不仲が原因で10年足らずで解散してしまった。その後もいくつかバンドを結成したのだが、どれも長く続かず、今はソロで活動していた。
 
 カッツンの中でも、スターになったら故郷に大手を振って帰ろうと思っていたのかもしれない。母親は毎月食料と数万円を仕送りし、彼が所属していたバンドのライブにもこっそり来ていた。多分父親は気付きながら黙認していたのだろう。そうでなければこんなに長い間、なにもしないではいられないはずだから。
 その父親が三日前ゴルフ中に大動脈解離で亡くなった。離ればなれの息子と対面することなく、搬送されて数時間で息を引き取ったのだった。
 知らせを受けたカッツンだったが、通夜にも来ず、葬儀当日にひっそり特急電車のホームに降り立った。25年ぶりの故郷はどんな風に彼を出迎えただろう。懐かしい景色はカッツンの胸になにをもたらしただろう。
 時間になっても葬儀場に現れない彼に『どこにいるの?』と尋ねると
『代わりに送ってやってくれ』と返信が来た。そして出棺になっても姿を見せなかった。
 いるならあそこだろう。確信通りにカッツンは岩山にいた。カーキのジャケットで隠しているが、白いシャツと黒いネクタイを着けていた。
 彼には彼の弔い方がある。生き方もそれぞれであるように。棺に泣きながら縋るなどロックじゃない。カッツンはその道を選んだのだ。
「これ、お袋さんから預かったよ」
 僕はカッツンの横に座り、ポケットから取り出した。
「親父さんの関係者の連絡先探してたら、引き出しの中にあったんだって」
 ついと差し出した。5センチ四方の白い薄紙に入ってるのはギターの弦だった。六本セットの新品。カッツンが帰ってきたら渡そうと思っていたのか、送りたかったけど意地張って諦めてしまったのかは分からぬが、音楽にまるで無縁だった彼が、自分のために買ったものではないはずだった。
 カッツンは手を止めて受け取った。しばらく見つめていたが、ふっ…と
笑いを零した。
「まったくよう、なんも知らねえでこんなことしてよ。これクラシックギターの弦じゃんか」
 カッツンの言う通り、中を開けてみるとナイロンの弦が入っていた。楽器店に来たはいいけど、ギターの知識もなく、店員にも聞けない。さっと目に入ったものを購入してしまったのだろう。生前の頑固な親父さんを知っているだけに、その光景がありありと目に浮かんだ。
「まあいいじゃん、受け取れよ」
 僕はスーツを脱いで後ろ手に空を見上げた。
「これでも一応弾けんのかな」
 カッツンはアコギから弦を外すと、クラシックギター用の弦に張り替えた。軽く鳴らすと柔らかい音がした。
「悪くないよ。この風景にはこっちのが合ってる気がする」
「感触全然違うな。弦が滑るぜ」
 何度か指先を確かめていたカッツンは、慣れぬ弦で「峠の我が家」を弾きながら歌った。掠れながらも途切れない響きが、初夏の雲とゆうるり混ざり合っていった。

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