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(短編小説)世界一の美女


   
   『○月○日 世界一の美女来たる!』

 ある日、こんなポスターが町の至る所に貼られた。キャッチコピーの横には、美女らしき女性のシルエットが浮かび上がっている。ウェーブした長い髪に細身のスタイル。それはまさに美女を思わせる横顔で、町の男たちはポスターの前に群がって、どんな美女が来るのかと口々に言い合った。

「あの女優みたいな美女じゃないか?」
「いやいや美女と言えば最近よくCMに出てるあのモデルだよ」
「それとも今一番人気のアイドルのあの子みたいな子かな」

 みな色めきだって「世界一の美女」を想像しては興奮した。町はその話題で持ちきり。学校でも職場でも、公園でも居酒屋でも、男同士で集まれば「世界一の美女」で盛り上がった。
 もちろん僕もその中に入っている。結婚しているのでおおっぴらには騒げないが、会社の仲間達とつるめば、理想の「世界一の美女」について、めいめい好き放題語り合った。男の理想は単純で果てしない。なぜなら綺麗な女性なら誰でもいいからだ。あれもいい、これもいいと思うため、なかなかひとりに絞れない。所詮は理想。だからこそ語り合うのが楽しい。「世界一」というキャッチコピーは、我々男性陣の胸を一様に踊らせた。
 
 だがそうなると面白くないのは女性達である。ポスターが貼られた時からそわそわしてる男らを尻目に、女性陣の視線は常に冷ややかだった。

「なにが世界一の美女よ。バカみたい」

 僕の妻も会社の女の子たちも言った。その時の物言いも全員同じだった。
口をひん曲げて、バカにする目付きで吐き捨てる。浮かれトンチキになっている我々を蔑むような呆れ顔。なので波風を立てぬよう「世界一の美女」について、僕はなるたけ興味ないふりして話題を避けていた。

「ねえお父さん、世界一の美女ってなーに?」
 
 そうした気遣いを知らぬ四歳の息子はあっけらかんと尋ねてくる。まだ
「世界一の美女」の意味が分からない息子の耳にもその情報は入っていて、
食卓で聞いてくるのだった。
「綺麗な女の人のことだよ」
 僕は妻の機嫌を損なわないよう、無難な言葉で答える。
「じゃあ世界一って、世界一綺麗な女の人のこと?」
 息子は無邪気に聞き返す。僕は平静を装って「そうだね」と頷く。ちらと向かいを伺うと、妻は不機嫌そうな面持ちでみそ汁を飲んでいた。
「ねえねえ、だったらお母さんと世界一の美女ってどっちが綺麗なの?」
 もう止めてくれと思いながらも質問を続ける息子に内心ドギマギしながら「どうかなあ。お父さんはお母さんだと思うよ」と言うと「ホント?よかったね。お母さんが世界一の美女だって!」と息子は妻ににっこりする。
「まあ嬉しい。ありがとね」
 妻は息子に笑い返すが、真正面に顔を直した時にはむすっとしている。
「余計なこと言うな」という目線で僕を睨み付け、黙って食事する。その時の空気はいたたまれない。せっかくの夕食も味がしなくなる。僕は妻のことも本当に綺麗だと思っているのに、まるで繕ってるように取られてしまう。
だから家では絶対この話をしないよう心掛けていた。

 町を歩けば目にするポスター。妻の手前素知らぬふりはしているが、やはり「世界一の美女」がどんなものか気になる。相変わらず同僚で集まれば、待ち望む「美女」について花を咲かせた。
 だがそのポスターが貼られてから、小さな変化が訪れた。最初に気付いたのは朝会った妻の横顔だった。
 彼女はいつもよりしっかりと化粧をしていた。普段ならひとつに束ねているだけの髪を洋風に結っていて、見たことのない洒落た服を着ていた。
 
「おはよう」

 付き合い始めの頃のようにめかし込んだ妻に戸惑いつつ「おはよう」と返してテーブルに付いた。するとご飯やみそ汁を運んでくれる妻の指先が光っていた。マニキュアだった。いつもは艶のない爪に、桜色のマニキュアが塗られており、思わず目がいった。だが妻は何も言わずに微笑み、僕の前に座って食事を始めた。
 不思議な気持ちのまま会社に行くと同じ現象が起きていた。女子社員がみんな昨日よりも化粧をばっちり決め、髪型を整え、素敵な服を身に付けている。社内は途端に華やかになった。そしてよく見ると、電車の中にいる見知らぬ女性たちも、町ですれ違う女の子たちも、みんな綺麗にしているのだ。
正しく言えば綺麗になっているのだ。誰もが着飾り、美しくなっていた。
 
 辺りを見回せば美女ばかり。男性陣はみんなウキウキした。周囲全体の目の保養にくらくらするほどだった。社員食堂で昼飯を食べながら同僚たちと話していると、彼らの妻や恋人や姉妹らもこぞって綺麗になっているという。お洒落だけでなく美容やダイエットに精を出してると。でもパートナーが美しくなるのはいいことだよなと話していた時、ひとりの同僚が「でもさ」と腕を組んだ。
「見た目だけなら誰でも頑張れば綺麗になれるよな。今は整形並みのメイクテクニックもあるし、実際整形だってできるし、エステや美容院で金掛ければ、みんなそこそこにはなれるもんな。けどさあ、おれはやっぱり見た目だけの女性より、料理がうまくて気が利く子がいいよ。美女を三日で飽きるってことはないけど、だらしない女なら四日目に嫌になるかもな。やっぱり本当に綺麗な女性ってのは中身も伴ってこそだよ。帰ったらおいしい料理があって、風呂から出たら「はい、どうぞ」なんて、キンキンに冷えたビールと一緒に枝豆と牛肉のしぐれ煮なんか出されたら、もうたまんないね」
 僕も同意した。確かに着飾ってるだけの女なんかすぐ飽きる。他人ならなんとも思わないが、妻や恋人だったら料理が上手で気立てがいい方がいい。
周りにいた全員が「そりゃ最高だよ」と頷いた。

 その翌日のことだった。会社から家に帰ると、妻はにっこり笑って僕を迎えた。そして風呂からあがると、よく冷えたビールをグラスに注いで置き、
鶏のナンコツ揚げとマグロの山かけを用意してくれたのである。いつもなら自分で冷蔵庫からビールを出し、柿ピーをつまみに飲んでいた。なのに今夜は妻の手製のつまみが二品もある。しかもビールがなくなれば、妻がすすんで晩酌してくれるのだった。
 夕食も豪華だった。スーパーで買った惣菜は一切なく、全部妻の手作り。
しかもどれもおいしかった。息子もびっくりして喜び「今日はパーティーみたいだね」と色とりどりの料理に瞳を輝かせ、口いっぱいに頬張った。しかも今日だけでなく、翌日の朝食も、お弁当も、夕食も豪華で、妻の手料理がテーブルいっぱいに並んだ。

 会社でもそうだった。いつもなら嫌々やってるお茶汲みを、女子社員の子たちは率先してやりたがり、デスクには常に温かいコーヒーか緑茶があった。それどころかお菓子を持参してみんなに配ってくれた。手製のクッキーにシュークリームにいちご大福など、様々なおやつが毎日食べられた。
 我々はホクホクだった。女子社員は全員綺麗。立ち上がらなくとも飲み物が用意され、しかもおいしいお茶うけとセット。みなで居酒屋で幸せを満喫していた時、今度は別の同僚が言った。
「でもさ、どんなに綺麗で料理がうまくても、性格が良くなくちゃなあ。たとえおいしい料理作っても、ツンケンした態度で出されたら味も半減だよ。ほら、会社の近くの蕎麦屋あるじゃん。あそこの女の子、最近綺麗になったけど、相変わらず無愛想で、感じ悪いんだよなあ。味はいいんだから、もっとニコニコしてほしいよ」
 分かる分かると頷いた。やっぱり女は愛嬌よと賛同した。綺麗でも優しくないとな、と話した夜だった。
 夕食の前、妻が呼んでも息子はゲームを止めなかった。ああ、また怒られるぞ…と思っていた矢先、妻は息子を優しく諭し「さあ、みんなで食べましょうね」とにっこり微笑んだのだった。それから数日間、妻の怒鳴り声をすっぱり聞くことがなくなった。やがてはあの蕎麦屋の店員も、他の店の子も、近所のメス猫すら愛想が良くなっていた。カフェで隣になっただけの女の子でさえ笑いかけてくる。いつしか僕の町には美女しかいなくなっていたのだった。
 
 
 そしてとうとう「世界一の美女」がやって来る日が来た。町で一番大きいイベントホールは客でいっぱいになった。現れた美女は文字通り美しい女性だった。我々は拍手しながら見入ったが、不思議と期待ほどの感動はなかった。なぜなら町にはもう美女が溢れているからだ。あのぐらいならたくさんいるよなと、友人と言いながら帰った。
 家に戻ると、美しくて料理が上手で優しい妻がいた。僕はお世辞でなく、さっきの美女より妻の方がずっと綺麗だと思った。同僚たちも口を揃えて言った。自分たちのパートナーが一番の美女だと。
 いつしか我々の町は「世界一美女の多い町」として有名になり、観光客が押し寄せ、潤った財政は昨年の5倍にもなり、今度は町も綺麗になった。  そしてある日こんなポスターが貼られた。

  
  『○月○日 世界一の美男来たる!』
 
 女性たちはさらに自分らに磨きを掛けるようになった。こぞって着飾り、
女子力をアップさせ、どんな時も微笑みを絶やさなかった。
 だが我々男たちは、何ひとつ自分らに手を加えようとはしなかった。体を鍛えたり、髪型を決めたり、紳士的に振る舞ったりもしなかった。
 なぜなら僕らにはもうそれぞれに「世界一の美女」がいるからだ。既に手に入れた女性がいれば、男はそれ以上の努力をしない。自分よりいい男がいて当たり前と納得して済ませる。女性に理想を求め続けてしまうのは生まれつきの夢想家だから。どんなに身勝手で傲慢と言われようと、男というのは得てしてそういう生き物なのだ。

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